又吉直樹の新作小説『生きとるわ』を語る会/第5回「何が真実で真実でないか、いったりきたりするジェットコースターみたいな感覚が、すごく不思議」(戸塚祥太×黒川隆介×又吉直樹 鼎談)
更新日:2026/4/16

又吉直樹が6年ぶりとなる小説『生きとるわ』を上梓した。かつて高校の日本映画研究部で青春期を共に過ごした岡田や横井たちの38歳の年に起こった出来事を中心に描いたこの作品は、「人生の方向が確定しつつある40歳を目前に道を踏み外したとして、それでも人は幸せに生きていくことができるのか」というテーマを含んでいる。今回、又吉と親交深く、かつ岡田や横井と同世代である、詩人・黒川隆介とタレントの戸塚祥太(A.B.C-Z)が、又吉を囲んでこの物語について語り合った。
「フッてくれる」って言ってる時点で、異常者ですね(戸塚)
戸塚祥太:又吉さん、『生きとるわ』のご出版おめでとうございます! すごく面白く読ませてもらいましたが、ただ面白いだけじゃなくて、「人間関係の指南書」みたいだなと思いました。人との付き合い方とか、距離感の取り方とか……もし自分の近くに横井みたいな人がいたらどう対処すればいいのかとか。あるいは僕自身が岡田のようにならないためにどうすればいいのかとか、そういったことも勉強になるなと思いました。僕、39歳で読ませてもらったんですけど、もっと早く読みたかったです。
又吉直樹:指南書っていうふうに言ってもらえるのはすごくありがたいですし、面白いです。僕が人間関係の正解を知ってるわけじゃないんですけど、物語を描きながら、「予定調和のようにはいかないよな」と痛感したんです。人生には、小学校のときに聞いた道徳とか倫理みたいなものが全く役に立たない瞬間があるな、と。僕の中の基準として、倫理みたいなものを置いてるんですけど、それでは対処しきれないような人間関係ってあるなっていうことはずっと考えてきたんです。これまでの作品もそうなんですけど、今回は特にそういうことを考えて書きながら、少しずつ「こういうことなのかな」っていうのを掴んでいった気がします。
黒川隆介:僕は作家には2パターンいると思っていて、「書かないといられない人」と「書くことが好きで書いている人」。そういう中で、自分の生き血で書いている作家っていうのが、この現代で絶滅危惧種をすり抜けてまだ生きてたんだっていう感覚が、読み終えたときにまずありました。最近、物書きの端くれとして「純文学」って言葉がすごく遠くなっていた感覚だったのですが、現代の純文学のヒーローが現れたなと感じました。
又吉:ありがとうございます……。生き血で書いてるっていう部分について「なんでかな?」と考えると、普通に生活している中で、自分のやりたいことがいつの間にかできなくなっているような感覚があって、それが関係しているのかもしれないです。10代の頃は行きたくないところには行かないとか、もっと自分勝手だったんです。それがだんだん、「人を傷つけたくないな」とか「迷惑をかけたくないな」と思ってバランスを取り始めるようになっていった。もちろん自分自身の要求に応える形で社会性を帯びていった結果なわけだから、全く悪いことではないとは思うんです。また、そうすることにストレスも感じなくなってきているから楽しく過ごせてもいます。でも、どこかでそれが積み重なってきたときに、何かがおかしいぞというか、何もほんまのことを言ってない気がするなって感じるようにもなった。僕は、小説という表現だけは嘘をつかずに自分の思っていること考えていることを反映させられるっていう感覚がすごくあるんです。そういう意味で言うと、僕の中で「生きる」ということと「書く」ということが一致するというか、とても近いのかなって感じていますね。
黒川:この445Pの中で、1回も息継ぎせずに泳げるジャック・マイヨールのような状態をすごく感じました。又吉さんが書いていることすら忘れていたような箇所があるとしたら、どこなんでしょうか。
又吉:たとえば大倉がオリジナルの都市伝説、陰謀論を語るところ(247頁~)は、ほぼ何も考えずに書いています。大倉になりきっていたかもしれないですね。あとは、それがよく書けているかは別として、書くことに全くストレスみたいなものを感じなかったのは、ラストシーン近くの岡田が横井と会えそうな気がして、阪神が優勝する夜に一人でミナミの街を歩きながら、社会と自分の距離を測っているところ(418頁~)ですね。ここは没頭している状態だったかもしれないですね。
戸塚:又吉さんのおっしゃったシーンの後になりますが、岡田と横井が再会して、そこで真剣に対峙しますよね。そこでは岡田の貸したお金のこととか今後の返済計画を立てていくのではなくて、二人の高校の同学年で、恐らく部活での暴力などが理由で自ら命を絶ってしまった野球部の中村くんの話をするじゃないですか。岡田にとって中村くんは幼なじみで憧れに似た存在で、彼を失ったことでその後の人生の方向性を見失った可能性もあって。でも横井にとってはきっとそうではない。その二人の中村くんの死に対する考え方をぶつけ合うところが、本来なら光が当たらないところにも光を当ててくれるというか、又吉さんの小説だからこそ味わえる感覚だと思ってグッと来ました。岡田が中村くんについて熱く話すのに、それに対する横井の返答が「ごめん、全然わからへん」って(笑)。そんな横井の反応もその後に続く言葉も腑に落ちるというか……、何が真実で真実でないか、いったりきたりするジェットコースターみたいな感覚が、すごく不思議だったんです。
黒川:そのジェットコースターに乗っている間の、一つ一つのグラデーションも取りこぼしがない。物語全体を通して、呼吸のように文章が全部つながっているように見えるのですが、それは意識的にできているんですか?
又吉:考えてはいないですけど。毎回なんとかそろいますよね。
黒川:又吉さんの小説って、まるで『インターステラー』(映画)みたい。幼なじみ同士で結婚した人が、家に帰って幼稚園のときのアルバムを見たら、そのときから手をつないで隣同士で写ってたみたいな。
又吉:普通に生きているときはそうじゃないんですけど、小説を書くと、なぜか日常もすべて小説のために動き出す感覚になっちゃうんですよ。必要なパーツを日常がどんどん植えていってくれて、嘘みたいにそのときに必要としているエピソードを話してくれる人が現れたり、ここで失恋の感情が欲しいと思ったら、自分をフッてくれる女性が現れたり。
戸塚:「フッてくれる」って言ってる時点で、異常者ですね(笑)。
又吉::もしかしたら日常で起こったことを自分が取り込んでいってるのかもしれないですけど、僕自身の感覚では、僕が何かを必要やと思ったらちゃんと来てくれるような感覚なんですよね。
黒川:だから、もう創作が人生のメインで、生きてることがサブみたいな感覚すらある。必要な情報を日常が埋めてくれるって、逆じゃないですか。これが、書こうとして生きてる人と書かざるを得ない人の違いなんですかね。

