桐野夏生が描く、韓国芸能界で「墜ちていく男」。人気への酩酊、K-POPグループからの脱退――生々しく迫る人間の葛藤【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/4/22

眠れぬおまえに遠くの夜を
眠れぬおまえに遠くの夜を(桐野夏生 / 文藝春秋)

 まばゆい光に照らされれば、人は変わってしまうものなのだろうか。盛者必衰。驕れる者は久しからず。血の滲むような努力を重ねた先、「人気」という、他人には到底味わえない快楽を知れば、どんなに純粋な人でも酩酊し、傲慢になっていくのか。

眠れぬおまえに遠くの夜を』(桐野夏生/文藝春秋)は、桐野夏生が韓国芸能界と「墜ちていく男」を描く1冊。ある男の独白として綴られるこの物語は「これはノンフィクションなのではないか」と疑いたくなるほど生々しい。芸能界を生きる人々の葛藤を鋭く描く桐野の一文一文が痛いほど胸に突き刺さってくる。

 語り手は、32歳で遅咲きのデビューを果たし、人気俳優として活躍するパク・テミン。彼は、「終わった男」ナダンについて静かに話し始めた。ふたりの出会いは、高校時代、ワシントンDCに住んでいたテミンが、ヴァージニア州のコリアンタウン・アナンデールの歌謡コンテストで14歳のナダンが優勝するのを目撃したことに始まる。ふたりの境遇はまるで違う。アメリカに留学で来ているテミンに対し、ナダンはIMF危機をきっかけに家族でアメリカに移住し、両親は離婚。家に金はなく、ナダンは中学生ながらアルバイトに明け暮れていた。たまに会って話をすることを楽しみとしていたふたりだったが、やがてその道は分かれていく。世界を股にかけるK-POPグループの一員となったナダンは空恐ろしいスピードで成功を収め、またたく間に凋落していった。K-POPグループからの脱退。俳優としての活躍。多大な人気に対する酩酊。自由への渇望。純粋にアイドルを夢見た14歳のナダンは、今や酒を浴びるように飲んで豪遊し、女の子に性的暴行で訴えられるような男になってしまった。

 テミンは出会った時からナダンの虜だった。ステージの上のその才能に目を奪われ、彼と関わり、恵まれない境遇を知れば、彼を支えねばならないというような使命感さえ芽生えていた。憧憬、羨望、嫉妬、失望……。そんなテミンの心境を追うと、ナダンはどんな気持ちでいたのだろうかと想像せずにはいられない。やがてナダンがデビューし、テミンを落胆させるような出来事が巻き起こる。それでも、テミンはナダンの動向を追わずにはいられない。やがて俳優になったテミンは、プライバシーをすべて棄てても、いや、魂を悪魔に売ってでも、役者として一流になりたいと願う。そして、この世界で生きるいまの自分を、ナダンに認識してほしいとも思う。

本当の自分と、周囲から求められる役割との乖離

 どうしてだろう。こんなにも、この男たちの物語にのめり込んでしまうのは。ふたりの友情の行方に心を掴まれるのはもちろんだが、この物語は決してそれだけではない。韓国の芸能界を舞台としながらも、ここには普遍的な人間の葛藤が描き出されているのだ。たとえば、デビューを果たしたナダンは、大人たちから指図され、価値を測られているうちに、己が摩耗していくのを感じ、空っぽになっていく自分に疲弊していく。俳優になったテミンだって、似たようなものだ。自分に芯がないような気がして苦しいのに、周囲に求められる姿を演じて、素顔を隠さなければ生きていけない。器用に立ち回れるがゆえに、本来の自分を見せられない。本当の自分と、周囲から求められる役割との乖離に苦しむ彼らの姿は、決して他人事ではいられない。気づけば、その葛藤に自分の心もまた深く共鳴している。

 ああ、大人になった彼らは、何を得て何を失ったのだろう。これから彼らに何が待ち受けているのか。華やかな芸能界の光と影を描きながら、本作が突きつけてくるのは、欲望に呑まれ、他人に値踏みされ、それでもなお生き延びようとする人間の痛み。人の強さも弱さも醜さもすくいあげる、桐野夏生らしい筆致が、その真実をいっそう切実に浮かび上がらせる。だからこそ、この物語は恐ろしいほど胸に迫る。――なんて濃密な読書体験なのだろうか。ナダンとテミンの運命がどこへたどり着くのか、その行く末を、あなた自身の目で見届けてほしい。

文=アサトーミナミ

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