西野亮廣×又吉直樹「自分の作品で世界が一変する可能性が残り続けている」。『プペル』『生きとるわ』『ゴミ人間』を通して語る“創作へのモチベーション”【対談】

文芸・カルチャー

公開日:2026/4/10

作品には「自分」が出てしまっていい

又吉:西野くんは本当に損な役回りだなと思う。「これ嫌だなあ」とか「もっとこうなればいいのにな」と思うことがあっても、「これを言うと批判がくるだろうから我慢しよう」っていうことあるじゃないですか。そうしたら西野くんが代わりにそれを言ってくれて、やっぱりめちゃくちゃ批判されてる。

西野:(笑)

又吉:「よかった、言わんで」みたいな。すごいと思う、その正義感が。2020年に公開された『映画 えんとつ町のプペル』を観ても、セリフとかに西野くんのそういった心境がすごく反映されてるのだろうなと思いました。

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西野:『映画 えんとつ町のプペル』は「西野が見えすぎる」という批判があるんです。そうだよなと思うんですよね。だって、どう考えたって自分の話を書いているし。そもそも自分を出しておかないと、とも思っているし。

 そうじゃないと「こういうものをやっておいたら受けまっせ」ってマーケティングみたいなものになってしまうじゃないですか。それはイヤだから、思いっきり個人的なことをやって、同じような目に遭った人に届けばいいかぐらいの気持ちでやっています。

又吉:僕も作品には「自分」が出てしまっていいと思っていて。設定を変えるとか、昨日あったことをすぐ書くんじゃなく3年ぐらい寝かしてみるとか、感情がより濃く抽出できるような組み替えはあるにせよ。テーマとか書くべきことは、あまり変えないかもしれないですね。

 僕は、ほかの人が書いた作品を読んだり見たときに共感することがすごく多いんです。他人が作ったものを見て共感するような人間が、自分が作った作品の、自分自身が共感できるポイントを作為的にずらすって、強度を落とすだけであまり意味がないと思っています。

信じることは自分発信の行為

西野:『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』もまさに、完全に自分の話なんです。23歳の頃、梶原さんが失踪して。レギュラー番組が1日のうちに8本ぐらいなくなったんですよ。

 2、3カ月経っても梶原さんは戻ってこず、吉本興業のほうから「おまえ、1人でやっていくか」という提案をされたとき、僕は「待ちます」と答えたんです。あのときが、自分の人生を振り返っても一番覚悟を振り絞った瞬間で。帰ってこないかもしれない人を待つって、よっぽどの覚悟じゃないですか。

又吉:そうですね。何年かかるかわからないしね。

西野:相手を信じ抜くって、すごく難易度が高い。今回の映画はそんな話です。

©西野亮廣/「映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~」製作委員会
©西野亮廣/「映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~」製作委員会

又吉:信じる。

西野:相手を信じるの、難しくない?

又吉:難しい。僕が書いている『生きとるわ』という小説は真逆で。信用しようとしたら、友達に騙され続けるという話なんですよ(笑)。

西野:本当に信じて待っていて帰ってきたなんて、すごい確率ですよね。裏切られることもたくさんあるし、ほぼほぼ、帰ってくることはないですよ。梶原さんが帰ってこない可能性も、もちろんあった。だから「信じていれば帰ってくる」なんて、随分綺麗事だなと思います。ただ、あのときは自分は本当に足を止めるしか、そこに賭けるしかなかったですね。

又吉:信じることって、そもそも自分発信の行為ですよね。だから、西野くんが信じたから帰ってきたんだと思いますよ。騙され続ける人は、相手を疑っていたからかもしれない。

西野:僕だって逃げられたことなんか山ほどあるし、裏切られたこともあるし。でも、勝手に信じたんだよなと。スタッフが多くなるとトラブルが起きることがよくあるんですよね。けど、まあ、こっちが勝手に信じたんだよなと思うんですよね。頼まれて信じたわけではなくて。まあ、そう思わないともうやってられないですよ(笑)。

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