【第33回松本清張賞】チームのエースが大会直前にひき逃げに遭った!? 全国高校駅伝を目指す女子高生ランナーたちを描いた青春×駅伝×ミステリ小説【書評】
PR 公開日:2026/9/18

目の前を走る背中がいなくなった時、私たちは何を目指して走ればいいのだろう。だが、受け取った襷を手に一歩を踏み出せば、もう無我夢中だ。ひんやりとした風。軽やかに刻む足音。あとはただ進むだけのはずだ。それなのに、前に進むことは、どうしてこんなにも楽しく、どうしてこんなにも難しいのだろう。
走ることの喜びと苦しみを全身で浴びられる小説――それが、『ひなたの中継点』(森山世衣/文藝春秋)。アスリートの輝きとその陰をリアルに描き、第33回松本清張賞を受賞した、みずみずしい青春ミステリだ。
主人公は、大阪の強豪・緑谷高校女子陸上部で部長を務める高校3年生・麦。親友で絶対的エースの瑞月と、全国高校駅伝・都大路での初優勝を目指していた彼女は、大阪予選直前、瑞月が自転車のひき逃げに遭う現場に居合わせる。怪我を負った瑞月は欠場することに。麦たちは瑞月なしでも全国への切符をつなごうと奮闘するが、周囲では不穏な出来事が立て続けに起こり……。
ページをめくれば、走り出したくなる!
この本を読んでいると、こちらの身体まで、走りたくて疼き出す。もともと「走ることが大嫌い」だという松本清張賞選考委員の森見登美彦さんも、この作品を読んで「走るのもいいかもしれない」と思ったというが、その気持ちが本当によくわかる。生意気な1年生、気配り上手な2年生、ケニアから来た留学生。そんな個性的な仲間たちと、一つの目標を追えるなんて、なんて幸せなのだろう。仲間から受け取った襷を手に、風を切って走る。もちろん、走るのは楽ではない。甘いお菓子も、メイクも、ネイルも我慢して、足腰の痛みに耐え、汗だくになって、ひたすら足を前へ運ぶ。それでも昨日より速くなれるなら、そんな辛ささえ楽しい。スピードとリズムに乗れば、これ以上の快感はない。
走れなくなったら、自分には何が残る?
しかし、本作は「走る爽快感」や「好きだから耐えられる辛さ」と同時に、どう向き合えばいいのかわからない痛みまで描き出す。しかも、それは驚くほど生々しく、思わず息を飲むほどだ。
たとえば絶対的エースの瑞月は、事故の後、「陸上を続けるのが怖くなった」と言う。走りを武器に大学へ進み、実業団に入るつもりだった彼女は、もし走れなくなれば、自分の「価値」まで失ってしまうのではないかと考え始める。「これから先、走ることを仕事にしたら、怪我でもなんでも、走れなくなった途端、売り物じゃなくなってしまうでしょ?」――結果を出せる間だけ求められる世界の危うさに気づき、瑞月は迷い始める。その姿に、彼女の背中をずっと追い続けたいと思ってきた麦も揺らぐ。世界陸上やオリンピックさえ夢ではない瑞月に食らいつき、少しでも長く同じレベルで戦うため、自分もレベルの高い大学へ進み、実業団へ――麦の思い描いていた未来は、瑞月が立ち止まったら、どうなるのか。麦は何を目指して走ればいいのだろう。
無月経になっても、走るのをやめたくない――女性アスリートの身体と葛藤
走り続けるうちに、悲鳴を上げるのは心だけではない。身体だって、限界ギリギリまで追い込まれている。たとえば、女性アスリートにとって、月経との付き合い方は競技生活の一部だ。低用量ピルで大会と重ならないよう調整する選手がいる一方、身体に合わない選手もいる。過酷な練習や体重管理で月経が止まっても、「走るな」と言われることを恐れ、不調を抱えたまま走る選手もいる。好きだからこそ、走るのをやめられず、やめられないからこそ、苦しい。その葛藤が痛いほど胸に迫ってくる。
相次ぐ不穏な出来事――いったい誰が、何のために?
そして、本作はミステリとしてもページをめくる手を止めさせない。瑞月の事故、盗撮騒ぎ、留学生を動揺させる噂、犬が苦手な選手を巻き込むトラブル、そして、不可解な診療。これらは偶然なのか。それとも誰かが、彼女たちの都大路出場を阻もうとしているのか。麦が真相を追ううち、物語はやがて緑谷高校の輝かしい歴史の陰へと踏み込んでいく。そこで見えてくるのは、「勝つこと」を求めるあまり、選手の身体や人生が犠牲にされてきた過去だ。
心も身体も悲鳴を上げているのに、少女たちは止まらない。何のために走るのか。誰のために走るのか。彼女たちが走る眩しい「ひなた」は、決して暖かく心地よいだけの場所ではない。熱く厳しい陽射しを浴び、傷つきながら、それでも彼女たちは襷を受け取り、前へ前へと進む。……ああ、走るって、こんなにも苦しくて、こんなにも楽しいものなのか。そんな矛盾に満ちた実感を、この物語はまっすぐに突きつけてくる。あなたも少女たちとともに、その道のりをどこまでも駆け抜けてほしい。その先に広がる景色は、きっとあなたの心にいつまでも残り続けるだろう。
文=アサトーミナミ
