猥雑でアンダーグラウンドな昭和の空気を「今」味わうならココへ! 呑んで楽しむ昭和の残り香

文芸・カルチャー

2019/5/19

『昭和トワイライト百景』(フリート横田/世界文化社)

 世間は“令和ブーム”に沸いている。新しい時代が幕を開けると、この先の飛躍的な未来を想像し、心が躍る。だが、そんな今だからこそ、過ぎ去った時代に目を向け、消えかけているかつての風景に想いを馳せてみたくもなる。ひと昔前の「昭和の面影」は全国各地でどんどん消えつつあるが、猥雑でエネルギッシュだった昭和の空気はどこか懐かしい空気を漂わせている。

『昭和トワイライト百景』(フリート横田/世界文化社)は、今でもかすかに輝いている美しき昭和の姿を地道な取材で追いかけた1冊。著者のフリート横田さんが、路地徘徊家として、自らの足で調べ、聴き、呑んで得たという“昭和の記録”は貴重だ。薄れゆく残り香を追い求めてきた横田さんが目にした昭和は果たして、どんな形をしていたのだろうか。

■今宵あなたも吸い込まれたくなる「新橋駅前ビル横丁」

 インスタ映えする話題のスポットやグルメが溢れている東京は煌びやか。だが、新橋駅前ビルにはかつての昭和に浸れる酒場がまだあるという。

 終戦後、新橋駅前の東西両側にはヤミ市ができ、「国際マーケット」や「狸小路」という木造マーケットも出来上がった。戦災に遭った人々が力を合わせ、タバコ屋や小料理屋、床屋、雀荘などが入店したマーケットをわずかな期間で整備し、商売を始めたのだ。

 その後マーケットは都市開発のために取り壊されることになり、開発が進められて昭和41年に完成したのが「新橋駅前ビル」。客たちが路地を伝って飲み屋を渡り歩いていたそれまでとは打って変わり、入口には大理石のカウンターが設けられ、受付嬢まで付くようになったため、オープン当初はあまり客足が伸びなかったという。

 そんな歴史を持った新橋駅前ビルは、現在1号館・2号館とも酒場横丁らしい仄暗い雰囲気を醸し出しており、濃厚な「路地感」を全身で堪能できる場所になっている。薄暗い照明や格子の仕切りが付けられた井桁形の通路、戸もない狭小の店。竣工後50年という月日を経ても、この場所にはヤミ市の空気やマーケットの気配が保存・熟成されているようだ。

 この新橋駅前ビルには、思わず吸い込まれたくなるような不思議な魔力がある。都心にひっそりと佇む飲み屋横丁は、希望を捨てずに奮闘した人々の涙と笑顔が残っている酒場だ。

■ヤミ市の呑んべ横丁が転生した「大森飲食街ビル」

 赤・青・黄色・ピンクといった、目に染みるような色彩の上にスナックの名前が並んでいる「大森飲食街ビル」は大森駅東口の線路沿いに存在する。

 ビルは2階建て。中央には路地のような通路が走っており、両脇には窓のない小さなスナックが並んでいる。このビルもまた、ヤミ市の人々が生み出した飲み屋ビルだそう。終戦後、付近にはバラック小屋が並んでおり、「呑んべ横丁」と呼ばれていたそう。「呑んべ横丁」のお店は、女将さんがひとりで切り盛りしているような小料理屋が多く、一部の店では“ひそやかなある営業”も行われていたという。女性の社会進出が進んでいなかった時代には働く場が限られていたため、経済的に困窮した女性たちはなんとか生き抜こうとしていたのだろう。

 そんな背景に思いを馳せると、女性たちのたくましさに敬服を示したくなる。そして同時に、現在の大森飲食街ビルを築きあげるもとになったというヤミ市を支えた人々の力強さにも感心させられる。

 昭和30年代後半には、「東京五輪」に海外から多くの人々を招くため、見栄えの悪いバラック街をなくそうと立ち退き交渉が開始された。だが、地元有権者の働きかけもあり、ヤミ市の人々はなんとか都有地を得てこの地にビルを完成させたという歴史がある。

 2020年には東京で再びオリンピックが開催される。今回もきっと街のあちこちでこういった浄化対策が行われているのだろう。だが、さまざまな歴史が詰め込まれた古き場所には、後世に語り継ぎたくなるようなものもあるように思える。

 洗練された煌びやかな流行は人々の目に留まりやすい。一方で、一見猥雑でノスタルジックな昭和の街並みには、私たちが忘れてはならない記録や想いが込められているのだ。

文=古川諭香