歌手・藤圭子が語り、歌手・藤圭子を語る2冊の本の封印が、ついに解かれる!

芸能

公開日:2013/10/30

 2013年8月、自殺して世間を驚かせた藤圭子。近年は歌手として表立った活動はしておらず、芸能界から引退状態であったようだが、藤は1979年に一度引退をして渡米し、2年後の1981年に復帰した過去がある。

 その一度目の引退のとき、28歳の藤圭子は『テロルの決算』(文藝春秋)、『一瞬の夏』(新潮社)、『深夜特急』(新潮社)、『』(新潮社)などで知られるノンフィクション作家の沢木耕太郎にインタビューされている。インタビューは雑誌に掲載した後に出版されるはずだったが、数々の問題があって雑誌掲載と出版が見送られてしまう(沢木はこの作品が世に出ることで、藤が歌手に復帰する際の枷になることを危惧したという)。そのいわくつきの作品が、34年の時を経て『流星ひとつ』(沢木耕太郎/新潮社)として日の目を見ることとなった。沢木は一度は封印した作品を再び世に問う理由を、謎の死を遂げた藤が精神を病み、長年奇矯な行動を繰り返した挙句の投身自殺という説明で落着し、自分が知っている渡米する以前の藤の存在をすべて切り捨てられ、あまりにも簡単に理解されていくのを見るのは忍びなかった、とあとがきで書き記している。そして藤を「輝くような精神の持ち主」だと形容している。

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 この『流星ひとつ』には地の文が一切ない。ホテルのラウンジでウォッカ・トニックを飲む藤と沢木、ふたりの会話だけで構成されている。最初「インタビューなんて馬鹿ばかしいだけ」といって沢木を警戒する藤が、酒が入るにつれ、子ども時代のことから歌手となり、19歳での結婚と離婚、そして引退を考えるに至った心の裡を吐露していく。そこには歌が好きで、潔癖で曲がったことを許さない、生真面目な女性像が結ばれていく。

 そしてもう1冊、絶版となっていた藤の恩師である作詞家・石坂まさをの『きずな 藤圭子と私』(石坂まさを/文藝春秋)も復刊された。1951年、旅回りをしていた浪曲歌手の父と三味線を弾く盲目の母の間に生まれた藤が、流しをしながら生計を立て、とあるステージで歌っていたところを関係者に見出されて1969年に『新宿の女』でデビュー。ドスのきいたハスキーな歌声で絞り出すように歌われる曲は演歌ならぬ「怨歌」と呼ばれ、『圭子の夢は夜ひらく』『京都から博多まで』などヒット曲を連発し、1970年代を代表する歌手になったという世間で知られたエピソードや、『流星ひとつ』の中で「女たらし」「嘘つき」と藤が語った石坂が、どのように彼女を育てたのかなどはこちらに詳しい。

 この2冊、まずは『きずな 藤圭子と私』を先に読み、北海道から東京へやって来た阿部純子という少女がどのように歌手・藤圭子となり、歌手としてどのような成功を収めたのかを知ってから、藤が自分のことを語る『流星ひとつ』を読むことをお勧めする。人の人生を死から辿ると、生前に様々な偶然や符牒、まるで前兆であるかのような出来事がある。しかしその時を生きている人にとってそれは普段の生活の断片に過ぎず、その言動や行動に深い意味はない。誰も未来の出来事を見据えて日常を生きているわけではないからだ。しかしそのことを差し引いても、この2冊には「死の予感」に満ちたいくつものエピソードがあり、胸を締め付けられる部分がいくつもある。

 沢木は藤の引退を知った時に「星、流れると思った」と語り、そこからタイトルをつけたそうだ。そして藤を「演歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチコピーで売り出した石坂は「その星は、やがて流れて消えていくのも宿命でなければならない」と書いている。偶然にも2人とも藤を「星」になぞらえるなど、この2冊はお互いに欠けているピースを埋め合う、表裏一体の存在といえるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)