巨大メカジキとの壮絶な闘い――。孤独な男は、海の底に何を見るのか

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/15


『海を撃つ』(吉村龍一/ポプラ社)

「海の男の闘いと孤独。百年後にも必ずこの物語を欲する読者がいると思う」

『ホテルローヤル』で直木賞を受賞した作家、桜木紫乃さんも評価するネイチャー・アクション小説が出版された。

海を撃つ』(吉村龍一/ポプラ社)は、恩師の片目と命を奪った宿命の相手、三陸最強の巨大メカジキを追う、たった一人の海の男の一生を描いた、男の汗と血と涙の息吹を感じるアクション小説だ。

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舞台は昭和7年。北陸の漁村に育った主人公、十兵衛が、20歳の時に村を代表して室生(むろう)山に祀られた龍神に、漁の安全と豊漁を祈願するため、山を登っているところから、物語は始まる。

ここで生涯の付き合いとなる、恩師の伝照と出会う。彼は寺男をしていたが、片目が潰れており、背丈も小さい。そんな彼が過去、同じ漁師をしていたことに興味を持った十兵衛。同じ漁師だと知った伝照も「血が騒ぐ」と語る。

「ばりばりの銛撃(もりう)ちだったよ。メカを狙ってな」
「メカ?」
「メカジキだ」

これが、十兵衛が生涯をかけて追い続けることになる、巨大メカジキの存在を知った瞬間だ。

その後、無事に祈願を終えて村に戻った十兵衛を待っていたのは、「ご加護を持ち帰った福神さま」としての役目だった。

村の娘は、福神さまと契ることで恩寵が得られると信じられていた。福神さまに選ばれることが名誉であり、自慢話にもなった。ゆえに、十兵衛は「気に入った娘の部屋を思うままに訪ねられる」という特典が与えられ、毎晩、どこかしらの娘の家に入り、身体を重ねなくてはいけなかったのだ。

最初の内は、村全体の娘が自分の物であるということに熱を覚えた十兵衛だったが、徐々に疲れていき、次第に娘の元へ訪れるのは義務のようになっていく。

そんな福神さまとしての責務を果たしている最中に、十兵衛はある禁忌を犯してしまう。村の鎮守さまのお宮で、幼馴染の繁子と身体を重ねてしまうのだ。

神聖な祈りの場であり、海の守護神を祀る結界の中での野合わせは、龍神さまの冒瀆につながる。十兵衛は龍神さまの機嫌を損ねないことを願ったが、祈りも空しく、彼の父親が海で消え、いなくなってしまう。

十兵衛を襲う苦難はそれだけではない。十兵衛と繁子のことを、どこからともなく知った村人たちは、龍神さまの怒りを恐れて、十兵衛を村八分にしてしまうのだ。

「俺が龍神さまを怒らせたんや。俺のせいや、俺の」

苦悩した十兵衛は、再び室生山へ赴き、龍神さまに許しを乞おうと一人、村を去った。そこで再び、「メカジキ」の伝照と運命的な出会いをし、十兵衛は伝照を師として、「メカジキ」の銛撃ちとなる。

しかし、その道も決して平坦なものではない。十兵衛には厳しい修行の日々が待っていた。

激しい修行を経て、十兵衛は師匠の教えの元、「メカジキ」を撃つ「熱情」にとりつかれる。そして、師匠の片目を奪った巨大メカジキを、一生をかけて追うことになるのだ。

「人間はどこから来てどこに行くのだろう。命はどんなふうに受け継がれていくのだろう。やがて自分が朽ち果てた時、その魂はどこへ導かれるのか」

十兵衛は巨大メカジキを追いながら、そんなことを考える。その時に真っ先に思ったのは、「メカの体の色」だった。死の間際に浮かぶ蒼い背の鮮やかさ。それは美しくも悲しい色だ。

後半、忍び寄る老いを感じながら、年老いた十兵衛は、最後までメカジキを追い続ける。しかし、実際に追っているのは、メカジキそのものではないのかもしれない。メカジキが散る、その最後の瞬間に見える背中の蒼。狂おしいほどの輝き。

その死の直前の光景を、十兵衛は追い求めていたのかもしれない。

文=雨野裾