朝ドラ『べっぴんさん』のモデル・坂野惇子氏ら4人が追い求めた、上品で上質な子供服

ビジネス

公開日:2016/12/9

『上品な上質 ファミリアの考えるものづくり』(株式会社ファミリア:編集/ダイヤモンド社)

 現在放送中のNHKの朝ドラ『べっぴんさん』は、神戸の子ども服メーカー「ファミリア」の創業者・坂野惇子さんたち4人の女性がモデルになっている。戦後間もない物資が乏しかった時代に、理想の子ども服作りにこだわった女性たちの奮闘ぶりが描かれている作品。そこで、現在も創業者たちの思いが受け継がれているファミリアのものづくりへのこだわりがわかる本『上品な上質 ファミリアの考えるものづくり』(株式会社ファミリア:編集/ダイヤモンド社)を取り上げる。

戦後すぐでも理想を追い求めた創業者たち

 ファミリアの創業は1950年。その前身となったベビーショップは、1948年、モトヤ靴店の一角に、陳列ケース2つだけの小さな店として開店した。それは、戦後の物資不足の折、坂野惇子さんが嫁入りのときに作ったハイヒールを買い取ってもらいにモトヤ靴店を訪れた縁からだ。モトヤ靴店の主人は、たった1人のお客のために丹精込めて作った靴だから、その靴を売るのだけはやめてほしいと話したうえで、困っている惇子さんが持っていた手作りの写真入れをほめ、手仕事の品を売ってお金にすることをすすめた。

 そうしたきっかけで始まったベビーショップは、その当時まだ珍しかった外国式の子育て法を取り入れ、子どもにとって本当に心地よい子ども服を作ることをコンセプトにした。2年後の1950年、モトヤ靴店の一角から独立して別の場所で創業することになったファミリアは、その頃の思いを受け継いだまま、1964年にアメリカ式の量産システムが導入されるまで、ずっと手仕事で製品を作り続けた。

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子ども服だからこそこだわるべきこと

 まだ食べるものにも事欠き、綿100%だったらなんでも売れた時代でありながら、創業者たちは素材にも、機能性にもデザインにもこだわりぬいた子ども服作りを考えた。それは、よいものは長く使えるということ、よいものを知る人はものを大事に使い続けられるということを知っていたからだ。肌に優しい天然素材を選ぶだけでなく、生地をあらかじめ洗い縮めた状態で裁断、縫製する方法を採用し、洗濯縮みを抑えることに成功した。赤ちゃんの肌着の縫い目を表側に出し、敏感な肌を刺激しないように工夫したのもファミリアが最初だ。

 子ども服には、子どもが着るからこそこだわらなければいけない点が多い。それをファミリアは、素材、機能性、デザイン、縫製ともう1つは品性だという。よいものを着たり持ったりすれば、簡単に壊れることがないだけでなく、大事に使い続ける心も育つ。TPOに合った品のよい服を身に着ければ、子どももそれに見合った振る舞いができるようになるというのだ。そうやって大きくなった子どもはものを大事に長く使うようになる。

ファミリアが独自に生み出したもの

 ファミリアは、長く愛される子ども服として、流行に左右されないデザインを考えた。そのうえでワンピースの白い襟を取り外しできる形にしたのは画期的だった。そしてそのスタイルは今でも受け継がれている。いくら上等な生地を使い、長く使えるように作っても、どうしても白襟だけが先に悪くなってしまうからだ。襟を取り換えて使えるようにすることで、親の代から子どもや孫の代まで着られる服にした。

 また、ファミリアチェックと言われる独自の模様も生み出している。当時はまだカラーコーディネートという言葉もなかったが、子ども服らしい色の組み合わせで、赤系と青系の独自のチェック柄を生み出した。

 更に、坂野惇子さんの長女・坂野光子さんがアメリカ留学から戻る際に、お土産として持ち帰ったことがきっかけで日本に広まったキャラクターがいる。スヌーピーだ。アメリカにもスヌーピーのキャラクター商品がなかった時代に、コピーライトを取り、商品化したのがファミリアだった。

 実は、ファミリアは創業後約1年で阪急百貨店側から取引の申し込みを受けている。その際、商品に阪急百貨店ブランドを付けてもよいと言われたのに対して、坂野惇子さんらはNOを突きつけ、自分たちのブランドを守った。その姿勢は、商売をよく知る男性陣を唖然とさせたというが、長いものに巻かれず独自の精神を貫いたからこそ、今のファミリアがあるのだろう。

文=大石みずき