医療が抱える矛盾に真っ向から挑むサスペンス

文芸・カルチャー

更新日:2012/5/25

 死はいつの時代においても文学のテーマだった。根源的な恐怖である一方、たまらなく人を魅了する。久坂部羊さんの最新書き下ろし小説『第五番』(幻冬舎)は、死の持つ恐怖と魅力に眩惑される医療サスペンスである。

 プロローグではマールブルク熱、エイズ、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(狂牛病)、SARS、この4つの疫病発生と、それに伴う医療費の増大と医療をとりまく状況が改善された事実が明かされる。そして提示されるのは、〈世界の人々の健康を守り、難病や疫病を撲滅する〉という誰もがよく知るWHO(世界保健機関)の役割だ。

「つまり恐ろしい病気が蔓延すればするほど、WHOの存在意義は高まるということです。新しい病気が発生するたびに、WHOがその重要性を増し、予算が膨れ上がっている。こういう構図は、皮肉としかいいようがありません」

 指摘されて初めて気づき、ぞっとさせられる事実……。原稿用紙990枚にも及ぶ『第五番』は、巨大な悪意の予感と医療が抱える矛盾に真っ向から挑むオープニングで読者を圧倒する。

advertisement

 「みなさんが知らない、あるいは誤解している〈都合の悪い真実〉が医療には存在します。がんを含めて、治療するほど悪化する病気はいくらでもある。新型インフルエンザについてもそんな必要はないのに大騒ぎをする。こうしたことも、医療と医療者の立場を良くするために、都合良く使われていたりします。そういう隠された事実を、私の作品を通して、みなさんに知ってほしいという気持ちが強くあるんです。ある程度、事実を明らかにしたほうが、実際に病気になったとき、あるいは死を目の前にしたときに、現実とのギャップに苛まれずにすむのではないでしょうか」
 
 「日本は欲望肯定主義になってしまいました。それが経済の発展につながるとは思うのですが、生きることにおいては、ずっと若々しくありたい、健康でいたいという欲望に囚われすぎて、しなくてもいい苦しみを感じている人が増えています。これは老人医療に携わっている私が、常日頃、感じていることです。老後についてきれいごとばかりを言うけれど、いいことはひとつもない。つらいことばかりが増えていく。それが現実です」

 久坂部さんは「私は医療に絶望している医療者」と明言する。「病気は自然の現象。不要な治療ほど不自然なものはない」とも訴え続けてきた。

 「回復しない病気においては、治療に一生懸命になればなるほど、患者さんを傷つけ、絶望に突き落とすことがあります。誠意をもって治療に臨むというのは、非常に悩ましいこと。真摯に取り組むほど、医療者は虚無的にならざるを得ない」

 『第五番』を読むと、体験したことのない戦慄がはしる。これまでの医療サスペンスと一線を画する、ある意味、異形の小説だ。

(ダ・ヴィンチ3月号 「『第五番』久坂部羊」より)