カーネルおじさんの壮絶転職人生! その商魂を学ぶ

ビジネス

更新日:2012/9/26

 転職を繰り返していると、「また長続きしないの?」なんて後ろ指を指されてしまう日本の社会。何度も起業する人に対しても、“失敗ばかり”とダメな人のレッテルを貼りがち。

advertisement

 しかし! 世界的なファストフードチェーン、ケンタッキー・フライドチキンの創始者であり、街頭でにこやかに微笑む白髪のおじいさん、カーネル・サンダースは、まさしくその典型例。65歳で世界初のフランチャイズ・システムを生み出した偉大なビジネスパーソンだが、そこに至るには、壮絶な転職&起業人生があったのだ。

 9月7日に発売された『カーネル・サンダースの教え 人生は何度でも勝負できる!』(中野 明/朝日新聞出版)によると、カーネルおじさんが生まれたのは1890年。13歳で家出をして、農場の手伝いから職業人生をスタートしたのだが、ペンキ塗り→再び農場の手伝い→路面電車の車掌→軍隊入隊→鍛冶屋見習い→機関車の灰さらい→機関士→弁護士実習生→保線作業員→保険会社のセールスマン……と、これでもまだ26歳までの職歴だ。

 保険会社でトップセールスマンに躍り出た後は、29歳でフェリー運航会社を設立し、さらに商工会議所の秘書になってみたり、かと思えば、その両方から手を引き、アセチレン・ライトの製造・販売を手がけてみるものの、全財産を消失! その後はミシュラン・タイヤのセールスマンになったり……若きカーネルおじさんは失敗の連続だった。

 大成功をおさめたのは、40歳を過ぎてから。ガソリンスタンドのサービス・ステーションにレストランとモーテルを併設したところ、これが大ヒット。……が、レストランとモーテルがまさかの火事で全焼! 再建したものの戦争が起きたり、巨額の税金で実質破産したり、州議会議員に立候補するも落選したりで、気付けば65歳で無一文に。

 だが、こんなことでへこたれないのが、カーネルおじさんの底力。明日の資金繰りで眠れない夜だって、「ベッドに入ったらあれこれ悩まないことじゃ」と、次なるアイデアを探した。そして生まれたのが、フライドチキンのフランチャイズ事業だ。もともとレストランを経営していた際に編み出されていた秘伝のスパイスによるフライドチキンは、瞬く間に評判を呼ぶ。

 この秘伝のスパイスは、当初「カーネルおじさん自身がブレンドして加盟店に配達するという方式」を採用。これが模倣を抑え、成功に導いた鍵となった。さらに、費用をかけずにプロモーションを行うために、自分自身を広告キャラクターにしたのも、カーネルおじさんのアイデア。「ケンタッキーといえば白ヒゲのおじさん」と誰もが思い浮かべるが、じつはコレもカーネルおじさんの狙い通り。“それっぽくしよう”と、自発的に「口ヒゲとやぎヒゲをはやし、ステッキを持つようにした」というのだから、プロデュース能力も秀でていたようだ。

 カーネルおじさんいわく、「じっとしていて錆びつくよりも身を粉にしている方が好きなんじゃよ」。――1980年、90歳で大往生したカーネルおじさんは、何度失敗してもめげない精神力とたくましいアイデアがあれば、困難は切り抜けられることを教えてくれる。いま、仕事がうまくいかず悩んでいる人には、ぜひ、「人は“できる”とか“したい”と思う分だけ実現できるもんじゃ」というカーネルおじさんの言葉の重みに、この本で触れてみてほしい。