「アーッと怒りはじめたる」角川俳句賞を史上最年少で受賞した俳人の才能に、俳壇の反応はいかに

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/26

膚(はだえ)
膚(はだえ)』(岩田奎/ふらんす堂)

「俳句の芥川賞」と言われる角川俳句賞を史上最年少で受賞した、岩田奎の第一句集『膚(はだえ)』(ふらんす堂)が2022年12月に刊行された。

 岩田は1999年京都生まれ。2015年開成高校俳句部で俳句を始め、2018年第10回石田波郷新人賞、2019年第6回俳人協会新鋭評論賞、2020年第66回角川俳句賞、2023年第14回田中裕明賞。俳句に係る者なら誰もが目指す賞の数々を、この若さで獲っているのだ。

 しかし、現代俳句の最前線に立っているであろう彼の句集には、賛否両論が寄せられた。まずは作品を読んでみたい。三句挙げる。

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東京を鬼門へ抜けし毛皮かな

 毛皮は冬の季語である。獣の革のコートを着て歩く。岩田は東京大学出身であるから、本郷から湯島上野方面に抜けて行ったのだろうか。ふわふわの柔らかいコートではなく、重くのしかかるようなコートのような気がするのは、「鬼門」という言葉の固さがあるからだろう。

あと一度ねむる夏蚕として戦ぐ

 夏の句である。群馬県安中市の養蚕農家を訪れたときに作られたという。蛹になり繭を作る寸前の、あと一度の眠り。小さな生命に込められた「戦ぐ(そよ-ぐ)」というかすかな動きを表している。

枯園にてアーッと怒りはじめたる

 枯園で冬。枯れて音も色も無くしてしまった景色に、「アーッ」という叫びでアクセントをつけている。なにがあったのだろう。それは作者しか知らない秘密の「怒り」である。

『膚』は、俳壇から賞賛の声をもって迎えられた。以下、各所の書評を抜粋する。

〈私見では、史上に名を刻む素質を有した表現者に感じられる。〉青木亮人/「俳壇」2023年5月号

〈メタ的な思考と眼前の写生とが同居する不思議な味わいのある句集だ。〉相子智恵/東京新聞2023年4月15日

〈俳句の世界で、『膚』は間違いなく評価されるだろう。〉小林鮎美/「群青」2023年6月号

〈全身で感じ、全身で違和感を持ち、自分の真実を見極める。岩田奎はとても生真面目な俳人なのだ。〉佐藤清美/「鬣」2023年5月号

 これらは『膚』の書評の一部にすぎないが、ほとんどすべての俳人が手放しで彼を評価している。しかし、「現代詩手帖」2023年3月号で、安里琉太が異を唱えた。タイトルは「早産されたキメラ」だ。

 安里は〈『膚』を読んで私が連想した多くの句の中からいくらかを挙げる。〉として、岩田の句の類想句(句の表現や言葉が、先行して出た句によく似ているもの)を並べている。十二例ある中から、一例だけ抜粋する。

にはとりの歩いてゐたる木賊かな(岩田奎)
にはとりの首見えてゐる障子かな(生駒大祐)
遁れたる鶉に揺れて木賊かな(堀下翔)

 確かに似ている。だが注意したいのは、安里は岩田の句を貶めたわけではないということだ(そもそも類想は「すべてダメ」ではない。類句は先行句と同じ世界に閉じこもる句か、少しでも別の広がりを持つ句かに分かれる)。安里は以下のように書いている。

〈これはこれで若書きとして評価を得るであろう。しかし、もう四、五年作り溜めて、彼の試みが一冊として達成され得る時期が来てから、その時期に捨てるべき句を捨てて編み上げた方が、句集にとっては良かったのではないかと勝手に思ったのである。〉

 ここまで、句集を読み、書評を読み、それらをタイピングして並べ、私には恐怖が残った。岩田に努力と実力、そして才能があることは間違いない。ただ、まだ若い彼に完璧な新しさや非凡さを求めすぎてはいないだろうか。本書の帯文には櫂未知子の〈俳壇は今、畏るべき青年をたしかに得たのである〉という一文がある。彼を取り巻く環境を想像したときに、「得た」という言葉がもたらすのは煌びやかな景色だけではないように思う。ひとりの人間にジャンルを背負わせようとしてはならない。私はそれが言いたくて、この評を書いた。

文=高松霞

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