米津玄師・つるまいかだ『メダリスト』で描かれる「親子の庇護と自立」を語る。「手を放す」というフレーズに込めた“強さと温かさ”【「BOW AND ARROW」インタビュー】
公開日:2025/3/8
『メダリスト』は過去の個人的な体験を昇華させてくれる
ーー「手を放す」はオープニングの映像だと、演技前、いのりが司先生のパーカーの紐から手を放すシーンが描かれています。これは「押し出す/押し出される」とはちょっと異なり、いのりが主体的に司先生のもとから離れていくことを示唆していると感じました。米津さんはこのシーンを想定して書かれた面もあるのでしょうか?
米津:特定のシーンを想定していたわけではなく、2人の関係性を自分の頭の中で想像しながら作っていました。だから、映像を見たとき、いい具合に昇華してくれたというか、一安心しましたね。
ーーコーチと選手、親と子、大人と子ども。一方が庇護される対象でありながら、ある意味、共依存的な関係でもあると思います。先ほど、つるま先生も「子どもが生きる強さを獲得するためには冒険や旅立ちが必要」と仰っていましたが、米津さんはどのようにお考えですか?
米津:「手を放す」というワードから、子どもの頃のことを連想した部分がありました。「あくまで主体はわたしにあるということをどうか奪わないでくれ」と、そう思っていた記憶があるんです。
それこそ小学生ぐらいの時、「これは子ども向けではないからやめておいたほうがいい」というようなことを大人に言われて「その世間一般的な子どもとわたしは関係ない」と思っていました。『メダリスト』を読んでいると、その当時の記憶をすごく思い出すんです。その大人の押し付けを痛烈に否定してくれるというか、そういった過去の個人的な体験を昇華させてくれるような、聖なる読み心地のようなものがある、すばらしい漫画だなと思いますね。

大人になるために、もっと失敗して傷つきたい
ーーつるま先生は『メダリスト』の2人の関係を描くうえで、ご自身の子どもの頃の記憶が反映されている面もあるのでしょうか?
つるま:あると思います。私は、子どもの頃、いろいろなことが一人でできなくて、昔から絵を描くことは好きだったけど、それ以外は何もできないような子供でした。周囲の大人達に、人一倍面倒をかけて守ってもらったと思います。そのことに対して、うれしい気持ちと同じぐらいふとした時「これでは普通の子と違う、このままじゃだめになるかも」と不安に思う自分もいたんです。大人になるためには、もっと1人でいろんなことをして失敗して傷つきたいなって。でも大人になった今だからわかるんですけど、もしあの時私が周りの大人を突き放して大失敗したら、親はきっとそれを全部、強く手を握り続けられなかった自分の罪だと思ってしまったのではないかなと。だから、子どもの傷を哀れむ苦しさと同じくらい、自分の罪を増やすのが怖くて、子どもを過剰に守ってしまうのかもしれないと。
ーーまさに『メダリスト』第1話の、いのりのお母さんと同じですね。「頑張っても報われないものに時間とお金を使うんじゃなくて、もっと別の楽しく出来ることを沢山経験してほしい」という。
つるま:それこそ、フィギュアスケートは氷の上でしかできない、子供一人では練習に通うこともままならないスポーツですから。取材させていただくと、コーチの皆様もすごい覚悟でやられているんです。ものすごく真剣にやっている子どもを預かって、時間と労力を費やして、選手生命が終わったら「じゃあね」というわけにはいかない。その先の人生のたくさんの選択肢が失われないように広げていくことが、フィギュアスケートの現場で大きなテーマになっていると感じました。その真剣さを目の当たりにして「これは絶対描かないといけない」と思ったんです。フィギュアスケートの現場の人たちの子どもに対する誠実さを伝えたい。そんな役割のようなものを勝手に背負った気持ちで描いています。
米津:子どもを育てたことがないからわからないですが、子どもはどうあがいても庇護せざるを得ないじゃないですか。一瞬目を離した隙に死んでしまうこともある幼少期から、そのまま地続きで成長していって、いつしか主体性を持っていくという。親の、庇護する側として、手を放すタイミングは難しいだろうなと思いますよね。
つるま:本当にそう思います。
ーー庇護する側である司先生も、いのりと関わることで成長しているのが『メダリスト』の素晴らしいところだと思います。つるま先生は、このあたり意識的に描かれているのでしょうか?
つるま:そうですね。私も一応、年齢は大人ですが「大人!」と胸を張れる大人では全然なくて。大人と言わないといけない年齢になっているから、大人のふりを頑張ってしているという。司もそうだし、大人は全員そうではないかと思っているので。
米津:それはそうですね。本当にそうだと思います。
つるま:なので、司自身も出会って成長していくべきだし、そうしないと人間味がないと思っているので、そうしています。
実際に育児をしている知人を見ていても、まず「守る人」の心の健康が保たれていないといけないと思うんです。ロボットではないから、人間が育てているから。守る側も誰かに支えられていないといけなくて。「守る側にも自我がある」ということも描かないと、それこそ子どもに誠実ではないと思うので。司のキャラクターは、そういった気持ちで描いています。
