大好きな彼は蛸になる。眩しい恋と仄暗い呪いの物語『やがて蛸になるきみと』【書評】

マンガ

PR 公開日:2025/3/12

やがて蛸になるきみと小嶋網走/講談社

 ひたすらに心が波立ってしょうがない。『やがて蛸になるきみと』(小嶋網走/講談社)について、一言で述べるならこれに尽きる。高校生の純な恋の感情。異形への変態を生々しく描く恐怖。蛸と女子高生が絡み合うフェティシズム。これらが渾然一体となり――絶望を打ち破るまぶしい光を、未知のものに対峙する畏れを突きつける。簡単に「人外モノ」という言葉で説明できない不思議な作品である。

 女子高生の小坂さんは、荒れた生活ぶりがひと目でわかる汚部屋でアル中の母と暮らしている。突然キレ散らかす母に怯え、精神が崩壊するギリギリの日々。学校でも常に背中を丸め、だれかと楽しく会話を交わすことなどない。

 そんな彼女の生活を一変させたのが、クラスメイトの真島くんである。

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 転がってきたボールを彼に渡すと、さわやかな笑顔で「サンキュ! 小坂さん!」と返す真島くん。一度も話したことがないのに自分の名前を覚えていてくれた。それだけのことが、孤独な小坂さんにとってどれだけうれしかったか。

 野球部所属で、元気で明るい人気者の男の子が自分を認識していて、屈託ない笑顔を向けてくれる多幸感が画面からほとばしる。

 胸の中でふくらむ喜びは恋心に変容し、爆発的なエネルギーとなって小坂さんを突き動かす。母がいつものように激昂したって気にならない。「真島くんに近づきたい、彼のことを知りたい」という一心で、小坂さんは走り出す。しかし、野球部の部室を訪ねた彼女が見たのは、体のあちこちから吸盤のついた触手が伸びる真島くんだったのだ。

 読みながら「蛸になるきみ」が真島くんであるだろうことはわかっていたはずなのに、相当な衝撃をくらってしまうのに驚いた。蛸に「なりかけ」の姿はグロテスクでありつつ、痛々しさと哀れさが奇妙な色気をはらむ。

 真島くんによれば、彼の家に生まれた男性は「蛸になる呪い」を避けられないという。不意に体が「蛸化」する現象に見舞われていて、あと半年ほどで完全に蛸になってしまうらしい。

 こんな衝撃の事実を知っても小坂さんは引くどころか、むしろ前に出る。「絶対に きみを蛸にさせないから私と付き合ってください…っ」とスケールの大きい告白をするのである。

 それにしても非現実的な設定でありながら、感情移入させられる引力がなんと強いことか。ページを大胆に使いながら描出される心の動きこそ、本作の大きな魅力だろう。驚き、とまどい、不安、恐怖。そうした感情に打たれながら、目の前にいる相手を気づかって装う表情も克明に描かれる。そうだ、これは「好きな人を救いたい」というど真ん中の恋愛物語なのだ。

 そうはいっても猶予は半年。普通の高校生カップルらしい初々しいやりとりに目を細めても、1ページ先では残酷な現実を直視させられるから油断ならない!

 ともあれ小坂さんは愛によって心に火を灯した。さぁ、愛の力を見せてください小坂さん! この先どう展開していくのかまったく予測不明だが――どんな形であれ、強く心を揺さぶられることは間違いない。それこそ私たちが物語に求めているものである。

文=粟生こずえ

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