ダ・ヴィンチ編集部が選んだ「今月のプラチナ本」は、坂本葵『その本はまだルリユールされていない』
公開日:2025/5/7
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年6月号からの転載です。

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?
(写真=首藤幹夫)
坂本葵『その本はまだルリユールされていない』

平凡社 1870円(税込)
●あらすじ●
司法書士になる夢をあきらめ、母校である花園小学校の図書館司書として働き始めたまふみ。実家に戻りたくない彼女が新居に選んだのは釣り堀近くのアパートだった。ある日アパートに併設された製本所「ルリユール工房」で働く瀧子親方とその孫である、天才製本家で他人と関わろうとしない由良子と知り合ったことをきっかけに、まふみは少しずつ手製本の美しさに魅せられていき――。
さかもと・あおい●1983年、愛知県生まれ。作家。東京大学文学部卒、同大学院人文社会系研究科博士課程を修了。大学の非常勤講師の傍ら執筆活動をはじめ、2014年に『吉祥寺の百日恋』で長編小説デビュー。
【編集部寸評】

綴じられた本は、タイムカプセル
先日、荒俣宏さんが所蔵する革装の貴重な本を拝見した。数百年前の誰かが読んだ本を、いま私が読んでいる事実に、えも言われぬ感情が湧いた。ルリユール工房で生まれる美しい本は、迷える者の道筋を優しく照らす。過去の後悔や将来への不安は、本のように綴じてしまえばいい。綴じられた本は未来へ向かって開かれるのだから。本が繋いだ人々の物語は、紙酔い、白紙の小説、青色病患者のための治療用インク、といった幻想的なモチーフに彩られ、音や色、匂いまでもがページから立ちのぼる。
似田貝大介 本誌編集長。上製本を分解したことがある。スピンの付け根、花切れ、寒冷紗などが露わになると、秘密の部屋を覗いた気分になり、小さく感動した。

傷み、ときに壊れうる存在であればこそ
正直なところ物体としての本にフェティッシュがない人間である。電子書籍大好き。しかしそんな私でも、書店や図書館に行くと数多の本が放つ気配に息をのむことがある。「この世にあるべき本が、あるべき姿のままに完成します」という由良子さんの言葉が腹に落ちる。そしてこの言葉は同時に、さまざまな人生に対する肯定のようにも感じられる。ときに傷み壊れながらもルリユールされたものが、「次」に受け渡されていく。紙の本と人間が持つ脆さと強さを教えてくれる美しい本である。
西條弓子 先日、寝ぼけてクッキー一箱たいらげてしまったらしい。全く記憶がない。隠すように空き箱が捨てられていて、われながら無意識が小賢しくて絶望。

わたしだけの本を
紙が擦れ、布に触れ、革を撫でる。瀧子親方と由良子がルリユール工房で進める作業からは、心地よい音がする。職人の手で魔法のように本が生まれ変わっていく様子に、うっとりする。一方で、まふみが自分の思い入れの詰まった一冊の製本に着手すると、美しかったはずの音は身を引き裂かれるように響きだす。本に記された内容にとどまらず、その本とどう関わってきたのかという人生そのものが浮き彫りになっていくのだ。失望を乗り越えた先の、あまりに幸福なラストを見届けてほしい。
三村遼子 人間ドックで人生初の胃カメラを体験。看護師さんに背中をさすられながら、なんとか鼻から入れてもらえたけれど、しばらくやりたくないです。

本が再生するさまの美しさ
ルリユール工房に集う人は、柔かな温かさがある。古くなって傷を負った本を再生させることは、誰かの人生に寄り添うことなのかもしれない。瀧子親方と由良子の手で、古い本が再生されていく過程は、心地よい音と匂いに包まれ美しい。再生した本は、見事なまでに異なる表情をまとうから不思議だ。「まとまりもなく綻んでしまった私の人生を、針と糸で綴じ直すことができたら――」。傷を負った人たちが、自身と向き合い、解体し、装いを新たに進んでいくさまは美しく、力強い。
久保田朝子 口コミで絶賛されているスニーカーを購入。履き心地が良すぎて、どこまでも歩けそうな感覚に。足が疲れるまで歩いてしまいます。

「ルリユール」は終わらない
「製本には思い出を封じ込める力もあるのかもしれません」――この言葉にこれまで出会ってきた本の数々が思い返され、頁をめくるたびに蘇る記憶が脳裏に広がっていく。使い古したポケット六法、章ごとに工房に持ち込まれる空白の原稿、亡き恋人が好きだった『プラテーロとわたし』など、本作に登場する作品にもさまざまな思い出が綴じられている。“製本”とは、本のかたちとなり、読者のもとに届いてからも続いていくのだろう。彼らとの思い出もまた一頁ずつ重ねられていくのだから。
前田 萌 辛い食べものが大好きです。ただ、最近は食べすぎているせいか、味覚が鈍くなってきたような気がします。今後のため少し控えようと思います。。

「仕立て直す」ことが前に進む勇気をくれる
木造アパートの一角にある「ルリユール工房」。ここでは針と糸を使った手作業で古い本の仕立て直しが行われている。新しい本を生み出すのではなく、“仕立て直す”。1冊の本に詰まっている思い出はそのままに、装いを新たにすることに意味があるのだ。製本家の瀧子親方が言う「失敗しないうちは、先に進むことなんてできやしないから」という言葉が胸を打つ。自分の過去に後悔したり、傷つくことがあってもそれらがあるからより前に進めるのだ。その一歩を後押ししてくれる作品だ。
笹渕りり子 フラダンスを始めて9か月経った。ハワイの歴史を学んだりしつつ楽しく続けている。しかし本来の目的であるダイエットの効果は出ていない模様。

ルリユール=もう一度、綴じ直す
9年間挑み続けた司法書士試験を諦めた主人公、婚約者を亡くした喫茶店のマスター、部屋に閉じこもり続ける製本家……登場人物たちは、製本を通して自分の人生に区切りをつけようとする。自分に降りかかった辛いことをなかったことにはできない。だからこそ、それらも全部引き継いで見つめ直すことで、一歩を踏み出す力にする。それはまるで、ボロボロになった本を解き、歪みを直し、針と糸で綴じ直し、新しい表紙を纏わせるようだ。つまりこれは本の話であり、人生の話なんだ。
三条 凪 伊坂さん特集を担当。インタビューはもちろん、対談、トリビュート掌編やイラストの寄稿、書き下ろしコラムまで盛りだくさん! 本誌24ページから。

その痛みもいとおしい
自分の本棚を見ると、背表紙が傷んでいる本に気づく。これはその本を何度も読み返した証。古くなったとしても、新しく買うなんてことはない。ただその傷をいとおしみ、時に丁寧なカバーをかぶせる。私たちが日々抱える痛みも本の傷と同様だ。痛みを受けることはときおり避けられず、それを瑕疵だと思う必要はない。本作に登場する本や登場人物のように、傷を得る過程も愛し受け止め、「製本」という立ち上がるための化粧を施して、また日々を歩いていく。そんな勇気をもらう一冊だ。
重松実歩 散歩・昼寝・風呂が好きです。この時季は夕方まで惰眠をむさぼったあとに銭湯に行き、帰りにぶらぶら散歩ができるので最高。終わらないでほしい。