桜のつくも神が心を奪われたのは、人間の青年。桜の木が切り倒される前に彼女が願うこととは?【書評】
公開日:2025/5/20

大切にしていたはずの宝物や、それらに抱いていた愛着。大人になるにつれて手放してきた“なにか”を、日々の中でふと懐かしく思い出す瞬間はないだろうか。
『つくも神の弔い処』(七星/KADOKAWA)は、“忘れ去られた物たち”の最期の願いにそっと寄り添う物語だ。
付喪神(つくもがみ)とは、長い年月を経た物たちに宿った神々のこと。人間に捨てられ、壊され、怨みを抱き怪異と化した彼らは、「弔い処」へやってくる。弔い処では、跡取り息子・宗介と神の従者である斎(いつき)が付喪神の最期の願いを成就させていく。
付喪神たちの想いは、「愛されたかった」「また会いたかった」といった失われた時間や届かなかった気持ちへの未練だ。それらは人間が抱く後悔の念と変わらない。本作は付喪神の姿を借りながら、誰の心の中にもある“報われなかった感情”を描いているのである。
なかでも印象的なのは、桜の付喪神のエピソード。百年にわたり大切にされてきた桜の木。桜の付喪神は、とある心優しい青年のことが気になっていた。しかし人間には寿命があり、ずっと共にはいられない。ある時から青年と会うことを諦めてしまった桜の付喪神の、最期の願いとは…?
美しく咲き誇る桜の裏に秘められた切なさと儚さは、「あの日伝えられなかった想い」を代弁してくれているようだ。
本作は付喪神という目に見えない存在を描きながらも、ホラーものや怪談話のようなビビッドな恐ろしさがない。あるのは、もっと静かで、優しい感情だ。忘れられた存在の声なき声に耳を傾け、その最期の願いを叶える。そんな繊細で温かい行為の積み重ねが、私たちの心に小さな灯をともしていく。
“成仏”ではなく“成就”へ。優しく、切なく、どこか懐かしい。『つくも神の弔い処』は、“大切な何か”をなくしてしまったすべての人に寄り添ってくれる、そんな物語である。