弁当の歌/絶望ライン工 独身獄中記㊻
更新日:2025/6/12

この連載は現実世界と同期を取っておらず、ある程度書き溜めたものから敏腕編集松原某に「今週はこれでいきましょう」と選ばれた原稿が載る。
某は撰者である。和歌で言えばTsurayuki Kinoのポジションにあたるが、令和の世では一介のサラリーマン、角川に囚われし労働者階級に過ぎない。
そんなわけでこの原稿がいつ掲載されるか与り知らぬ。
今も工場で働いているのか。アパートは撮影用のスタジオやろ、本当はタワマンに住んどるやろ──
そんな意見を稀に頂くが、この原稿を書いている今現在私は紛れもなく労働者であり、6畳和室のアパートで暮らしている。
ただこれが掲載される頃はどうだか分らぬ。
仕事を辞めて積立NISAで暮らす個人投資家になっているかもしれないし、住処を引き払い港区のタワマンで贅沢に暮らしているかもしれない。
或いは結婚してパパになり、子供をダシに小銭を稼ぐキッズチャンネルYouTuberになっているやもしれぬ。
都合の良い未来をあれこれ思い描くのは大変に楽しいが、向き合わなければならない現実として今の暮らしがある。
飯を煮炊きし銭を得るため働きに出る。私も松原某と変わらぬ、一介の労働者だ。
プロレタリアートの楽しみと云えば昼飯、正午に使う弁当である。
日替わりの配達弁当を楽しみに仕事へ出かけるが、もちろん手弁当でも大いに結構。
弁当は楽しい。作るのも食べるのも実に愉快だ。
手の込んだ美しい弁当もいいが、タッパーに詰めた飯の上にあれこれおかずを乗せただけの不格好なものを特に好む。
朝炊いておいた麦飯に目玉焼きを乗せ、冷蔵庫で一番しょっぱい漬物を入れましょう。
カッパ漬でもあったらブカァ~っとこう、入れろや。
冷凍食品のシウマイをガホィィインと詰めておけばもうそれでいいのよ。
酒と顆粒だしで卵焼きを作るのもいい。
我が一族は代々、卵焼きに酒を入れる。砂糖は使わず、キリリと塩味に仕上げる。
朝のハチャメチャに忙しい時間にかまどを使い、卵をくるくると返す。
不撓不屈の精神力が試される、魂の試練である。
卵焼きが仕上がったならそのままウインナも焼いちまいたい。
多めの油で火を入れたギラギラ光るウインナは、誰もが憧れるおかず界の向井秀徳だ。
海苔を敷いて揚げ物を乗せるのもいいし、晩飯で残った炒め物を乗せてもいい。
弁当は無様であれば無様な程愛おしく、昼が待ち遠しくなる。
昼飯時は電子レンジが込み合うが、せっかくなら弁当の臨場感を楽しみたい。
敢えて温めず、そのまま食べるのが小粋です。
浪漫派ならば即席味噌汁やカップ麺などスープをつけて、定食スタイルでライバルに差をつける。
配達弁当についてくる味噌汁を抜け目なく取っておき、ここぞとばかり手弁当に併せるのも狡猾で味わい深い。
狡猾といえばASKULでワンタンスープを注文し、会社の経費にしていたこともあったな。
昼飯は従業員の士気にかかわるのだから、これは極めて正当性のある行為である。
家中に何も弁当箱に詰める用意がなくとも、飯に梅干しや沢庵をつけたならば立派な弁当である。
漬物がなければふりかけでもよい。塩でも、何なら何もかけなくとも、最悪空のタッパーでもいい。霞食って生きるも又人生なり。
弁当箱という枠組みに入りさえすればルールは無用、限られた空間で道楽の限りを尽くすが勝ちと心得る。
おかずの組み合わせは無限大、想像力にまかせ各々が自由な感性で楽しんだら楽しんだだけ新しい献立が生まれる。
弁当はなんだか和歌に似ているな。
撰者よ、今こそ私も歌を詠まん。
梅の香に霞頬張る竹箸や待つを楽しむ昼の餉(かれいひ)
42歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。