ママ活相手の女性が本当のママに。「私と一緒に…ママとやりたかったことやってみない?」血の繋がらない男女、その背徳の親子愛【書評】
公開日:2025/6/17

子どもにとって母親は非常に重要な存在である。安心と愛を与え、それらが成長の土台となる。幼い時から母親の存在を知らずに育ったのであれば、その存在を欲してしまうのも仕方がないのかもしれない。
『アイノセンビキ 〜ママ活したらママができた話〜』(さと:原作、じゃが:作画/KADOKAWA)は愛を求める血の繋がらない男女の歪な親子物語だ。
出生と同時に母親を亡くした中学生の純は、母親の記憶をなにも持っていない。無償の愛とはどんなものなのか? 母性を求めるあまり、年齢を偽りママ活アプリに登録した純が出会ったのは早紀だった。早紀は純の「母親を求める思い」を受け止め、ママとして不思議な時間を提供する。
純が早紀と再び出会ったのは、純の高校入学祝いの席のこと。早紀が純の父の再婚相手として現れたのだ。
「私と一緒に…ママとやりたかったことやってみない?」ずっと母親に思いを馳せていた純は、早紀の申し出を嬉しく思う。アイスを交換し合ったり、添い寝で寝かしつけをしてもらったり。
それらは普通の親子であれば自然な行動かもしれない。しかし血の繋がりがない高校生男子と若い母親が主体となると、一般的とは思えなくなってしまう。
母親を知らない純は、早紀がみせる「ママとしての行動」が普通なのか変なのか判断がつかない。真意がつかめない早紀の言動に、読者も混乱しながら読み進めることになるだろう。
純と早紀の間にある愛情は、親子としてのものなのか、それとも――。それぞれの思いが見え隠れし、じわじわと境界線が溶けていく。ふたりの歪な親子関係はどうなっていくのか。純のママになるべく頑張ったという早紀の原動力は、なんなのか。
一線を越えそうで越えないふたりの距離感に、見てはいけないものを見ているような背徳感を味わうことができる。何とも言えないぞわぞわ感を味わえる1冊だ。
文=ネゴト / Ato Hiromi