「推しを戒名に入れたい!」リアル住職に聞いてみたら、戒名が高い理由と本当の役割を教えてもらい、お寺さんとの“縁”の大切さに気づいた話【蝉丸Pインタビュー】
更新日:2025/6/26
■戒名に宿る力……誓いを立てるのは「制約と誓約」と同じ?
――戒名は仏門に入るときにもらう名前なんですね。私は「葬式のときにだけ必要で、1文字ウン万円で買う物」みたいに誤解していました。
蝉丸P:
本来の意味で言えば、生きてる間に仏門に入る誓いを立てた証が戒名なんです。
で、この戒っていうのは仏教徒として守るべき行動で在家の人であれば「五戒」といって
不殺生 悪意のある殺生をしない
不偸盗 盗まない
不邪淫 不倫の関係を持たない
不妄語 うそをつかない
不飲酒 酒を飲まない
これが在家の人だと五戒。この五戒のうえに八斎戒というのがあって、例えば、歌ったり踊ったりをしない。高い建物や高い床とか高い寝具の上で寝ないとか戒が追加されます。
――五戒は「悪いことをしない」、八斎戒は「贅沢をしない」みたいな誓いなんですね。
蝉丸P:
そんな感じです。在家の人は五戒か八斎戒が基本だったわけです。
これが坊さんになると、さらにいろいろな戒と律があるんですけども、基本的に「仏教徒としてこれを守ります、こういう悪い行いを遠ざけます」っていう宣言をしたときに戒を授かる。
これが戒名を授かるということ。
――だから戒めっていう字を使うんですね。
蝉丸P:
で、戒めなんですが別に罰則はないんですよ。
この戒を守る、誓いを守るっていう行為というのはそれ自体に守られるっていう感覚があって、ものすごい不思議なパワーを持つと思われてたわけですね。
――自分がその決まりを守ると、自分も守ってもらえる。
蝉丸P:
最近だと、FGOで有名なケルト神話の登場人物クーフーリンの逸話に「ゲッシュ」って誓約があって「俺は生涯犬を食べない」とか「俺は生涯、敵の前で絶対に引かない」とかっていう誓いを神々に立てる。

誓いを立てることによって、その誓いを神々が善しとして特別な守護を得る。こういう感覚が洋の東西に通じて存在していました。
だから、仏教徒として戒を守るっていうのも無軌道に生きるのではなく、よりよい生き方をするというのと同時に、神仏の加護も授かる。戒を守って生きると自分の心も穏やかになるし、神仏から助けの手が入るという意味が受戒にはあったんですね。
今みたいに義務的に、葬儀のときに戒名をつけるみたいな話じゃなくて、割と自発的な話でもあったわけです。
――『HUNTER×HUNTER』の「制約と誓約」みたいですね。

蝉丸P:
そうそう。誓約、戒めを守りますよと宣言して守ることによって自分も守られる。
受戒するときに「人としての形が尽きるまで戒を守るか」と聞かれて「はい、これを保持します」って答えて、それで契約が完了するわけです。
その証としての名前が戒名という形になるので、本来は生きてるときにやるもの。

■戒名は「1文字ウン万」ではない! 誤解が生まれた理由と歴史
蝉丸P:
これが江戸時代になってくると、キリシタン政策によってキリスト教徒でないということを証明するために、みんなお寺に紐づけられちゃったわけです。
日本に住んでるんだったら必ずどっかのお寺の檀家であるっていう制度、寺請制度っていうものができた。それで死んだときに慌てて戒名をつけるのが一般的になった感じですね。
――言わば「強制檀家イベント」があったんですね。
蝉丸P:
ですね。強制檀家で必ず檀家に入るということは、今までは自発的に出家をしたり戒を授かったりっていうのが、強制イベントになっちゃったわけです。
現代も江戸の延長みたいなモノですから、ありがたみも半減どころか面倒くさいな!ってものになってしまった。
――自分から戒めを授かるという形ではなくなり、本来の趣旨から離れてしまったんですね。
蝉丸P:
仏門に入るという意味付け自体は、残っている部分もあるんですよ。
例えば、仏教の場合だと人間が死ぬっていうのは49日までは完全に死んだっていう扱いにならんのです。
体の働きが止まっても、まだ心の働きが最大49日間残るといわれておりまして、この49日間でどこに生まれ変わるかを選ぶ。
生まれ変わる場所は生前の行いで決まって6種類ある。「六道」というやつです。
ところが、六道はどこに生まれ変わってもしんどい。

1回の人生でもしんどくて、嫌な思いをしなきゃいけないのに、死んだと思ったら四十九日を経てまた別の所に生まれ変わるわけですよ。生きてるときに積み重ねたデータの偏り、いわゆる業(ごう・カルマ)によって新しい身体を得てしまう。
しかも人間に生まれる、その中でも良い境遇に生まれるってのはガンジス川から一粒の砂を探し当てるっていうレベルで難しい。
大乗仏教では、この「六道輪廻」の世界から抜け出すのが目的ですが、難易度が高いので落ち着いて修行に励める「仏国土・浄土」といわれる、如来が衆生の為に一般開放してくれた世界に行く救済思想が広まっていったんですね。

だから仏門に入るのは仏さんと縁を結んで、浄土に向かうためのパスを発行してもらう。それが戒名をつけてもらう意味になったわけですね。
仏さんにも出来ないことが三つあると言われ「縁無き衆生は度し難き」ってのがあって崖から落ちかけてるときに手を差し伸べても、握り返してくれないとどうしようもない。ファイトー!って手を出したら一発ぅう!って握り返すノリが必要なんですよ。
――なるほど。それで、葬儀に戒名が必要という話になるんですね。
蝉丸P:
仏教っていうのは「不生不死」なんですよ。目指す所は、二度と生まれず二度と死なない。
輪廻から抜け出して、もう生まれることがなければもう二度と死ぬこともない。
――特別な戒名の方が「良いパスポート」になるということはあるんでしょうか?
蝉丸P:
本来は特別な戒名とか院号とかっていうのは、生前にお寺の活動に寄与して貰ったからお渡しするんですよ。
お寺の手伝いをいつもしてくれたりとか、境内の掃除をしてくれるとか、何かイベントがあったときには必ず手を貸してくれるとか、そういう関係性があった上で「これをお渡しいたします」とあげるものなんです。

――金額とかではなく、関係性なんですね。
蝉丸P:
金の話になっていったのは明治・大正あたりから既にそういう風潮もありました。葬儀の費用は戒名料だけではなく、師匠として式を行う導師料+戒名料って感じなんですけどね。
田舎で継ぐものがない次男坊、三男坊が都会に行って就職をして、自分が年を取ったときに地元の寺に世話になれないし、近場でどっかのお寺に世話にならなきゃとなる。
そうすると、田舎にある実家よりも都市部の自分のほうが金回りがいいわけです。実家を追い出された恨みじゃないけれども「実家よりいい戒名をつけてくれ」というムーブが明治以降~昭和の中頃まではあったんですよ……。
不本意な形で故郷を出てきた人が、死の間際になって「お寺との関係性はないけど、自分の成功の証として良い戒名をつけてくれ」と言い出した。
――「実家の連中に一泡吹かせてやりたい! 金ならあるんだ!」ってことですか。
蝉丸P:
それなんですよ。まぁ辿れば明治・大正あたりの造船成金とか、そういう世相で「じゃあ、何をすれば貢献したって言ってくれるんや! 金か!?」って寄付するようになった。
お金を出して良い戒名をいただく、みたいな動きが一般化したのが昭和前半ですね。
昭和の前半というのは大正、明治の風習を強く引き継いでいて、まだ家父長制ガチガチの時代で長男以外は肩身が狭かった。その分、見返したい気持ちも強かったんでしょうね。
――「自分の力で成功したんだぞ」という思いが「戒名は一文字ナン万」のイメージにつながっているんですね。
蝉丸P:
社会制度の移り変わりとともに、戒名の意味が「仏門に正式に入りましたよ」っていう意味から、社会的ステータスを表すような扱われ方をしていくようになったんです。
例えば、石原裕次郎が亡くなったときに「石原裕次郎の戒名代はウン千万」みたいな話が週刊誌なんかに出たんです。
実際いくらだったかは分からないにしても寄付されたお金って、生前からご住職とおつき合いがあったご遺族が「故人をよろしくお願いします。自分たちも将来お世話になります」という関係性を含めての寄付だったはずなんですよ。
ところが、噂や断片的な報道だけ見ると「良い戒名をもらうために1000万とか2000万とか3000万積みました」みたいになっちゃうじゃないですか。

――戒名代の噂だけが独り歩きしてしまったんですね。
蝉丸P:
この金額を払えばこの戒名、逆にこの金額を払わないとよい戒名はもらえない、という理解になっちゃったんでしょうね。
「よい戒名のためには1000万出さなきゃいけない」なんて規則にされることは、さすがにもう今の時代ではないですが、故人を送り出すのに盛大にやりたい人もいるというのは想像の中に入れとく必要はあるかなと。
■それでも戒名って高くない? 葬儀ビジネスの仕組み
――本来、戒名を授かるときは師弟関係になるってことですよね。
蝉丸P:
そう、戒名は師匠が弟子に授けるもの。
だからお寺に行って、師匠から名前をもらって弟子になりましたっていう形式を本来踏まなきゃいけないわけですよ。
――それでも「戒名代は高い」とか「自分で作ればタダ」みたいな人もいますよね。Nintendo Switchに『戒名メーカー』というのがありますけど、どう思われますか?

蝉丸P:
戒名のパーツはこういうもんですよって学ぶ意味では別にいいんじゃないですかね。
ただ、『戒名メーカー』で作った戒名を使うとなると「あなたの師匠は戒名メーカーを作ったソフトメーカーですか?」って話になりますが……。
「自分で戒名を作りました」って人もたまに見ますけれども「自分に弟子入りって、意味わかんないんです」っていう話です。葬式不要と言いつつ世間のテンプレートから脱していないので、普通に散骨で海洋葬とか樹木葬にすれば良いのに、と思いますね。
――たしかに。戒名が必要ない葬儀の形もありますね。
蝉丸P:
「推し」と同じ字を入れてほしいとか、趣味を入れてほしいとか、って話も一応注意が必要ですよ。
好きなのは良いけど、名前ですからね。10年、20年と残ったりしますし、古来からうっかり歴史に名前を残すと大変なことになるパターンもありますし(笑)。
――「葬式のときだけの名前」と思っていると、おかしなことになってしまいますね。
蝉丸P:
誤解する人が多いのも仕方ない面はあります。昔ながらのお葬式は、今では結構な贅沢品になっちゃって知る機会も少ないから。
もうちょっと一般の人でも気軽に知ることができるようにしたいですね。SNSに貼り付いたり、ニコ生で配信したりしている人間としてはね。

――「超会議で戒名つけるイベント」なんてことはできますか?
蝉丸P:
それは無理ですね。
戒名を授けるってことは弟子にするんだから、ポンポンつけてたら「ちゃんと弟子として面倒見れんの?」っていう話になっちゃう。
で、さらに俗世の話をするんであれば、戒名料っていうのはお寺の収入として結構でかいわけですよ。
戒名だけを全然知らん人がつけて戒名料を取って、実際に葬式や墓などこれからお付き合いしていくお寺に「戒名料抜きの導師料だけでやってくれ」って、都市部はともかく地方じゃかなり失礼な話になりますからね。
ただ、最近はそういう業態も結構あるんですよ。「仲介サービス」ですね。

――お坊さんの仲介サービスというのは初めて聞きました。どういう業態なんですか?
蝉丸P:
資格は持ってるけど住職ではない人や、お寺だけでは生活が成り立たない小さな寺院の住職なんかを登録させて事務所を作って、お葬式のときに「うちの宗派これです」って言われたら「はい、何宗の坊さん1人派遣します」みたいな業態があるんです。
資格は持ってるけれども、お寺を持ってない坊さんっていうのは結構いる。そういう人はアパート、マンションに住んで、葬儀屋さんや仲介業者の下請けをする。
住職でも檀家さんが少ない寺はそういう仲介サービスに登録して、同じ県だからって端から端まで車で移動しても交通費は出なかったり、お布施は全額仲介サービスに渡してそこから日当をもらうみたいなパターンもあったりと、なかなかに酷い話も多かったりしますね。
うちは四国だから、まだ橋を渡らなくちゃいけないせいか本州で盛んな仲介業者があんまり渡ってきてないんですが(笑)。
――世知辛いですね。
蝉丸P:
日本のお寺の半分以上は、お寺だけではやってけないんですよ。
大体、普段はサラリーマンをしたり、昔は学校の先生とかしながら副業で、土日は坊さんとして法事、葬式なんかがあったら仕事を休んで葬式に行く。
そういう小さい所に照準を当てて「仲介しますんで、お葬式に行ってもらえませんか」と声をかけて下請けにする。
お坊さんは戒名をつけるけど「その客はうちの客であって、おまえん所の檀家にはならんからな」と言われ、遺族が「このお坊さんに後々お願いしたいな」と仲介業者をとばして寺にお願いすると「うちの米びつに手ぇ突っ込むとはいい度胸だ!」って訴訟沙汰とか。まぁ、そういう話もあるんですよ。
――代理店みたいですね。
蝉丸P:
檀家になるわけでもないから、戒名も葬儀のときだけのものになってしまう。江戸時代のやっつけ戒名でも寺との関係はありましたが、今は完全にその場限り。
お寺と接点があるわけでもないけれども、とにかく葬儀のときだけは体裁を整えるために仲介サービスに頼んで、見ず知らずの坊さんがやってきて、戒名をつけて帰っていく。
いわゆる家電で見てきた「アフターサービスの厚い地元の電気屋さんで買うか、安さ第一で量販店で買うか」みたいなのが葬祭の世界にやってきたって話です。

ただ、こういうのは地方都市と大都市圏でも違ってくるにせよ、地縁や血縁が強いならだいたい世話になる寺は決まってたり両親が墓地だけは用意してたりします。
逆に血縁や地縁が弱い、もしくは親戚づきあいも無いとかであれば仲介サービスや墓地を必要としない散骨など、選択肢は多いんです。
ですが、選択肢の多さ故に悩むというのも昨今の特徴かと思いますね。
――我々「末代」は、お寺との密接な関わりもないですからね。“やっつけ”になる可能性が高そうです。
蝉丸P:
伝統的な葬儀って、経済的な力があって親戚とか血縁がしっかりしているなど、今ではハードルが高くなっているので難しいんですよ。
ご供養ごとっていうのは、死んでからも個人を特定したいってなると高いんです。戒名と、お位牌と、遺骨を、いつ親族の人間が行っても、さっと出してさっとお参りできるようにして管理してもらうとすると、もう100万、200万、300万、1000万という話になるわけですね。管理費込みですから。
――お寺に管理し続けてもらって、ようやく「その人のお墓」が成り立つわけですね。
蝉丸P:
逆に、個人を特定しないなら話は変わるんですけどね。
例えば、遺骨を入れてくれる合祀(ごうし)の供養塔の世話になる、そこのお寺にお参りに行けば、みんなそこに眠ってるからOKとか、海洋葬や樹木葬なんかもランドマークがあればヨシ! みたいな。
江戸時代までは、ちっちゃいお墓を立てて、お参りに来る人がいなくなったら、墓石をゴロンと捨てて空いた所に別の人を埋めるぐらい雑な扱いだったんですよ。
これが明治に戸籍を持たせて、家父長制や「家」っていう概念を庶民に当てはめた。
さらに明治維新で近代国家となると、戸籍、税金、軍事、徴兵のために「家」という概念を庶民にやれと強制イベントになった。
――国民の人数を把握できるようにしたかったんですね。
蝉丸P:
昔は日本人の庶民は「家」なんていう御大層な感覚がなかったわけですよ。
三代拝む人がいたら続いていくけども、拝む人がいなくなったら適当に捨てておしまい、はい、終了。だからだいぶ楽だった。
明治になって、今度は日清、日露、太平洋と戦争が起こってくると、英霊っていう扱いになって、ちゃんとお墓とかは大事にしなきゃいけないとなった。
お武家さんとか天皇さんでも難しい家の存続という話を一般庶民に強要するわけですよ。

――無理を強いてきた仕組みが、もう無理が利かなくなってきたということでしょうか。
蝉丸P:
そうですね。今、人口減少でそういう無理が利かないもんだから、どうしようっていう話になる、昭和初期みたいに子供が8人とかであれば維持はできたかと。
それで樹木葬だとか海洋葬だとか遺骨を圧縮してダイヤモンドにしましょうみたいなのが増えてる。
昔ながらのお葬式ができる世帯と、お葬式が出せない家との経済格差や分断っていうのはかなりありますね。だから、今のお墓の形式や葬祭の意識は大分変わってきている。
■まずは「縁」……相談できる相手を探すのが本当の「第一歩」
――我々「末代」が生前に戒名をもらうことはできるんでしょうか?
蝉丸P:
できることはできますが。ただ、お寺さんとの関わりによります。
普段、全然関わりのないお寺に「戒名だけくれ」って言った所で「えっ?」て対応されますよ。
ただ先程の仲介サービスなら生前戒名授与なんかもあったりしますから、そういう所に希望を出してつけてもらうというのは可能かと。
――これからお寺と関わりを持とうと思ったら、どんなアクションが取れますか?
蝉丸P:
いわゆる菩提寺を探すというか、自分が話をしたり相談をしたりすることができるお寺さんと関係をつなげる。まずそこからですよね。
これが地元に残ってる長男とかだったら、大体代々親が世話になってるお寺があるから、そこの住職と法事なんかで顔を合わせるぐらいの最低限の接触はあったりしますよね。
もともと家でお世話になってるお寺があるんであれば、そこの住職とまずコンタクトを取って「生前の戒名をもらいたいんだけれども」とか「ちょっと仏門に興味があって」とか話をすれば、どこも無下にはしませんね。
――先祖代々の関わりがあるお寺があるなら、まずはそこですね。そういうお寺がない場合はどうでしょうか。
蝉丸P:
お寺と全然つながりがない、実家も遠いとなったら、そこで新たに信頼できるお寺さんなり、お坊さんなりを探そうってなりますが、でもこれはなかなかハードルが高い。昔よりは見つけやすくはなってますけれどもね。
今はネットで活動してる人なんかもいるし、情報発信してるようなお寺さんとか、そういう人にメールで聞いてみたりとか。
――「フォロワーです」くらいの薄い縁でも最初の一歩になるんですか?

蝉丸P:
薄くてもアリでしょうね。ただ、お寺さんが対応できるかという難しさはあります。
うちもネット上で「戒名つけてください」と言われても、お断りしますから。
――ネットの繋がりだけでは、そこまで面倒を見てもらえるか難しいかもしれませんね。
蝉丸P:
基本は対面というか面授が必須ですから……。
縁を持てるお寺さんを探すことに関しては、仏教側の怠惰という意味では申し訳ないなと思う所はあります。
そういう煩雑さを嫌って「もう葬儀なんかはしない」、「戒名もつけない」ということが多くなってきてるってことがあるわけですよね。
――もし、関わりを持てるお寺さんが見つかったとして、どのくらいお金がかかるんでしょうか?
蝉丸P:
最初は檀家じゃなくて信徒さんみたいな扱いですから年会費もかからない、けど行事の案内は来るみたいな感じですかね、うちは亡くなった人が出てから檀家さんとして数千円の年会費が発生する感じですね。
で、戒名代っていうのは、これがめんどくさい所で、定額の料金ではないわけです。
何故かというと「料金はいくらです」ってやっちゃうと、払えない檀家さんは戒名もつけてもらえんのかっていう話になりますから。

そういう場合、お寺は普段のつき合いを勘案して、値段がどうこうではなくて戒名をつけるわけです。
――普段の貢献で戒名をもらうという、本来の形ですね。
蝉丸P:
あと、税務上の問題もあって宗教行為だから、これがいくらですってやると商品になってしまう。
宗教法人の会計とは別に営利事業になったりしますからパチンコ屋じゃないですけど「よく知りませんがみんな景品を持って向こうの建物に入っていきますね」的な(笑)。
――戒名代に「このくらいの金額」という目安はあるんでしょうか?
蝉丸P:
地域とか宗派によりますね。
自分のいる地域だと、アライアンスを組んでいるお寺と檀家総代さんが全部集まって「この戒名つけるんやったらいくらぐらいを目安に」と相談して決めてますから、質問すれば総額でこれぐらいですよと提示してくれます。

ただ、たちの悪い所は「あなたが親御さんに対する気持ちを形にしてください」と、かたくなに金額を言わない所もあるわけですよ。
金額を言ったら、人間ってそれ以上は出さないけれども、気持ちといえばもっと出させられるでしょ。
たちの悪い所が多かったから、イオンのお葬式とか、お坊さん便とか、明朗会計でやりますっていう僧侶の仲介サービスが出てきたわけですし。
――お世話になれるお寺さんを見つけて、相談して決めていくことになるんですね。
蝉丸P:
そうですね。
だから戒名に好きな名前を入れてくれみたいなリクエストができるかどうかは、生前に住職と世間話をするぐらいの仲かどうかですよ。
――まず仲よくなってからですか。
蝉丸P:
仲よくっていうか、ちゃんと普通に実家の法事とかがあったときに「すんません、質問があるんですけど」とか接触して、ちょっとした世間話をするぐらいの仲だったら大概「こういう戒名、こういう文字を入れてくれ」って言われたら、いいよっていう話にもなる。

例えば、「ご相談があるんですけど……」って言われて聞いたら「お寺のことは生きてるときに済ませておきたい。だから生前に戒名くれ、葬式代も払っとくから」ってことがあって「ああ、分かりました、じゃあ戒名のリクエストどうします? 旦那さんとそろいの文字入れます?」なんて話をしたこともあります。
――揃いの字が入った戒名って、ロマンチックなつけ方ですね。
蝉丸P:
本当に関係があるお寺にちゃんと生前にこうしてほしいってリクエストをしていれば、大概は通ります。
「うちは必ずこの仏典からこの文字を入れなきゃいけません」みたいなことを言う人はあんまり見たことがないですね。ただ想像の斜め下な僧侶もいたりはしますから……。
――そういうお坊さんに当たらないためにも、生きてるうちに相談をしておくのが大事ですね。
蝉丸P:
生きてるうちに住職の人となりをちゃんと見ておかないと、大ごとになる場合もあります。
不味そうだったら近所で誰かいいお坊さんがいれば、そこに頼んでもいいわけですよ。ただ、本家の人は代々の縛りがあったり、お墓を人質に取られてたり、そういうこともあるから難しい場合がある。
都市部暮らしの分家の末代さんなら、生きてるときに近所の葬儀屋さんと段取りとかプランを話しておくとか仲介サービスに話を聞いてみるとか。高齢になったとき公的扶助を受けられるなら、面倒見てもらう人っていうつながりができるけど、人によっては孤独死しかないっていう状況だったりするのが、今の都市部ですから。
だから死の備えというよりは、高齢になったときの備えをどうするかっていうのが、まず最初かなと思いますね。

――話せる相手を早めに見つけておくのが大事ですね。
蝉丸P:
ですね。ただ、それができてりゃ末代じゃないよっていう人が多いわけだから。
――グッズとかデータとか「戒名」以前に、葬儀のときの段取りをどうするか、がスタートラインですね。
蝉丸P:
末代の備えとして、両親がまだ健在か、子供には話していないけど墓地を購入しているかどうか、両親のどちらかが既に亡くなっているか、その時に葬儀や墓地などはどうしたのか、墓地があった場合なら自分もそこに入るのか、墓地を処分して散骨などのサービスにするのか、永代供養や合祀の供養塔などでまとめてお世話になるのかなど、事前に決めていたり話し合いをしておくだけでグッと楽になりますし、いざって時にパニックにならない。
――まずは相談できる相手と「縁」を持たないと始まりませんね。
蝉丸P:
そうですね。戒名に関して言うなら「なんとなく葬儀に必要なのかな?」という感じであれば絶対に必要なものではありません。ただ心情的に御先祖さん達がつけてたからというのも立派な菩提心でもありますし代々紡いできた「縁」の上に成り立っている貴重な仏縁でもありますから、先々を見てもらう寺院にお願いするという伝統的なやり方もあります。
また、末代だから墓地などは処分して、供養塔や散骨・海洋葬など形の残らない形式にするけど、生前に仲介サービス経由であれ知己の住職であれ戒名をつけておいて、道号をハンドルネームにする、なんてのもアリです。武田信玄の「信玄」みたいに(笑)。
僧侶の立場からすれば生きてるうちに戒を授かって、それを意識しながら生きるというのは、ひとつの精神的な寄る辺として心を穏やかにする人生の指標たりえるので、葬儀うんぬんは別にして自覚的に授かって貰えば本来の形として良いかなと思っています。
地元の電気屋さんを選ぶか量販店を選ぶかみたいなサービスの違いはあれど、ただ葬儀の為にあるものではないので、そういうイメージに引っ張られずフラットに考えて貰えれば良いですし、じゃあそういうのは不要でってのもアリですが、なんにせよ終活みたいな話は元気なうちでないと出来ませんし、いつか必ず終わりは来るものなのでメメントモリの精神で終わりを見据えながら残りの人生をどう生きるのかを考える契機になれば幸いです。
[了]
「戒名でも推し活ができるのでは?」という気持ちで始めたインタビューは、「縁」や「コミュニケーション」の大切さに行きつきました。
戒名は自分の意志を込めるものであり、死後の名前であり、生前の人との関わりでいただくもの。
葬式の時だけ必要になり、高い値段で買うものではない。そして、葬儀の形は色々あるので戒名が絶対に必要ということもない。
戒名への誤解が改まった所で、まずは近所の葬儀場を調べる所から始めてみようと思います。
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