「交際の挨拶に伺いました」。16歳の娘の彼氏は、38歳の塾の先生だった。親子のすれ違いに入り込む“大人の魔の手”を描く『娘をグルーミングする先生』【書評】
公開日:2025/7/17

16歳の娘が交際相手として自宅に連れてきたのは、塾の先生だった。そんな唖然としてしまう展開から始まるのが『娘をグルーミングする先生』(のむ吉:著、斉藤章佳 西川口榎本クリニック副院長:監修/KADOKAWA)である。
夫とは早くに離婚。娘を女手ひとつで育ててきたシンママ・真美。進学校に通う娘・小春の成績が落ち始め、塾通いをすることに。そこで再会したのが、小春の小学生時代に副担任だった森先生だ。
顔見知りの先生がいる安心感からか塾に熱心に通い、小春の成績は回復。そんな折、「会ってほしい人がいるの」と小春から交際相手の存在を明かされる。そうしてやってきたのは、塾の森先生で…。
母と娘。互いを思いやり、大切にしようとしながらも、少しずつすれ違いが生まれていた真美と小春。娘が抱く母には打ち明けづらい本音、理解されない寂しさ――そんな心の隙間に、森先生は巧みに入り込んでいた。
思春期の子どもにとって、年上で頼りがいのある大人は自然と憧れの対象になりやすい。両親の離婚を経験し、母を気遣いながらも心に傷を抱えていた小春にとって、森先生の存在は次第に特別なものへと変わっていったのだろう。
小春と森先生の交際に悩んでいた真美は、人づてにある保護者を紹介される。その人の娘も過去に森先生から身体接触などの被害を受けていた。真美はそこで性的暴行を目的にしたチャイルドグルーミング(大人が子どもを手なずけ思いのままにしようとする行為)について知ることになる。
本作が描くのは、子どもの孤独と、そこに入り込むグルーミングの危うさだ。森先生は小春の心理状態を的確に見抜き、「僕たちは同じだね」と共感を示す。自分の一番の理解者であると錯覚させるような言動に、小春の心は次第にとらえられていく。
その過程は非常に巧妙であり、傍から見れば危うく映っても、渦中にいる小春にとっては「やっと自分のことをわかってくれる人に出会えた」と感じてしまうのも無理はない。
はたして、母はグルーミングの魔の手から娘を救うことができるのか。そして、母と娘の関係の行方は。親子の愛とは、大人の責任とは何かを読者に強く問いかける1冊だ。