「彼氏を作って普通になるよ」その言葉で、信じていた世界が音を立てて崩れた――理想を手放し、現実と向き合うふたりの少女の物語【漫画家インタビュー】

マンガ

公開日:2025/7/26

 最新の書籍や人気の漫画作品の情報を発信する「ダ・ヴィンチWeb」。今SNSを中心に話題を集めているホットな漫画を、作者へのインタビューを交えて紹介する。

 取り上げるのは、ふたりの少女・エマと咲良の関係を描いた『薔薇のつぼみの女王のための歌』。本作を手がけたのは書籍『倒立する塔の殺人』(皆川博子/PHP文芸文庫)や『かわいいピンクの竜になる』(川野芽生/左右社)などの装画を担当し、繊細な少女性表現に定評のある作家・水野みやこ先生。

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 本作はX(旧Twitter)で1.7万件の「いいね」を獲得し、注目を集めている。

 なお、本作は二部構成の物語となっており、第二部のエマ視点で完結する。本インタビューでは咲良の視点で語られる第一部の紹介とともに、水野先生に創作のきっかけや少女性の魅力を語ってもらった。

 女子校時代、エマは咲良を含む5人組グループの中心人物だった。高慢な性格ながらも、咲良はそんなエマを「薔薇のつぼみの女王さま」と呼び、ずっと味方であり続けた。エマは、同性の先輩・ニーナに密かな想いを寄せており、その恋心を、咲良はそばで静かに見守ってきた。

 やがて時が流れ、エマがその恋に破れたことを知った咲良は、「彼氏を作って普通になるよ」と笑うエマの一言に、胸の奥で何かが音もなく崩れていくのを感じるのだった。

少女時代は未熟で痛々しいけれど、だからこそ愛おしい

ーー『薔薇のつぼみの女王のための歌』を創作したきっかけや理由を教えてください。

「愛とか恋って、もっと高尚なものだと思ってた」

 親しい友人がそう言って、静かに涙を流したことがありました。私はそのとき何も言えなかったのですが、その言葉は胸に刺さったまま抜けず、長いあいだ沈殿し続けていました。

 やがてそれが、第一部の主人公・咲良の輪郭となっていきます。物語を愛する咲良は、まさに言葉から生まれた少女です。

 創作のきっかけを正確に説明するのは難しいのですが、「どうしても語っておきたい何かがある」と感じるとき、それはたいてい、自分の中にある整理のつかない思いや体験と向き合っている時期です。

 あの日の友人の一言のように、抜けない棘として心に残り続けていたものと。未熟で痛々しいけれど、だからこそ眩しくて愛おしい少女時代。それを極端に理想化するのでも、突き放すのでもなく、「そうだったよね」と静かに抱きしめるまなざしを形にして残そうと思いました。

 この作品は、私自身の過去そのものではありませんが、確かに在った少女たちの魂を切り分けるようにして描いた物語です。

ーーこだわった点や、「ここを見てほしい」というポイントはありますか?

 こだわったのは、エマや咲良を「物語の主人公らしい良い子」ではなく、現実にいそうな危うさや未熟さを持った存在として描くことです。

 自分を強く見せようとする。孤立したくないから我慢する。些細なことが許せない。大好きなのに時々苦しい、それでも一緒にいたかった。私たちが教室に置いてきた日々のすべてを抱えた、花のつぼみの少女像を目指しました。

 どこかで見たことがあるような、けれどもう記憶の彼方に遠ざかってしまった──たとえば、中学生の頃、隣の席にいたあの子のことをふと思い浮かべていただけたら嬉しいです。

 また、この物語は、咲良視点とエマ視点の二部構成になっています。咲良から見たエマは、棘のある薔薇の女王さま。強くて自分勝手で、それが誰よりも魅力的な少女です。けれど本人の視点に移ると、他人とうまく関係が築けない女の子として浮かび上がります。ぜひその理想と現実に注目してみて下さい。

 それを視覚的にも表現したくて、作画の違いによってエマの印象を描き分けました。第一部では凛として少し大人びた姿に。第二部では幼く、等身大の少女として描いています。

ーー気に入っているシーンや台詞を教えてください。

「人って変わるんだ みんな汚い嘘つきだ
どうして今まで気づかなかったんだろう?」

という第一部終盤の咲良のモノローグのシーンです。

 世界は思っていたほど綺麗じゃない。その現実を突きつけられ、潔癖なまでに純粋な理想を裏切られた少女の心が強く迫ってくる場面です。

 咲良は幼い頃から本に親しみ、特にファンタジーが大好きでした。物語の中で描かれる愛情は強くて優しく、運命的で、永遠のものでした。彼女にとって人と人との結びつきはとても神聖だった。その世界観がこの日、壊れてしまったのです。

 誰しも一度は、傷ついた記憶があるのではないでしょうか。現実が、想像していたよりも不誠実であることに。

 子どもではいられないけれど、大人にもなりきれない少女時代。この台詞を含む咲良の独白は、紙の本では前後4ページにわたって見開きで構成されている、本作の象徴的なシーンです。

ーー「少女性」のどのようなところに魅力を感じているのでしょうか。

 私が惹かれる要素のひとつに、少女性が持つ"切実な自尊心"があります。外の世界を拒絶し、気高くあろうとする姿に強く心を動かされます。現実よりも空想の世界に身を寄せ、ひとりで自分を抱きしめているような感受性を愛しています。同じ透明な魂を持つ誰かを見つけ、共鳴するふたりの関係も大好きです。

 繭の外側の価値観に汚されていないぶん、少女たちは時に残酷で、傲慢で、不器用です。そのことにも私は大きな魅力を感じています。たとえそれが、均された「良い子」からは外れていたとしても。

ーー 水野先生が描く少女たちは、髪型や衣装などの細やかな描写も目を引きます。少女達を描くうえで影響を受けた作家や作品はありますか?

 ジェシー・キングやゲルダ・ヴィーグナーなど、19〜20世紀初頭の女性挿絵画家の作品をよく見ています。

 布や髪の流れに宿る線の美しさ、曲線のやわらかさに惹かれます。漫画の画面に落とし込むのは難しいのですが、線が織りなす視覚的なリズムは、少女たちの姿を描くうえで大切にしたい憧れです。

 また、作画は空想だけで終わらせないように心がけています。たとえば本作の学校の場面では、想像や検索した写真ではなく、本物の制服を手元できちんと見て描きました。

 現実の観察を挟むことで、物語の中に手ざわりのあるリアルを滲ませたいと思っています。決して嘘ではない、「どこかにいるかもしれない少女」になってほしいからです。

ーー本作を通じて描きたいこと、伝えたいことを教えてください。

『薔薇のつぼみの女王のための歌』は、少女時代が終わるとはどういうことかを描いた物語です。

 それは単なる失恋や成長ではなく、信じていた価値観が音を立てて崩れる瞬間の痛みです。エマと咲良が共有していた理想の世界は、ふたりにとって残酷な形で壊され、初めて「現実は物語みたいに綺麗じゃない」と知る。

 第一部でそんな少女時代の終焉を描き、第二部では、それを胸に抱えながら生きていく姿を閉じ込めました。

 この物語を最後まで読んでくださった方にお伝えしたいのは、「あなたの中の少女は、否定されるべきものではない」という静かな確信です。

 本作が、繊細さや信仰心、理想の美しさを忘れずにいる誰かの心を、そっと肯定してくれる物語であればと願っています。

ーー今後の展望や目標を教えてください。

 今冬に新作の発表と個展を予定しており、現在はその準備に力を注いでいます。どちらも丁寧に紡ぎ、作品世界を愛してくださる方にとって心に残るものに仕上げることが、今一番の目標です。

 初めて個人の同人誌で漫画短編集『少女の国』を作ったときから、私が表現したいものの根っこは変わっていません。今後も透明で苛烈な少女性を大切に描き続けていきたいです。

 また、これまでに2冊の本の装画を担当させていただきました。いずれも、私の作風を深く理解してくださる方からのお声がけで生まれたご縁であり、作家として大きな喜びでした。個人的にも紙の本が大好きですから、そのようなお仕事に再び出会えたら嬉しく思います。

ーー作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。

 私は「これは自分の物語だ」と感じる作品が大好きです。誰かにとってそうなれたら素敵だと思い、少女たち自身による主観的な私小説のようなお話を描き続けてきました。

 当記事に掲載していただいている『エマージェンシーコール』は、心を傷つけられる目に遭ってしまった主人公が緊急で親友へ電話をかけ、その親友が優しく彼女の傷ついた心を受け止める物語なのですが、この作品を公開した際「この物語は自分の味方をしてくれている様に感じられた」といった感想を頂戴し、作家として誇らしい気持ちになりました。発表して本当に良かったです。

 それぞれの想いを抱きながら、作品を大切にして下さる方の存在に、いつも勇気をいただいています。あなたがページをめくるとき、それはあなたのための物語です。

取材・文=ネゴト /

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