究極のおつまみ/絶望ライン工 独身獄中記㊾

暮らし

公開日:2025/7/23

東京へ向かう高速鉄道の中は特別な空間である。
ひと仕事終えた帰路、田舎に帰省した戻り、若しくはその逆かもしれない。
座席に座ってシートを倒し、テーブルを引き出す。
アームレストが邪魔だ、そんなもの撥ね退けたらよろしい。

ホームの売店で買った缶ビールを開け、チップスターをザザッと広げたら個室居酒屋「のぞみ」が開店する。
車窓を流れる退屈な風景でも眺めながら適当に飲る。
時速200kmで地表を移動しながら酔っ払うのは特権階級にのみ許された至高の贅沢だ。
亜音速で対流圏を移動しながら酔っ払う王族の遊びもあるが、アレは風情も何もないのでここでは述べぬ。チップスターもないし。

高速居酒屋では味覚も高速になるのか、不思議とツマミが何でも旨い。
静止時はやれまずは塩で食えだの、ミズダコは三陸がいいだの、北海道がいいだの、肉の焼き方がどうたらこうたら、鮮度だ、直送だ、揚げるの10年見て修業だ、通信教育だ、銀座だすき屋だラーメン二郎だ、やんや。
そんなものに囚われんでも柿ピーやポテチ、カニカマでもあれば最高の夜になる。

そういえば自分は、しょっぱい味のするものなら何でも酒の肴にしてきた。
漬物や焼き魚はもちろん、菓子や汁物、豆腐に納豆、ふりかけまで。
味噌汁で酒が飲めることを見つけた時は世紀の大発見かと興奮したが、調べたら江戸時代の居酒屋は汁物を酒と共に出していたらしい。
そういえば東北には里芋を畜肉と煮込んだもので酒宴の席をもうける風習があるし、地元会津には豆麩のすまし汁で客人をもてなすしきたりも存在する。
加えて盆と正月は饅頭の天プラも出ます。
アレは茶請けにも肴にもなる、実によいものだ。

カレーを肉じゃがのように小皿に取り分けビールを飲んだり、カップ焼きそばをアテ代わりにしたりと工夫すれば何でも飲める。
「ごはんですよ」で飲むことすらある。もはやごはんではない。
そんな生活が祟ったのか、ついに体調を壊して塩分摂取量を制限せねばなくなっちまった。

困った、酒は飲めてもツマミがない。それで色々試してみた。
焼き海苔。いつも味海苔だが味がなくても十分旨い。コンロで炙ればさらによい。
納豆タレ抜き。これはダメだ、何を飲んでもギネスビールの味になる。
豆腐にバルサミコ酢をかけたやつ。これも厳しい、慣れれば旨いが肴にならぬ。
大根のつま。お刺身コーナーに行くとお刺身を買ってしまうので到底無理だった。
紅ショウガの千切りを一本づつ食べたり、昆布やワサビを舐めたりと血の滲むような努力の末、遂には境地へ辿りつく。

究極のおつまみ、それは心で味わうものなり。
人間の体内塩分量は体重の0.3%である。
目を閉じて集中し、血管を流れるナトリウム元素に思いを馳せれば不思議としょっぱい味がする——
なんてことは絶対になく、つまりは味覚以外の感覚に頼るということ。
酒が旨くなる文学作品や楽曲、映像を鑑賞すること自体を肴とする方法です。

そしてそれは高尚な芸術作品である必要はなく、下世話な動画投稿サイトなどで構わない。
下世話であれば下世話であるほどよい、などと云う人もいる。
私の場合は「一発逆転を狙い自分の丸パクり動画を上げ続けている人」を眺めながら飲む酒がずば抜けて旨いという時期が多分に存在した。

ところがこの頃は、気の毒が打ち勝ちそっと画面を閉じることが多い。
塩分を絶った私は随分と、優しくなりました。

<第50回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
42歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。