好き嫌いの美学/絶望ライン工 独身獄中記 第51回

暮らし

公開日:2025/8/20

3等階級市民向け短編動画投稿サービス「TikTok」でよく見かける油そば店へ行った。
何度も流れてくるので好奇心に負け、ついに食べに行ったものである。
撮影許可を取らず、勝手に食べて勝手に帰ってきた。
所謂無断撮影になるが、インターネット上での公平性を重視し敢えてそのような方法を取りました。
許可を取った上でおいしくなかったら・・・というまったくもって身勝手な配慮である。

ところがそこで食べた「辛まぜそば」は想定外に旨く、自分の大好きな味であった。
やたらレビューサイトの評価が低いが、百聞は一見に如かず。Seeing is Believingである。
後日店主様に連絡し、無断撮影のお詫びと許諾の如何を伺ったところご快諾いただいた。
油そば「鈴の木」、ネットの評判を鵜呑みにせず是非一度ご自身で味わってみて欲しい。

味の優劣は個人の主観に拠る所が大きく、旨いまずいの境界は実に曖昧である。
ヘリウムネオンレーザが出力する波長632.8nmの光源は疑いようもなく赤色であるが、赤とオレンジ色の境界は観測者によって違う。
この曖昧さを可視化したものが飲食店レビューサイトなのだろう、しかし星1や星5をつけているレビューはまるで参考にならない。
それは旨いまずいの曖昧さを逸脱し、個人の好き嫌いという大変に明瞭な二択でしかないと感じるからだ。

我々は生まれた時分から好き嫌いは悪であると教育されるが、私の個人的な好き嫌いで云ふなら好き嫌い自体を「好き」である。
そして好きよりも「嫌い」を大切にしてこれまで生きてきた。
嫌いなものがあるからこそ、好きなものができる。
誰かに嫌われるから、誰かに好かれる。
嫌われる覚悟がないのなら、誰にも好かれはしない。

例えば好きなものを挙げればキリがないが、嫌いなものはそう多くないハズだ。
私ならパっと思いつくだけでも4つくらい、ここに書けるものなら2つ。
豚足とスカバンドが嫌いです。

豚足は嫌いであると自認するが、今現在好き嫌いの境界がかなり揺らいでいる。
飲食店で豚足がメニューにないか探してしまうし、あれば真っ先に頼んじまう。
そして毎回食べて後悔する。
嫌いなら食べなければいいじゃあないかと思われるが、死ぬまでに絶対に好きになってやるぞという執念のような感情がある。
豚足がまずいのではなく、旨いと思えない自分の中に問題があるのだ。
俺はお前を諦めない。絶対に愛せるようになってみせる——
果たしてこれは「嫌い」に分類されるのか随分と疑わしい。

スカバンドは当事者や愛好家が存在するため(かつ実体がなく観念的なため)具体的に書けぬが、心から忌み嫌っているもののひとつだ。
学生時代仲の良かった友人がスカバンドに引き抜かれ、それから一切遊んでくれなくなった苦くつらい経験に起因する。
大切な人をスカバンドに取られた。スカバンドが、あの人を変えてしまった。
私はそんなスカバンドを、絶対に許さない。
それ以来私はスカバンドを憎むようになり、スカバンドのウェブサイトBBSを荒らすことでしか心の安寧を保てない哀しい男に成り果てた。

音楽大学を卒業しプロになれず就職も出来なかった管楽器奏者の末路をご存じだろうか。
ディ〇ニー落ちして過酷な労働をするか、TSUTAYAでバイトしながらスカバンドである。
私はスカバンドを見るためライブハウスへ足繫く通った。
大切な友人だったあいつが、ちゃんと不幸かどうかを確かめずにはいられなかったからだ。
ガラガラのライブハウスでヘンテコな帽子を被り、「チキッチキッチキッ」と奇妙な合いの手を絶叫するスカバンドを見るたび、絶望にも似た不思議な恍惚感を覚えた。
ああ、俺はこんな連中に大切な人を取られたのだ。
そして今も、俺たちの因果は続いているのだ。

「スカバンドが嫌い」だけで16行殴り書けるのだ、嫌いは好きより圧倒的に強い重力をもって人生に存在している気がする。
もちろん自分の中に問題があるのだが、この「嫌い」のエネルギーから学べることも多い。
好きなものは割かしコロコロと変わるが、嫌いなものはそう簡単に変わらない。
もう20年以上も他には一切目もくれず豚足とスカバンド一筋、大嫌いなの。
ブレない自分自身を誇らしくさえ思う。

嫌悪感は時に好きよりも強い執着、執念を生む。
そして好きなものと違い、人生でそう多く巡り合わない。
数少ない「嫌い」との出会いを、楽しみながら大切にしているってわけ。

ただ嫌いにフォーカスして憎みながら生きるのはなかなかにツラいわけで、心の片隅に嫌いを置いて、それを大切に愛でながら暮らすくらいが丁度いい。
すると不思議なことに嫌いなものを好きなものと同じくらい考えちまう。
そこで気が付く、嫌いは好きに内包された感情の動きであると。

嫌いは好きの一部である。
憎しみが愛の一部であるように。
戦闘行為が平和的外交手段の一部であるように。
死が命の一部であるように。
スカバンドが音楽の・・・いやそれはないか。

<第52回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
42歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。