地獄の職場/絶望ライン工 独身獄中記 第53回
公開日:2025/9/17

仕事終わりに日高屋についつい寄ってしまう。
1杯目は生ビールと決めているが、2杯目以降はホッピーセットでケチケチ飲む。
メンマかイワシフライを肴にするのがよいだろう、最近はコロッケと明太子ポテサラ、何より生姜焼きが愛おしい。
どっかり座って飲んでいると、向かいの席が騒がしい。
40代の男女が二人、どうやら職場の同僚らしいが、仕事の愚痴を言っているやうだ。
「また新しい薬剤師来るって。1から教えないといけない。」
「オープンからいてくれるのかな?店長に確認しないと。」
どうやら彼らはドラッグストアのパートタイム労働者で、薬剤師のシフトや勤務体系に不満があると見る。
話を聞くに、おそらくドラッグストアという空間は地獄である。
薬剤師とパートタイムのオバチャンに同じ仕事をさせるのはなかなかに酷で、そりゃ軋轢も生まれる、うまくいかないのが容易に想像できる。
仕事への取組み方や考え方、給与、立場や努力の総数に差がある2者を同じ箱に放り込んで労働をさせようというのだ、もう滅茶苦茶な話である。
そんな職場は数多くある。例えば飲食店なんかもそうだ。
我が愛すべき故郷、大自然が育んだ天然の刑務所である会津で暮らしていた際、小銭を稼ぐためレストランでアルバイトをしていた。
冬場のバイキングを準備するのが仕事で、朝6時から仕込みを始めて7時に開店する。キッチンは私、ホールは当時の店長の固定シフトだった。
2名しかいないので遅刻や欠勤は許されない、開店できなくなるからだ。
当時の店長は20代の女性で、東京から転勤で会津店舗を命ぜられた。
店舗唯一の正社員である彼女はその気の強さも相まって、随分と他のパートタイム労働者からは嫌われていたように思う。
会津という土地柄仕方がない気もするが、やはり外から来た人間への風当たりは強い。
もちろん私も大いに嫌われていた。
それは東京から戻って来たからではなく、もっと切迫した事由からだ。
30代独身男性(当時)、自称フリーランス実家暮らしアルバイト——その輝かしい経歴が田舎でどのようなジャッジメントを下されるか、是非想像してみて頂きたい。
女性ばかりの職場で私は浮き、仕事以外で口をきいてくれる人はいなかった。
そんな嫌われ者同士、なんとなく店長に親近感を覚えていたが、全員を従えなければならないと躍起になっていた彼女は怒鳴る以外のコミュニケーションしかできず、ますます従業員の心は離れていくのだった。
店長はよく遅刻をした。6時前に店についても鍵を持っているのは店長だ、寒い中来るまで外で待つことがよくあった。
遅れて来ても悪びれた様子もなく、
「開店まで時間がない!早く準備して!」
と急かしてくる始末である。
よく遅刻してくるのは有名で、7時出勤のパートさんに
「今日も準備できてなかったけどまた店長遅刻した?」
と聞かれるもいや、遅れてません。時間通りに来ていました、と庇うことも多かったように思う。
それでも仕事が遅いだの飯の炊き方が悪いだの小言ばかり言われた。
今考えると最悪な奴だったな、しかしチェインド・飲食店の社員にはこういった人物が稀に紛れているものだ。
「幹部」が視察に来る日などビクビク怯えて「掃除がなってぬわいッ!」などと従業員に怒鳴り散らしていた。
立場や能力に極端に差がある者を同じ業務に当たらせるのはなかなかに残酷で、かのような職場はブラックになりやすいと感じる。
そういった意味では以前勤務していた清掃工場などは謎の居心地の良さがあった。
皆それぞれ事情があるが、等しく同じ立場である。
タバコを吸ってパチンコを打ち、金が溜れば色街でパーっと使う。
ドラッグストアで働くよりも精神的な負担はなさそうだ。
会津時代のアルバイトは仕事も通勤もとにかく大変で、雪の日などはよく開店時間が遅れた。
それでもなんとかなったのは雪が降ると道路が凍って客が来ないから。
そして店長も来ない。開店時間ギリギリに来ては大慌てで準備をさせられた。
今考えると懐かしい、2人で店内を息を切らして走り回った。
そんな負けん気ばかり強い女性だったが、今朝もなかなか起きてこない。
遅刻癖は相変わらず、婚期もどうやら遅れたようだが、今では私の妻である。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
上の2行は事実無根のデタラメで、なんていうか本当にごめんなさい。 (それ以外は本当)
42歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。