イメージ戦略の敗北/絶望ライン工 独身獄中記 第56回

暮らし

公開日:2025/10/29

世話になっている方に声をかけて頂き、婚活エレクトリカルパレードに参加する運びになった。
婚活~は東京のクラブでハウスミュージックを流し、愉快に騒ぐ大人のパーティーである。
週末の夜、主催者に挨拶をするため渋谷へ降り立つ。
DJというのは酒を飲んで騒いでいればよいというわけではない、パーティーの成功に向け綿密な打ち合わせを重ねるのもまた仕事、いや婚活のうちである。

自分は僭越ながら柴犬と暮らす身分であるので、朝帰りは許されぬ。
終電で帰る算段でオープンから行くことにしたが、それにしても早く着きすぎてしまった。
時間を潰そうと近くの日高屋に押し入る。
ホッピーセットを頼み、鞄を探るが文庫本が見当たらない。
家に忘れてきてしまったようだ。
仕方なくイヤホンをつけコップにiPhoneを立てかけて、たまたま目についた婚活動画を見始める。

そうやってしばらく飲んでいると、隣の席でショウガ焼きを食べていた若者2人が横目に入った。
何やらこちらをチラチラ眺め、顔を見合わせ話している。
もしや我がchの視聴者殿か。しかし気にせずホッピーを作っていると、帰り際に
「いつも見ています」と声をかけられた。
不公平を生まぬよう無視を徹底しなければならないが、週末の高揚感に流されるまま小さな声でああ、ありがとうと呟く。

2人が大変に喜んで店を出ていくのを見送って、我ながら完璧すぎる境遇と空間演出にどきどきと震えた。
「土曜夜、独り渋谷の日高屋でホッピーを飲みながら婚活動画を見ていた」
誰が? 絶望ライン工がである。
動画のイメージと寸分も違わぬ、むしろ現実の方が悲惨な、そんな自分を見た若者は帰りにこんな会話をしたハズだ。

「絶望ライン工は実在した、動画のまんまだった! フィクションじゃなかった!」
「日高屋で婚活動画見てた! ホッピー飲みながら独りで、よりによって週末の渋谷で!」
「トトロいた!」
「とうもろこし揚げ(260円)食べてた!」

それを想像するだけで胸が熱くなる。
私は間違いなく若者2人を幸せにしただろう、彼らは今後の人生においてかけがえのないものを手に入れた。
絶望ライン工は嘘だ、収益でタワマン住んどる、贅沢しとる、女がぎょうさんおる・・・
そんな噂を耳にする度「トトロいたもん」が発動する。
はからずも圧倒的な説得力をもって私のイメージ戦略は成功し、世に伝播していくことだらう。

そんな事もあり日高屋で楽しく飲んで、ほろ良い気分でクラブへ入る。
財布の中がカラになるまで酒を奢り、愉快に騒いでギャルと戯れ、友人と猥談をしている間に終電を逃しタクシーで帰る。
泥酔した車内でぼんやり今夜の若者のことを思い出す。
イメージ戦略は敗北した。
トトロは何処にも、いないのだ。

酔っ払った独身中年男性を乗せ、タクシーは夜の街を滑っていく。
南へ——南へ! 柴犬の待つ6畳のアパートへ——!
心急く焦りとは裏腹に、眠気に誘われ寝言が漏れた。
「トトロいたもん——」

<第57回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
42歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。