迫稔雄が描くボクシング業界のリアルと狂気――『嘘喰い』『バトゥーキ』に続く挑戦作『げにかすり』は「綺麗ごとでは終わらない世界」【インタビュー】
PR 公開日:2025/11/22
なぜ今、ボクシングを描くのか? 『げにかすり』誕生のきっかけ
――その頃から「いつかボクシングを作品にしたい」と考えていらっしゃったんですか?
迫:まったく思ってなかったです。ボクシング漫画って、すでに偉大な作品が数多くありますから。今さら自分がその中に飛び込んでいくつもりは、まったくありませんでした。いや、本当に、ボクシング漫画を描こうなんて一度も考えていなかったんですよ。
――では、『げにかすり』でボクシング、そしてその裏側であるプロモーターの世界を描こうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。
迫:今までのボクシング漫画には“描かれてこなかった部分”をやってみたい、という気持ちでした。例えば、従来の作品は、ボクサー本人や試合そのものに焦点を当てたものが多いですよね。でも、プロモーターや興行の裏側……表には出にくいドロドロとした部分や、闇のような現実を描いた作品はあまりなかった。それを題材にできたら面白いんじゃないかと考えたんです。
――なるほど。確かに、ボクシングの裏の思惑までを描く作品となると、すぐには思い浮かびません。
迫:『嘘喰い』で“暴力”と“ギャンブル”の融合を描いたように、今回も“表と裏が共存するエンターテインメント”として描けたら、自分らしいボクシング漫画になる。そう思ったのが、『げにかすり』を描き始めたきっかけですね。
――ボクシングの表の部分は、試合を観たり、ご自身の経験もあるから想像しやすい部分もあるかと思いますが、裏の部分はどのように膨らませていったのでしょうか。
迫:裏の部分については、噂話くらいのものは耳にしていましたが、そういう話って結局、いくら取材しても知れるものと知れないものがあるじゃないですか。だから、最終的には自分で“作る”しかない。
――確かに。どのジャンルも裏を描こうとすると、言えないことのほうが多いですよね。
迫:意識していたのは、実際に起きた事件や、社会の中で報じられている犯罪といった、現実の出来事をヒントにしながら、自分の中で落とし込んでいくということ。それらを自分らしく料理して描けなければと。「きっとあるだろうな」と誰もが思っているようなことを、どう作品として具現化していくのか……。そこが『げにかすり』を連載していて一番難しい部分ですし、これからも課題になるんだろうなと思います。
――実在の事件と自分の想像を組み合わせていく作業は、かなり神経を使いそうです。
迫:その“知ることのできない領域”をどう描くか。これは『嘘喰い』のときも同じでした。闇ギャンブルの世界なんて、取材できるわけがない(笑)。そんなことを教えてくれる人はいませんから。だから、あの作品でも、自分の妄想と現実の事件をどう融合させるかを常に考えていました。こうした下地があったからこそ、今の作品が描けているんだと思います。

ハリーが映し出す、“ボクシング界のリアル”と人間の狂気
――ここからはキャラクターについてお伺いします。まずは、主人公・ハリー(針磨梁)について。第1話をまるまる使って、彼が歩んできた道や動機が丁寧に描かれていて、開幕早々に強烈に心を奪われました。
迫:彼は造形的にも、誰かをモデルにしたようなキャラクターではまったくありません。ただ、彼の境遇といいますか、なぜこの世界に足を踏み入れたのか。そして、恨みや復讐心を募らせ、“裏方として挑む”というベクトルで生きていく姿は、ある意味ではもっとも王道なモチーフかもしれません。業界を知っている人からすれば、リアルな動機として納得できると思います。
ただ、一般の読者の方は、そんな世界があること自体を知らないと思うんです。だからこそ、そういった現実の側面や、ボクシング界の“当たり前の知識”を物語の中で伝えることもできるんじゃないかと感じました。例えば、プロテストにも種類があることや、コミッションと協会は同じ組織ではないことなど……。僕自身、取材の中で初めて知ったこともたくさんあったんですよ。
――ご自身もボクシングをやられてきたとはいえ、取材を通して改めて知ることも多かったと。
迫:そうですね。僕が知っていたのはあくまでアマチュアの世界、それも年配の方が出場する大会の内容です。プロの世界の仕組みについては、まったく知りませんでした。中には、プロでジムを経営している方でも意外と知らないことも多いんですよ。先ほど挙げた例もそうですが、日本ボクシングのランキングは、コミッションのメンバーと新聞記者を含めた5〜6人ほどで決めているなど、そういった実情は、プロの方でも意外と知らない人が多いと思います。
――なるほど。ちなみに、ハリーを描かれていていかがですか? 過去作の主人公たちと比べて、違う手応えや難しさを感じることはありますか?
迫:まったく違うキャラクターですね。今まで描いたことのないタイプだと思います。彼は「リングで死にたかった」というほどの極端な衝動を抱えている。その狂気の部分が、これからどうなっていくのか僕自身もまだわからないんです。あのまま突き進むのか、それとも変化していくのか。はたまた彼も“げにかすり”になってしまうのか……。

