迫稔雄が描くボクシング業界のリアルと狂気――『嘘喰い』『バトゥーキ』に続く挑戦作『げにかすり』は「綺麗ごとでは終わらない世界」【インタビュー】
PR 公開日:2025/11/22
敵か味方か『げにかすり』を揺らす魅力的なキャラクターたち
――先生ご自身もハリーの行く末はまだ見えていないと。ちなみに、ハリーと同じくらい、私はタイラー原にも強く心を掴まれています。彼についてもお伺いしてもよろしいでしょうか。
迫:イメージとしては、ハリーが裏で動くときの協力者。でも仲間とは限らないし、場合によっては敵になるかもしれない。そんな、どこか安心できない存在が欲しかったんです。現実の世界にもいますよね。裏の事情に精通していて、表には出せないけれど、何か理由があって協力してくれる“悪い人”。作中では、ハリーが彼にリングサイドの席を用意してくれたりして。タイラーもどこかそんなハリーのことを……
――だいぶ気にかけてますよね(笑)
迫:でも、彼らは決して簡単に信頼できる関係ではない。お互いにどこまで踏み込めるのかがわからないからこそ、「敵になるの? 味方なの?」という緊張感を持ったまま関係が続いていく。そんなキャラクターが欲しかったんです。
――迫先生の作品には、悪であっても読者が完全に嫌いになれない、どこか愛嬌のあるキャラクターがよく登場しますよね。前作『バトゥーキ』のB・Jのように、実は幽霊が怖かったり……そうした“憎めなさ”のような要素は、意識して描かれているのでしょうか。
迫:意識せずとも、自然とそうなってしまいますね。人間って、単純にレッテルを貼れるような存在ではないじゃないですか。今の世の中、誰かの発言に同調しただけで「信者だ」「差別主義者だ」と決めつけられることもありますけど、実際はもっと複雑で、いろんな要素が絡み合っている。
タイラー原のように、悪いことをしている人間でも、やっぱり人間ですから、どこかしら魅力的に見える部分がある。好きなものもあれば、トラウマを抱えていることもある。そうした“誰にでもある部分”を描くと、自然と親近感が生まれるんです。僕としては、当たり前の“人間”を描いているだけなんですけど、それが読者にとって面白さに繋がっているのかもしれません。


――あと、もう一人気になるのが、なんといっても華火です。行動が派手なわりに、自分の主張や本当の動機が見えづらい。実は一番得体の知れないキャラクターのようにも感じます。
迫:実は、華火の心情についてはあえて一切描かないようにしています。いくつか理由がありますが、その中のひとつが、“ボクサー自身の心情”を描かないという方針によるものです。思いを言葉で表すシーンはありますが、心の中で何を思っているかは、あえて出さないようにしています。ハリーには内面の描写がありますが華火にはない、そこは意図的に差をつけています。
というのも、僕たちも実際にボクシングや格闘技を観ているとき、選手の心の中まではわからないじゃないですか。だから観る側は、「今ちょっと心が折れたんじゃないか」「弱気になっているのかも」「怒っているのかも」と、外側の動きや表情から心情を想像しているんですよね。
――確かに。表情や仕草から読み取っているだけに過ぎない。
迫:その“わからなさ”を漫画で表現したいという感覚ですね。逆に、心の中を描いてしまえば、読者が同調できる部分も生まれるんですけど、僕はそれを“外側の情報”から感じ取れるようにしたい。例えば、トレーナーや応援している誰かが「こいつはこういう思いで戦っている」と語るように、周囲の人物を通して心情を浮かび上がらせる。本人の心の声ではなく、外側からの描写で伝えるように意識しています。

