マツヤマイカ「音楽活動が、自分の中で“呪い”になっていた」。新曲「琥珀色のロンリネス」がついに念願のアニメ主題歌に【インタビュー】

エンタメ

公開日:2025/12/6

音楽活動は「呪い」だった? ルーツにある“懐かしさと新しさ”

──そして2023年からは音楽活動も本格的に始められました。音楽遍歴はどのようなものですか?

マツヤ:私の幼少期は、米津玄師さんがハチとして活動されていたボカロ全盛期だったので、ずっとボカロ曲を聴いていました、そのあと日本のバンドにハマってバンドをやりたいと思ったんですけど、高校生でK-POPにハマって「K-POPアイドルになりたい」って思って。……そう考えると、ずっと好きなものに影響されてきていますね(笑)。でもずっと好きなのは「テクノサウンド」。ボカロもテクノのものが好きだし、サカナクションやPerfumeはずっと好きです。

──ちなみにバンドをやりたいと思っていたときは、何か楽器を始めましたか?

advertisement

マツヤ:はい。形から入るタイプなのでアコギを買いました。友達に教えてもらっていたんですけど、これを極めようという気持ちにはならなくて。「やるならボーカルかな〜」とか思いながら、メンバーを集めることもせずに、夢を見ているうちにK-POPにハマって。

──K-POPにハマったのは何がきっかけだったんですか?

マツヤ:幼馴染から、急にイケメンの画像が送られてきたんです。「見て、すごくない?」って。その画像を見たら、確かに人間とは思えない美しさだった。そこから調べていくうちにどんどんハマっていきました。それまで自分の将来の夢はずっとぼんやりしていたんですが、SHINeeのライブに行ったときに、「私がなりたいのってこれじゃない?」と思って、そこからオーディションを受け始めました。

──そして2023年には初のオリジナル楽曲として「センチメンタル・ムーン」を発表、翌年2024年6月には「猫の子」でメジャーデビューを果たしました。SNSでさまざまな表現をしてきたマツヤさんが、本格的に音楽活動を始めたのには何か理由があるのでしょうか?

マツヤ:ずっと「アーティストとして活動したい」という目標があって。それが自分のなかで呪いのようなものになっていたんです。アーティストとして活動することは“やらなくちゃいけないこと”だった。ただ、曲作りはやったことがなくて。でもやるならセルフプロデュースがいいなと思っていたので、周りの曲を作ったことのある友達に聞いてみたら「もしかしたら私にもできるかもしれない」と思えるようになって。実際にやってみたら、難しかったけど楽しかったんです。だから「意外とできるかもしれない」と思って本格的に始めました。

──ご自身のアーティスト像みたいなものはどのようなものを描いていたのでしょうか?

マツヤ:1曲目を作る前から、“懐かしさの中に新しさがある”みたいな音楽をやりたいなというのは思っていました。もともと昭和テイストの楽曲は好きだけど、あまりに古すぎると今の子は聴いてくれない。かといって新しいことだけをやっても埋もれていっちゃう。だから自分が好きなものに、今のものを取り入れてみようと思って。

──そういえば、先ほど音楽遍歴を伺った際に昭和歌謡は出てきませんでしたが、そのあたりは通っていますか? それとも音楽に関してはご自身の感性から生み出している?

マツヤ:スターズ、山口百恵ちゃん、松田聖子ちゃんなどが常に車の中で流れていて。私としては幼少期から聞いていたので、竹内まりやさんなどを聴くと、妙に懐かしさを感じるんですよ。その世代じゃないのに。

──「聴いて育っている」という状態ではありますもんね。

マツヤ:そうなんです。当時のテレビの映像とかを見てみると、めっちゃキラキラしているんですよね。今のアイドルって、大人数でやっている方が多いですけど、当時はソロでアイドルをやっている方が多くて。衣装もキラキラしていたりして、お金をかけている感じも良かった。そこに憧れに近い感情を抱いて、そういうものを再現できたらいいなと思いました。

あわせて読みたい