体が入れかわってしまったふたりの漫画家が、それぞれの譲れない矜持を懸けて対決!『龍とカメレオン』
公開日:2023/7/5

「味わいたくはないか?ここに在る珠玉の読切ネーム」
新人漫画家・深山忍は、担当編集者にこう言い放った。大言壮語……ではない。そのネームは担当編集者の胸の真ん中を鋭く切り裂いた。とても新人とは思えない深山とは一体何者なのか?
「次にくるマンガ大賞2023」のコミックス部門にノミネートされたのが本作『龍とカメレオン』(石山諒/スクウェア・エニックス)だ。ストーリーは、新人の深山がライバルの漫画家たちと切磋琢磨し、累計発行部数1億5千万部超えの大人気マンガ「ドラゴン・ランド」の作者・花神臥龍に挑戦していく、というものだ。しかし単なる深山の成長物語ではない。
物語は花神の原稿の締め切り日、深山がヘルプとしてアシスタントに入ったところから始まる。
天才漫画家とカメレオン漫画家が相まみえ、入れ替わる!
花神臥龍は天才である。画力、制作スピード、台詞のキレは圧倒的で、雑誌「少年ワンダ」の看板作家だ。だが彼の凄さはスキルだけではない。それは「漫画を描くのが好き」という気持ちの大きさである。“漫画中毒”とも言われる花神は、寝食を忘れるほどにのめりこみ、漫画界のトップの一人となったのだ。


花神の無邪気さにイラついていたのが、アシスタントの深山忍だ。彼は他人の絵柄のクセをまねたりデフォルメしたりするのが得意で、アシスタントに行った先の作家の絵柄を完全コピーしてみせ「カメレオン」と呼ばれていた。ただ編集者からの評価は「個性が無い」であった。花神は明るく「個性の無い人間などいない」と言う。深山はそれに反発し「あんたら天才は努力しても成功できない奴を、努力が足りないと見下す」と吐き捨てて去ろうとするが、そのとき階段で足を踏み外す。花神はそんな彼を助けようとし、ふたりはともに転落、意識不明に――。


花神は気が付くと、病院のベッドの上だった。そして鏡を見ると、そこにいたのは深山だった。もちろん花神の身体には深山がいた。まさに漫画のように、ふたりの中身が入れ替わったのである。
「作画の完全コピー技術を使い、自分は花神臥龍として生きていく。ストーリーは、元の人気に乗っかれば適当でも現状維持は余裕だ」と花神の顔で深山は言い、この状況を積極的に受け入れていた。
深山になった花神は怒る。それは入れ替わったことではなく、カメレオン漫画家の“作品に対する姿勢”に対してだった。あくまで天才漫画家は、大好きな漫画基準で物事を考える。彼は自らが生み出した「ドラゴン・ランド」を超える漫画を描き、漫画界の頂点にいる自分(になった深山)に勝つと決意する。漫画を舐めた態度の後輩に分からせるために。そして、何より自分が花神臥龍であることを知らしめるために。


生み出した作品のパワーは必ず人に伝わり、心を動かし、行動を変えられる
かくして、漫画界の昇り龍と人気漫画家に化けたカメレオンとの対決が描かれていく。深山として歩き直すことになった花神は、本稿冒頭のように「少年ワンダ」編集部へネームの持ち込みを行う。担当編集者・多知川は、花神と深山が入れ替わったと聞かされても最初は当然のように信じない。だが、もともと知っていた深山本人とはまったく異質な作品に圧倒され、深山の中身が別人だと認めざるを得なくなる。
花神は自分の作品の力を信じている。多知川のように、読んでもらえれば自分が本物だと分かってもらえるはずだと。確かに入れ替わって再開した「ドラゴン・ランド」の質は明らかに低かった。……最初のうちは。
深山忍の名で読み切り作品が掲載された「少年ワンダ」で「ドラゴン・ランド」は神回を迎える。“モブキャラクター”から“主人公”に成り「二度とモブには戻りたくない」カメレオンは、絵柄以外の実力もコピーしたのか、それとも漫画家として覚醒したのか。ここで確かなのは、読者はもちろん「少年ワンダ」の作家たち、担当編集者、そして花神本人にも作品の凄みは伝わったということだ。
漫画に限らず、優れたクリエイティブ作品は皆、それを受け取った相手の心を動かし、さらに何か行動を起こさせる。
漫画で言えば、読者は作品に感動してファンになり、他人に薦めたくなる。中にはインスピレーションを得て、自分でも漫画を描く人がいる。漫画の担当編集者は作品をより良くしようと作家に力を貸す。漫画家同士であれば、才能や実力の差を感じて打ちのめされることはあるかもしれないが、自分の漫画制作スキルを磨き、少しでも面白い漫画を世に出そうとさらに努力する。
花神と深山は、相手が描いた漫画で心を切り刻まれながらも作品を生み出してバチバチにぶつかり合い、ふたりはお互いに高め合う仲になっていく。
読者たる私は『龍とカメレオン』に心を揺り動かされて、いてもたってもいられなくなり、本稿を読んでくれているあなたに薦めてしまっている。そんな大きな魅力とパワーが、この作品にあるのだ。
文=古林恭
©Ryo Ishiyama/SQUARE ENIX