死んだ兄がバケモノになって恋人に憑りつく? 兄妹を巡るいびつでおぞましい愛と呪いのラブストーリー『兄だったモノ』
公開日:2023/8/31

死んだ兄は“怪物”になって恋人だった男性と共にいる。妹の私が彼に抱く感情とは――。
『兄だったモノ』(マツダミノル/GANMA!)はミステリアスで、いびつで、おぞましいラブストーリーだ。「次に来るマンガ大賞2023」Webマンガ部門にノミネートされた話題の作品である。
謎が謎を呼ぶ展開と、登場人物たちの外面と内面がじっくりと描かれることで彼らの印象が大きく変化していくのが注目だ。本稿のライターは読み始めるとページをめくる手が止まらなくなった。
物語は、主人公の女子高生・鹿ノ子が死んだ兄・騎一郎の墓参りに、兄の恋人だった青年・中眞聖と二人で来たところから始まる。

■恋した男に取り憑いた怪物との賭け
鹿ノ子の兄・騎一郎は、病に倒れ、恋人の聖を残して死んだ。鹿ノ子は、兄が暮らしていた聖の自宅を訪れるようになる。その家には兄の骨壺がそのまま置かれていた。

兄の葬儀に出向いた聖は、鹿ノ子たちの両親に追い返されていた。彼らは聖を恋人だと認めていなかった、と鹿ノ子は考えている。そんな聖が立ち去ろうとしたとき、鹿ノ子は遺骨を渡した。それは聖と繋がり続けるためだ。感謝し、涙する彼を見て鹿ノ子は「ずるい」と感じ、聖への恋心を自覚した。彼女は兄の元恋人と、親戚付き合いのような関係になる。想いを秘めて。
鹿ノ子は聖が自分を女性として見なかったら「負け」で、たとえ一瞬でも女性として見てくれたら「私の勝ち」だと決めた。彼女は何と賭けをしたのか?

賭けの相手は、聖の背後に取り憑く“兄だった”何かだ。その怪物は鹿ノ子にしか見えておらず、彼女に「トルナ」「オレノダ」と呻くように語りかけてきた。聖の前で可愛らしくふるまっていた女子高生は、その「兄だったモノ」に一切怯えを見せない。

兄をしのんでいた妹は、その相手=聖を奪おうとしている。しかもそこに現れた人ならざる何か……。1話の情報量の多さに、読んでいて頭を揺さぶられた。ここで私は、本作は化物の正体に迫るミステリーであり、禁断のラブストーリーだと思ってしまった。だがこの物語はそう単純な構造ではない。
■「兄だったモノ」の謎といびつでおぞましい恋の行く末
鹿ノ子に加えて、聖と「兄だったモノ」と彼らの“元恋人たち”が動き出す。すると物語の奥行きが広がり、見える謎が増え、ストーリーは読者の想像の斜め上をいく展開に――。

鹿ノ子は貯めていたお金を使い聖の家へ通う。その間に聖が、電車が近づく踏切の中に押し出されそうになる場面に遭遇し、さらに彼の体に傷つけられたような痣を見つける。彼女はそれらを「兄だったモノ」の仕業だと考えるが果たして――。

さらに鹿ノ子が聖のもとへ来ていたとき、南カンナという女性が線香をあげたいとやってきた。彼女は騎一郎の元彼女で、重要な役回りを担うことになる。なぜならカンナも鹿ノ子と同じく「兄だったモノ」を見ることができたからだ。
鹿ノ子とカンナは話し合い、怪物が聖に危害を加えようとしているのではないかと考える。そこで鹿ノ子の見てきた聖と兄、二人の印象がカンナとは異なることが提示される。
また、意を決してカンナが一人で聖の家に行ったとき、怪物はカンナを拒まない。鹿ノ子に対してのような独占欲も見せず敵意も向けてこなかった。不審がさらなる謎に変わり、彼女は知り合いの霊能力者・藤原頼豪に連絡して鹿ノ子と三人で話し合う。そこで藤原は「そもそもその怪物は本当に騎一郎なのか」と問う。カンナと鹿ノ子が知る生前の騎一郎の印象が死後とで違いすぎたからだ。

「兄だったモノ」について探るために聖のもとへ通いながら、彼との関係を深めようとする鹿ノ子をカンナは心配する。なぜなら過去に(現在も)聖と付き合いのある複数の人間が、彼に強く執着するようになって、おかしくなっていたからだ。さらに聖はそのことを認識しているようなのだ。カンナは彼を、無垢で可憐を装いながら猛毒を孕んでいる植物“鈴蘭”のようだと感じていた。
物語が進むにつれて「兄だったモノ」という謎が深まる。そして中眞聖という男の解像度が上がり、彼の印象が変わっていく。
兄の遺骨を受け取って泣いていた聖
怪物に取り憑かれていることに気づかない聖
過去に人の心を狂わせてきた聖
やがて鹿ノ子の気持ちに気づく聖、が描かれる。そのとき二人は……。
本作を一度読み始めれば、ページをめくる手が止まらなくなるだろう。そうなったらぜひ一緒に最後まで見届けよう。“お互い”を知っていく鹿ノ子と聖の、ミステリアスで、いびつで、おぞましいラブストーリーの行く末を。
文=古林恭