ココ・シャネルの「本物はコピーされる運命」という生き方。自分のスーツのコピー品を褒めて買取する、孤独を武器に生き抜く姿を描いた1冊
公開日:2024/1/1

20世紀初頭からファッションデザイナーとして活躍し、89歳で死に至るまで世界の代表的なファッションデザイナーであり続けたココ・シャネル。戦間期における彼女のデザインは女性の社会進出が進んでいた当時の世相と適合し、世界のファッションスタイルに大きな影響を与えた。現代のファッションにも多大な影響を残しており、シャネルが生み出した服によって、女性の標準的なスタイルがカジュアル・シックな服装と確立されたとされている。
ファッションデザイナーとして大成功を収めたシャネルだが、華やかなキャリアの裏側で、その人生は孤独との闘いであったという。『ココ・シャネル 孤独の流儀』(髙野てるみ/エムディエヌコーポレーション)は、そんな彼女が遺した数々の言葉から、孤独を武器に人生を切り開いていったシャネルの人生を読み解く一冊だ。
◆わたしに馬の世話をさせてみない?
シャネルが12歳のとき、母が死去した。父は息子2人を農場労働者として送り出し、娘3人を孤児院に預けた。その後、シャネルは叔母がいるムーランの寄宿学校で暮らし、そこで覚えた裁縫の技術を元に、卒業後は仕立て屋で働くようになった。
仕立て屋で働きながらムーランのキャバレーで歌を歌っていたとき、彼女に目を留めた将校がいた。エチエンヌ・バルサンという、裕福な家の息子だ。バルサンは当時の社交場である競馬場にシャネルを連れて行く。そこでは貴族や富裕層の男の愛人たちが、美しく着飾り、しゃなりしゃなりと歩いていた。裾の長いドレス、過剰にデコラティブで頭を動かすことさえ容易ではない重い帽子――男好みで動きにくい服装に、シャネルは嫌悪と憎悪を募らせたという。競馬場での反発心が、のちのシャネルの“動きやすく、お洒落”なデザインに繋がっていく。
バルサンとの出会いには諸説あり、シャネルのほうからバルサンを誘惑したという説もある。そのときに言ったとされるのが、「わたしに馬の世話をさせてみない?」というウィットに富んだ台詞だ。身寄りのない若い女のシンデレラ・ストーリーは、ここから始まった。
◆本物はコピーされる運命にある
当時の女が好きな素材といえば、本物のシルクや柔らかく光沢のあるもの。しかしシャネルは英国紳士が身に着けるツイード地でスーツを作った。高級感もあり、エレガントだがマニッシュでストイック。媚びないエスプリが醸し出され、魔法を使ったような女のためのツイードで織られたシャネルのスーツは、モードを超えた、シャネル・スタイルの最高峰アイテムとして現代でも愛されている。
彼女がスーツを世に出してから、露店で偽物のシャネル・スーツを発見したという。彼女は怒るどころか、「よくできているわね」と購入して持ち帰り、解体して研究したというから驚きだ。コピーされる安物のシャネルは、本物のシャネルの宣伝になるではないか。大いに真似されて結構。本物をほしがる女たちへの「ありがたさ」は右肩上がりになっていった。
◆女性にとって愛することほど最大の不幸はありません
恋多き女としても知られるシャネル。彼女の恋愛流儀は、恋に溺れないこと。我を忘れるような恋はしないこと。仕事に差し支えますからね、と彼女は言う。そんなシャネルが熱愛したのが、アーサー・カペル。イギリスの上流階級で、シャネルをパリのアパルトマンに住まわせ、彼女の最初の店舗の出店費用も提供した人だ。
シャネルはカペルとの結婚も夢見ていたが、カペルは交通事故でこの世を去る。その後も、世間が言う“女の幸せ”を手に入れようとすると、不幸が見舞うシャネル。仕事で成功しても、運命の女神は彼女から愛する人をさらっていってしまう。「結婚するより仕事に生きなさい、あなたの子どもはあなたが生み出す二つとない素晴らしいドレスやスーツでしょう、と守護天使に命じられているかのようだ」と著者は言う。
12歳のときに母が亡くなり、父も行方知らずに。2人の姉は自死を選び、生涯結婚せず、仕事に生きることを選んだシャネル。その“孤独の流儀”の中に、わたしたちはいまを生きるヒントを見出せるに違いない。
文=尾崎ムギ子