逃れられない監獄で出会った2人の物語――異色のボカロP・煮ル果実の小説家デビュー作『ポム・プリゾニエール』収録「紗痲」試し読み#01
更新日:2024/1/30
異色のボカロP・煮ル果実の小説家デビュー作『ポム・プリゾニエール』が、2024年1月22日(月)に発売! 物語性で人をひきつけ、考察コメントが絶えない人気曲「トラフィック・ジャム」「紗痲」「ナイトルール」の3曲を、自ら再解釈し小説を執筆しました。
★作品特設サイトはこちら:https://kadobun.jp/special/nilfruits/pomme-prisonniere/
刊行を記念し、小説「紗痲」の冒頭試し読みを掲載! 全3回の連載形式で毎日公開します。
逃れられない監獄で出会った2人の物語を、ぜひお楽しみください!
異色のボカロP・煮ル果実の小説家デビュー作
『ポム・プリゾニエール』収録「紗痲」試し読み#01
1章
その
建物の裏の空き地、伸び放題の草花、二人を覆う薄い影。
柔らかな風が初々しい髪と肌を撫でる。
自分達が踏んだ辺りの草や花を磨り潰した様な匂いが、
耳には少し遠く離れた場所で遊ぶ、数人の友人たちの愉快な声が鳴っている。
誰も見ていない。たった一瞬、人の目が外れただけの、自分達しかいない静かな世界。
そしてそれを「過去の自分」を。特等席のような場所で、成長した今の自分が見ている。否、脳に見せられている。
幾年経っても
子供ながらに内緒にする事は、秘密にする事は、出来た
気の
なのに過去の自分は、これから告訴するのだ。
自分は被害者だと。
友人達に、
目の前で不安と羞恥が入り交じった様な表情の少女を観る。
それに対して、ただただ混乱と奇妙な高揚感が渦巻き、何の感情の整理も出来ない幼き顔の自分も、同時に視界に映る。
目を逸らす事は許されない。自分の脳が、心がそれを許さない。
自分達二人だけだった世界を打ち壊すかのように、過去の自分はその場から立ち去る。
そして、友人達に大声で呼び掛ける。
「——が私にキスした! 気持ち悪い!」
*****
覚醒した直後に眼前に広がるのは、見慣れない無機質な天井だ。
汗で濡れた服が肌に、髪が頬にべっとりと張り付いている。
バネも無い簡素で硬いベッドが無骨に力無く、横たわる身体を押し返している。
そうした実感があってようやく自分が元の現実に戻ってきたのだと知り、癖となった
時計も窓も無いため今が何時かは分からないが、監房棟全体の明かりは、刑務官が囚人達の寝顔を見られる程度に調整されている。そして、真横のベッドでにやにや笑う女が眠気の無い様子でこちらを見詰めている。
「よう、新人。始業のベルには未だ早いぜ。早速
「埃臭い部屋にうら若き女、二人きり。さながらここは教会の
何が楽しいのか分からないが、女は無力な子供を構いたくて仕方無いといった様子で、うざったくはしゃいでいる。
「なんだっけな、アタシ動物には詳しくないから忘れちまったんだけどさ。お前、その変な耳のせいで外でなんてあだ名で呼ばれてたんだっけ?」
「……ロップイヤー」
感情の無い、ぶっきらぼうな物言いでそう返す。
変な耳、というのは明らかに正しい。
「ああそうそう、それだそれだ。でもま、どうせまた忘れそうだから、ウサギちゃんで」
適当な態度と物言いで、けらけら笑う女。
ロップイヤーと答えたもう一人の女は、無言で視線を逸らすように体を回転させ、それに背を向ける。
「なんだよ、せっかく起きたんだったらまだまだ楽しくお話ししようぜ。何してぶち込まれた? 刑期は? ヤッた回数は?」
その後も続く
「これから一杯仲良くしような、ウサギちゃん。反抗的なのは大好物だ」
まるで蛇のように、舌なめずりする音が聞こえて、そして静かになる。再び意識が闇の中へと落ちていく。
そして、祈る。もう二度と、あの夢を見ませんように——と。
けたたましい音のベルが鳴り響いた。時刻にして6時30分だが、時計を持たず見る機会もない囚人達がそれを知る由もない。コルメネア女子刑務所の一日の始まりを告げる合図だ。
檻の前に立ち、番号の点呼が始まる。
315、とロップイヤーが自身の囚人番号を告げた直後に、とある人物がまるで威嚇するかのように硬いブーツで大きな足音を立てて近づいてきた。
ひとつの汚れも無いが、規律と厳格さが染み付いているのであろう制服に身を包んだ女看守は、ペルシコンという名の主任刑務官であった。
そして突如としてロップイヤー達の前に立ちはだかり、鋭い眼光と共に静かに言い放った。
「昨晩、減灯後にこの房で話し声がしたと報告があったが、何か心当たりはあるか?」
明らかにぴりっとした緊張がこの場で走る。他の囚人の点呼は滞りなく続いているが、まるで自分達にはまったく関係ないと言わんばかりに、皆必死に見て見ぬ振りで自身の番号を唱えていた。
「315番、貴様は昨日から服役だったな。教えておいてやる。減灯後の私語及び許可無き発言は厳禁、発覚次第即懲罰だ。さて、もう一度問おう。心当たりは?」
「……ありません」
そうロップイヤーが発した途端、左頬に激痛が走った。
鈍い光沢のある黒色の革手袋で包んだペルシコンの振り下ろされた右手を見て、凄まじい力と速さで叩かれたのだと気付いた。
次いでロップイヤーの名の由来となった、大きく垂れ下がった耳を強い力で引っ張り上げられる。
「貴様のこのデカい耳は飾りか? 許可無き発言は厳禁だと言っただろう」
突然襲い来る理不尽と痛みに苦悶の表情を浮かべていると、視界の端ににやけ面が入り込んで来た。腹の奥から少しばかり何か黒いものが込み上げ、ぎりと
「どうやら貴様はお喋りが好きらしい。収監初日に〝独り言〟とは、余程甘ったれた環境で生きてきたのだろうな」
そう言われて瞬時に否定の言葉を口にしようとしたが、鋭い眼光に突き刺されて
「罰として本日昼過ぎの刑務作業時間を倍に延長する。独り言を止めなかった314番も連帯責任だ、同じく時間を倍にして過ごせ」
そう言い捨て、乱暴に耳から手を離したペルシコンは部下の刑務官を引き連れ去っていった。
その後朝食になるまでに室内を整理・清掃し、刑務作業工具の点検を同室者と共に行う。その際、同室の女は含みのある笑みを浮かべて言う。
「あーあー、どうしてくれんのさ。アタシの作業時間も余計に増えちゃったじゃねえかよ。初日から皆の注目集めて、意外と目立ちたがり屋か?」
入所前にはピアスを複数刺していたのだろう、穴は塞がっているが凹凸のある舌をちろちろと見せている。
「……これはあなたの指図?」
未だじんと熱い頬に耐え、抑揚の無い声で尋ねる。肯定も否定も無く、ただ女は小さく鼻を鳴らす。こんな事はこの場所では日常茶飯事で、軽々しい出来事だと。そう言わんばかりの態度だった。
「トマトナ。アタシの名前だ」
そう名乗った女は、あちこちがあかぎれや切り傷まみれになった無骨な手を差し出す。
「ま、自分の身のために、仲良くしとくのが吉だぜ。ここじゃ皆無知な小動物に飢えててな、
ロップイヤーは、差し出された手を一瞥だけして、特に触れず握り返すことも無くまた清掃を再開した。
「後悔するぜ、お前」
ぽつりとそう呟くトマトナの様子は、特に激昂するでもなく、淡々とかつ
後悔。そんな言葉は、何度も己の中で生み出し飲み込み噛み砕き、消化してきた。その連鎖を幾度と無く繰り返した。だが、終わりは無い。最早、自分はその言葉と一体化した存在であると言っても過言では無い。
瞬間、フラッシュバックするかのように蘇る自身の過去が、罪が、脳内で染み込んで広がっていく。
何ひとつとして明らかにならないまま、鬱屈と陰湿が立ち込めた場所での日々が幕を開けた。
(つづく)
作品紹介
ポム・プリゾニエール
著者 煮ル果実
発売日:2024年01月22日
異色のボカロP煮ル果実、小説家デビュー
物語性で人を惹きつけ、考察の渦に巻き込んだ人気曲を、自ら再解釈し小説を執筆。
大ヒット曲「トラフィック・ジャム」「紗痲」「ナイトルール」の3曲のテーマから創られた物語を一冊にまとめた、煮ル果実の世界観に迷い込める短編集。
◎「トラフィック・ジャム」
社会の歯車として味気ない生活を送っていた男の世界は、自身が起こした交通事故を境に一変する。襲ってくる人々の目に浮かんでいたのは、黄色と黒の警告色であった。
◎「紗痲」
女子刑務所に収容された少女は、同室の蛇女の課す試練を乗り越え、仲間として迎え入れられる。ある出来事を機に確かな主従の関係を結んだ二人は、ひとつの計画を企てる。
◎「ナイトルール」
18時から24時迄を繰り返す世界に閉じ込められた男は、彷徨い歩いた末に、一人の少女に出会う。彼女とならこの夜を生き抜ける、初めてそう感じた矢先、彼女は夜に取り込まれる。
※「ナイトルール」は、著者が過去にホームページにて公開した小説に、加筆修正を施し収録しています。
■出版社からのコメント
「生きていて良かった」
煮ル果実さんの小説を初めて読んだ時、率直にこう感じました。
流麗で詩的な文体と、社会に向けるシニカルな視線。それでも溢れ出る、人生への肯定感。
加えて、物語の展開が本当に面白く、本書が果たして初著書なのか、実はもう小説家なのではないかとずっと疑っていました。
それくらい豊かな文才で、音楽で表した激情を小説にも載せられる、稀有な存在です。
煮ル果実さんの記念すべきデビュー作、心してご覧下さい。
詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322303001679/
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