40代の夫が若年性認知症になり会話も難しく…。著者の実体験をもとにした闘病セミフィクション『夫が私を忘れる日まで』

マンガ

公開日:2024/4/4

夫がわたしを忘れる日まで
夫がわたしを忘れる日まで』(吉田いらこ/KADOKAWA)

 数年前、いつも明るい友人の涙を初めて見た。旦那さんが「若年性認知症」だと診断され、治療をスタートしたからだ。いつか、私のことを忘れちゃうかもしれない…。泣きながら溢した彼女の弱音を聞いてから、筆者はずっと自分に問いただしている。もし、大切な人が自分を忘れてしまうとしたら、私はどうしたらいいのか。何ができるのだろうか、と。

夫がわたしを忘れる日まで』(吉田いらこ/KADOKAWA)は、その問いを解決するヒントを授けてくれた貴重なコミックエッセイだ。本作はKADOKAWAコミックエッセイ編集部による、「シリーズ 立ち行かないわたしたち」のうちの一作。本シリーズは、思いもよらない出来事や困難に直面し、ままならない日々を生きる人物の姿を、他人事ではなく「わたしたちの物語」として想像できるように作られている。

 本作は若年性認知症と向き合う家族の3年間を描いた、闘病セミフィクション。実は著者自身、父親が若年性認知症を発症。本作には病気と向き合う家族のリアルな心理描写が満載。若年性認知症の具体的な症状も学べる一冊となっている。

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 佐藤彩は、穏やかな性格の翔太と結婚。息子も授かり、幸せな日々を過ごしていた。だが、彩にはひとつだけ気になることが。最近、翔太の物忘れが増え、本人も悩んでいる素振りを見せるようになったのだ。きっと、忙しいからだろう。彩はそう楽観視していたが、翔太が外出先で息子を置いて帰宅したことから、ただ事ではないと思うように。そこで、翔太を病院へ連れて行った。

 すると、判明したのは翔太が若年性認知症を発症しているという衝撃の事実。若年性認知症とは、65歳未満で発症する認知症のこと。翔太の場合は、アルツハイマー型。症状が進行すると、過去の出来事に関する記憶が抜け落ちたり、言葉が上手く出なくなって会話をすることも難しくなったりするという。

 最終的には、家族の顔も認識できなくなる。医師からそう告げられ、彩たちは困惑。若年性認知症は治療法が確立されていないため、翔太は薬物治療やリハビリで進行を遅らせることとなった。

 翔太が気がかりな行動をとるようになった原因が分かったことで、彩は少し安堵。翔太の病気と、前向きに向き合おうと決意する。しかし、当事者である翔太はなかなか気持ちを切り替えられず…。それでも病気はどんどん進行していき、降りる電車が分からないなど、働くことさえ困難な状態に。

 そして、発症から2年が経つ頃には人が変わったように怒りっぽくなり、ご飯を食べたことも忘れるようになってしまった。彩は翔太の両親に頼りつつ、夫を支えていたが、愛する人がどんどん別人のようになっていく日々に限界を感じるようになっていく――。自力でできることが少しずつ減っていき、買い物の仕方や自宅への帰り道も分からなくなっていく翔太。その姿を見ると、もし自分が若年性認知症になったら、どう生きていけばいいのだろうかと考えさせられる。

 また、本作では自分の時間を削って必死に翔太を支える彩の愛も心に刺さる。大切な家族が若年性認知症を患った時、私は彩のように強く支えていけるのだろうかと自問自答したくなることだろう。

 当たり前に続くと思っていた日常が、予期せぬ病気によって消えてしまう。そんな悲劇は誰の身にも起こり得ることだ。そうした状況下で病気と上手く付き合えるかは、その病気に対する知識の量によっても違ってくる。だからこそ、本作を備え、自分や愛する家族を守る術や若年性認知症との向き合い方を知ってほしい。

 悩み迷いながら、自分の身を削りすぎない病気との向き合い方を見つける彩。彼女が辿り着いたパートナーの愛し方や若年性認知症の受け入れ方を見届けてほしいのだ。

 なお、本作はあとがきも必見。著者が語る、若年性認知症を患った父との思い出話に触れると、なんでもない日々を積み重ねられることの尊さを痛感し、平凡な日常がより愛しくなる。永遠を誓い合った人が別人のようになってしまっても、その人を愛することができるのか。本作は、そんな問いも投げかけている貴重な一冊だ。

文=古川諭香