川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第2回「労働過多になったカメラ」
公開日:2024/10/24
オーストラリアは快晴で、コアラは見当たらなかったが、街の景色は最高だし空気も心地良かった。撮影自体は少し変わっていて、日中はアヒルを散歩させたりアヒルと戯れるシーンがメイン。アヒルの名前はフレデリックで、みんなフレッドと呼んでいた。フレッドは基本的に言うことを聞いてくれず、ダックハンドラーのアリサの言うことすらも聞いていなかった。フレッドの予測不能な行動に振り回され、みんながフレッドのご機嫌を取ることに躍起になっていた。コアラではなくアヒルに嘲笑われることになるとは思いもしなかった。それでもフレッドは愛嬌があり、なんだかんだ可愛らしかった。観光客の人も現地の人も興味津々で、フレッドの周りには常に人だかりができていた。夕暮れのフレッドとのラストカットを撮っている時には、僕もかなりフレッドのことが好きになっていた。正直、名残惜しさを感じていたが、フレッドは早く帰りたそうだったし、何よりアリサの方が早く帰りたがっていた。
フレッドとアリサが帰った後も撮影は続き、夜のラストシーン撮影になったところで、何やら現地プロデューサーが撮影チームに時計を見せながら話している。時間が押しているんだろう。日本が多分変なだけだが、押さないMV撮影はほぼ無いし、基本的に終わるのは深夜になる。ブラックな労働環境であることは間違いない。しかし、海外は労働時間をしっかり守っている。夜になったあたりから、スタッフが1人ずつ帰っていることにも気付いていた。そして大事なシーンを前にしてとうとう僕のメイク担当のトレイシーが帰っていった。自分で勘で髪を直し、撮影を続けた。ラストシーンの前には撮影用カメラまで返却時間を過ぎ、労働過多になったカメラは没収された。そこからは日本から持ってきていた小型のカメラに切り替え、なんとか撮影を終えた。気づけば時間に追われ、結果眠気を感じる暇もなかった。
撮影スタッフと打ち上げで何故かイタリアンに行き、イタリアの料理をたくさん食べ、イタリアのワインを飲んだ。コアラには会わなかったし、オージービーフも食べなかった。ちなみに撮影スタッフは前日前乗りし、タイ料理を食べていたらしい。なんでだ。
打ち上げ後はシャワーを浴びてすぐに就寝し(気絶したレベルで早く寝た)、早朝に起きて空港に向かった。そういえばまだ野生のコアラを見てないなと思い、現地のコーディネーターさんにコアラはどこで見れますか?と聞いたら「動物園にいますよ」と言われた。オーストラリアにも野生のコアラは一部のところにしかいないらしい。アホみたいな質問をしたんだなと思った。当たり前にその辺にいると思ってました、すみません。コアラのぬいぐるみがたくさん売っている空港に着き、朝8:15発のJALに乗り込んだ。帰りは驚くほど眠れた。行きの苦しみは何だったんだ。行きに映画鑑賞をしなかったことを後悔していたので、着く3時間前くらいにしっかり目覚め、映画を1本見ようと思い立った。何を見ようか死ぬほど悩み、悩んでる間にまた眠ってしまっていた。なんでこんなに寝れるんだ。次に気付いた時には着陸1時間前だった。急いで国際線でしかまだ観られなさそうな「バービー」を選んだ。40分くらいしか見れなかったし、面白くなりそうなところで日本に着いてしまった。いつか配信されたら見ようと心に決めた。
羽田からそのままスタジオに移動し、夜までゲスの極み乙女のリハーサルをやった。長い3日間がようやく終わった。帰ってネットフリックスをつけたらバービーは普通に配信されていた。なんだよ。
追記:完成したMVを見たらメイクのトレイシーが帰った後の僕の前髪は綺麗に割れてしまっていた。

川谷絵音(かわたに・えのん)
日本のボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。1988年、長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。