HOMEMADE家族・KURO処女作『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』/第29話
公開日:2019/4/30

ヒップホップグループ「HOME MADE 家族」のメンバー、KUROさんが「サミュエル・サトシ」の名で小説家デビュー! ダ・ヴィンチニュースでは、その処女作となる『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』を40回にわたり全文公開します!
本作は、マイケル・ジャクソンになりきってパフォーマンスをするエンターテイナー(インパーソネーター)を題材に、KUROさんが取材を重ねて書き上げた渾身のフィクション。この小説のモデルになった人物は、マイケル・ジャクソン本人に「Excellent!」と言わしめた程のクオリティを誇っていた。だが、突き詰めれば突き詰めるほど次第に評価は“自分”にはなく、“マイケル”であるという動かしがたい事実が立ちはだかり、似せれば似せるほど、あくまでも「模倣品」とされ、その狭間で彼は苦しむことになる。マイケルに夢中になることで得た沢山の仲間と心を通わせ合いながらも、すれ違いや悲しい別れなど、主人公を取り巻く環境は激しく変化していく。自己とは? 芸術とは? 友情とは何なのか? そして2009年6月25日、絶対的な存在であったマイケルの死を迎え、インパーソネーターが最後に導き出した答えとは……
第29回

オパちゃんと会うのはいつ以来だろうか。
もともと社交的な人ではないし、自分から連絡をしてくるような人でもない。あれほど同じ時間を共にした仲なのに僕を含め、オパちゃんの近況を誰も知らないでいた。
そもそもホームレスの一件でもそうだったが、昔から私生活は謎に包まれていた。あまり感情を表に出さないし、誰かと付き合っているという話も聞いたことがない。いつも何か質問をしても言葉を選びながら最小限の答えしか返さないので、どんなときも答えを引き出すのに時間がかかった。
ただ思慮深い人だし、本を読むのが好きで、口にするよりも文字の人だったから、MJ-Soulを抜けた後もオパちゃんがたまにアップしている個人ブログは楽しみで読んでいた。そこに書かれている表現者としての哲学に共感することが多かったからだ。今でも横浜ベイホールで僕にかけてくれた言葉やマイケルの前でパフォーマンスをする直前、舞台袖で手を当てて支えてくれた温もりは忘れられない。
オパちゃんは今、従兄弟が社長を務める金属加工の会社で働いている。住所を頼りに目的の場所に着くと、昭和の香りが色濃く残る町工場が佇んでいた。入り口に有限会社スティールタウンと書いてある。
「すみませ〜ん」
磨りガラスの引き戸を開けると、工場独特の強い湿気と油剤の臭いが鼻を突く。奥から恰幅のいい男性が作業着姿で顔を出した。
「もしかして…、社長さんでしょうか?」
「はい。そうですが、何か?」
見た目こそ似ていないが、どことなく醸し出す雰囲気がオパちゃんと似ていた。
「あの、僕、MJ-Soulの尾藤一斗と言います」
「ああ! MJ-Soul! キミがいっくんか!!」
「あ、はい」
どうやらすぐに分かってもらえたようだ。
「オパちゃんって今いらっしゃいますでしょうか?」
「あ、タケはね、今ちょうど外回りに出てるから、もうちょっとしたら帰ってくると思うよ」
オパちゃんの名前がタケというのを初めて知った。
「もし良かったら、狭いけど、そこで待っていてもいいよ」
社長はそう言うと入り口横にある客人用のソファーを勧めた。
「ちょっと待っててね、お茶出すから」
「あ! すみません。別に大丈夫なんで! おかまいなく!」
僕の声は無視して、社長はさっさと給湯室に入っていった。
ソファーに腰かけ工場内を見渡す。決して広いとは言えないが、よく手入れされていて、きちんと整理整頓されている。何気なく棚に目をやると、一番下に見覚えのある板があることに気づいた。
「アンチ・グラビィティだよ」
顔を上げると、社長がお盆に湯のみと茶菓子を載せて立っていた。
「ああ、やっぱり! そうですよね、これ!」
社長がテーブルに一式置いて、真向かいに座った。
「すごい力の入れようだったよ。僕も見かねてだいぶ助けたけど」
『所沢STREET DANCE CONTEST』でオパちゃんが物凄い形相で運んできた姿が思い出される。
「すみません。お手数をおかけしたみたいで。おかげで大成功でした」
「でも、今のままじゃ重すぎるからって、どうにか軽量化できないかと最近まで試行錯誤していたけど」
「え?」
「うちの家系はみんな凝り性だからね〜。女性でも持ち運びができて、地方にも簡単に持って行けるようにするんだって張り切ってたよ」
オパちゃんはMJ-Soulを抜けてもまだ僕らのために、アンチ・グラビィティの改良に取りかかっていたのだ。
「そうなんですか…」
口数が少なくていつも何を考えているか分からないオパちゃんだが、時間がかかっても誰かのために良いものを作ろうとする人なのだ。
「マイクスタンドだよね?」
社長がいきなり本題に入ったので、僕も「はい」と即答した。
「ほぼほぼできていますよ。あとは本人が納得するだけかな」
社長はおもむろに立ち上がると、倉庫から一本の銀色の棒を持ってきた。
「こうなってくるとね、僕もプロの血が騒いじゃってね。タケ一人じゃ任せられなくなっちゃって」
社長が苦笑しながら言うと、ゆっくりと説明を始めた。
「『THIS IS IT』のマイクスタンドはちょっと特殊でね。足元の浮いている角度が普通のやつと違うんですよ。足元の十字の部分、ここのわずか5ミリの差が勝負でね。計算しても角度が割り切れないから、いっそのこと一度ずつ作ろうってタケに言ったの」
「え! わずか一度ずつのために、試作品を作ったんですか?」
僕が驚くと社長は事も無げに「そうそう」と言った。
「溶接すると歪んで角度が変わるからね。そうなると歪んだところから計算しちゃうから。ベースの直径10ミリの間で6回も調整してね。極めつけはマイクホルダーに取り付けるネジのピッチサイズまで割り出したから」
社長はそう言いながらネジの口径部分を指差した。
「規格がないから、汎用センターの人間にゼロからピッチを作らせてね。そうしたら今度はタケがマイクスタンドの太さが違うとか言い出してね」
社長はまたまた苦笑する。
「マイクスタンドを実際に10人ぐらいの人に持たせて、平均を割り出して、『THIS IS IT』の映像を観ると外国人ばかりだから、日本人との膝下の差で計算して、試作品だけでおそらく計40本ぐらい作ったよ」
「ええ!! 40本ですか!?」
僕は驚きのあまり、言葉を失った。
「きっとマイクスタンドのために『THIS IS IT』を観たのは世界でも僕らぐらいだろうね」
社長が笑うと、入り口の引き戸が開く音が聞こえた。
「お、タケ、いっくん来てるぞ」
振り向くとそこにオパちゃんがいた。久しぶりに見る姿だった。
社長が早めの昼休憩を取ってもいいと言ってくれたので、二人で近くの蕎麦屋に入った。オパちゃんは相変わらず無口で、ここに来るまで一切会話がなかった。普通の人なら戸惑うだろうが、僕はその感じが懐かしかった。
「久しぶりだね」
そう言ってもオパちゃんはコクンと頷くだけだ。
「マイクスタンド、見たよ! すごいね! 試作品40本も作ったんだって!?」
「まだだ。あと、もうちょい」
「でも、リハには間に合いそうで安心したよ。コンくんからは間に合わないならやめた方がいいと言われていたからさ。ありがとう。そこまでしてくれて」
オパちゃんと世間話も似合わないので、僕はマイクスタンド以外にずっと気になっていたことを思い切って尋ねることにした。本当はそのことが聞きたくて今日来たのもあった。
「オパちゃんさ、なんでMJ-Soul辞めたの?」
するとオパちゃんは小さく咳払いして、しばらく考えてからゆっくりとこう言った。
「オラは、勝つことをモチベーションにパフォーマンスできないからだ」
「え…」
僕は言葉の意味がすぐに理解できず、その先を待った。
「MJ-Soulのマイケルに対する妥協なき再現力は今でも世界一だと思っている。だからこそ7年間続けられた。だがオラはダンスを通して心を研磨し、人として成長することに快感があったわけで、商業的なものや外面に強調があるものは大嫌いだ」
唐突に大嫌いだと言われ、僕は動揺した。
オパちゃんが辞めるときにコングくんに言っていた、MJ-Soulの目指すべき方向と自分の向かうべき方向の違いというのは、つまり、僕らがいつの間にかその大嫌いなものになってしまったということなのだろうか。
「オパちゃんは、僕らのことが嫌いなの?」
しばしの沈黙が流れた。
「メンバーが嫌いなわけじゃない。チームに愛着がないわけじゃない。今のMJ-Soulを成長させるなら、オラは中にいるよりも外で支えた方が良いと判断したまでだ」
今さらながら昔「このままでいいのか? いっくん」と言われた意味がようやく分かった気がした。まさかそれが再び自分の胸に突き刺さるとは思ってもみなかった。オパちゃんはおそらく長いこと自分を見つめ、そして身を引いたのだ。
「別にオラはMJ-SoulがSHIBUYA-AXで公演することを悪いと言っているわけではない。オラもマイケルは大好きだ。ただマイケルの生き方に対して全面的に肯定できない部分もある。自分の運と才能を惜しみなく注ぎ込んで歴史的偉業を成し遂げたことはもちろん認める。だが死を招いたのはメディアや悪党のせいではなく、自業自得だと思う」
「自業自得?」今のマイケルに対して一番遠い言葉のような気がして僕はオパちゃんの発言に驚いた。
「巨万の富と名声を得ることがなんだ。人生はそんな単純な話じゃない。ピーターパンもいずれ大人になり能力を失う。人は拡大し続けるわけにはいかないんだ。マイケルはデンジャラス期以降、どんどん前に進むことや大きくなっていくことばかりに気を取られ、演出が派手になり、自分の心を丁寧に満たしていく地道な作業に意識がいかなかった。自分のトラウマや弱さとしっかり向き合う勇気がなかった。それがマイケルをダメにした一番の原因だとオラは思う。それは、オラの目指す方向ではない」
そして、僕の目を見てこう言った。
「平凡な毎日の繰り返しに見えなくもない、そんな暮らしのなかにも豊かさを得ることはできるんだ。だからいっくんは、本物のアーティストになってくれ。自分を壊しかねない世間の常識をはね除け、見た目で商売せず、生き方と作品のどちらも質が高い、そういう美しいアーティストになって欲しい」
メガネの奥から射抜くような眼差しを向けるオパちゃんの目は、僕の深奥を貫いているようで逸らすことができなかった。
「美しいアーティスト…」
自分のことをアーティストだなんて一度も思ったことがない。ましてやインパーソネーターはそこから一番遠いものだと思っていた。
しかし、オパちゃんの言葉は僕の中の抗いようのない何かを確実に揺さぶった。それは鉛のように深く沈んで、みぞおち辺りに重く居座った。
マイケル亡きあと、僕はこれから表現者としてどう生きていくべきなのか、問われているような気がした。
サミュエルVOICE
スティールタウンとは、ジャクソン5がモータウンと契約する前にインディアナ州ゲーリーから出した地元のレーベル名。彼らはそこで『Big Boy』という曲を吹き込み、それが街中の噂になる。フォルクスワーゲンに積んだレコードは、ジャーメインによれば五万枚は売れたという。
