「白井悠介のなんとかなるさ」⑩「初めて」経験した挫折
公開日:2020/6/8

成績優秀者として迎えてもらった、ふたつめの養成所。そこでぼくは「天狗」になっていました。
専門学校を卒業し、養成所にも通い(途中で辞めちゃったけど)、一時期は役者になるためのワークショップにも参加していた。これだけ並べると、なかなかの経験者です。他の生徒たちよりも学んできているし、今度こそは文句なしでトップになれるはず。しかもそこは大手声優事務所直結の養成所。このままいけば、卒業と同時に事務所に所属できるに違いない。
な~んて、甘っちょろいことを妄想しては、授業を受けていました。
歌、ダンス、日本舞踊、アフレコ……、なかには空手の授業もありました。なんで声優が空手するの!? と思ったりもしましたが、適度にサボりつつ頑張っていたんです。適度にサボりつつ、ね。
そして1年が経つ頃、事務所に所属できるかどうかのテストが開催されました。ついに、ついにプロデビューへ手が届く! なにも疑うことなく、ぼくはそう思っていたんです。
ところが、結果は散々なものでした。所属できるどころか、その一歩手前である「仮所属」にも選ばれなかったんです。
え、どうして……? どうしてぼくが選ばれないの……!?
いま思えば、それが初めての挫折だったかもしれません。デビューしていないとはいえ、他の人よりも経験だけは積んできている。入所時には技術だって認めてもらえた。それなのに、最後の最後でスッパリ切られてしまった。
この連載をずっと読んでくれている人なら、「ここで白井は“なんとかなるさ”を発動させたんだろう」と思いますよね? でも、さすがのぼくも、このときだけは「なんとかなるさ」なんて思えませんでした。
年齢は24歳。早い人ならすでにデビューしていてもおかしくありません。それなのに、ぼくは事務所にすら所属できていない。このままだと、「なんともならないかもしれない」。いつも楽観的なぼくを、とてつもない不安が襲いました。どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
ぼくは慌てて次の道を探しはじめました。とはいえ、その時点で3月下旬。他の養成所に行くにしても、すでに募集が締め切られていることも珍しくありません。どこにも入れなかったら、次の募集がスタートするまで、1年間を無駄に過ごすことになってしまいます。そんなの嫌だ。
そこで見つかったのが「アミューズメントメディア総合学院」。入学にまだ間に合うことを知ったぼくは、早速「実力査定オーディション」に申し込みました。それに合格すれば、1年という短い期間でみっちり学べるコースに通うことができるのです。
ただでさえ時間をロスしてきたことを痛感していたぼくは、焦っていました。なんとかなるさ、ではなく、なんとかしなくちゃ!
その実力査定オーディションを受けた結果、どうなったのか。それはまた次のお話で。

今週の一言:あのとき味わった挫折感があったから、いまのぼくがいるんだ!
構成協力=五十嵐 大 写真=干川 修 スタイリング=小林かおる ヘアメイク=川口愉里恵
1月18日、長野県生まれ。2011年に声優デビュー。2015年に出演した『美男高校地球防衛部LOVE!』で注目を集め、以降、『アイドルマスター SideM』『アイドリッシュセブン』『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』などの話題作への出演が相次ぐ。「理想の緑」をブランドアイコンとする、オリジナルアパレルブランド【MIDORI】も立ち上げたほか、YouTuberとしての活動もスタートし、「しらいむチャンネル」で自由気ままな動画も投稿中。