「本が好き」な彼女が抱く目的とは? 『圧勝』で世間を翻弄した気鋭の作家最新作『本のムシ』
公開日:2021/1/16

「本の虫」という言葉がある。これは本を愛し、四六時中読書をしているような人を指すものだ。ダ・ヴィンチニュースの記事をこまめにチェックしている人はきっと本好きが多いだろうし、「寝る間も惜しんで読書がしたい!」というまさに本の虫もいることだろう。
そんな本の虫をタイトルに冠したマンガが登場した。『本のムシ』(小虎/KADOKAWA)。本作は出版社に勤務する人や作家など、本に携わる者たちを描く群像劇だ。
とはいえ、本作でいう本の虫とは前述したような読書家を指すものではなく、紙を主食とし、“ムシ”と呼ばれ、人々から嫌われている新種の生物のことを指す。ムシは本も食べ、そこに書かれていた文字を覚え、喋りだすこともある。見た目はツルンとしたトカゲのような生物で可愛らしいと言えなくもないのだが、どこか不気味でもある。

群像劇形式の物語だが、一応の主人公を務めるのは第1話でフォーカスされる片倉杏(かたくら・あん)だ。出版社の営業部で働く彼女は、「社会の歯車」になっていることを自覚しており、毎日をつまらなそうに過ごしている。

“本がいろんな世界を教えてくれたのに 所詮は本で 現実に心躍る 世界はないのか”
ところが、偶然見つけた小さな書店に立ち寄ったとき、彼女の世界が変わり始める予感がする。そこは本がたくさん並ぶ場所にも拘らずムシを飼っていて、風変わりな店主は「この本屋は本が好きな人しか来ないの」と杏に話しかける。その言葉にグッとくる杏。そして、ひとりの美女と出会う。彼女の名は佐藤苺(さとう・いちご)。名前の通りとてもゆるふわな雰囲気を漂わせる女性だ。促されるまま名刺交換をした杏は、何故か苺に惹かれている自分に気づくのだった。
ここまで読んで、本作がどんな物語か想像つくだろうか? この先、苺と出会った杏の毎日は色づいていき、本を扱う営業職としての自覚が芽生え、彼女は少しずつ成長していくのではないか。そう、ジャンルでいえばサクセスストーリーのようなものを想像するかもしれない。……ところが。本作は第2話から徐々に不穏な雰囲気をまとい始める。
杏の同僚である白井(しらい)や売れないマンガ家・mikoなども登場し、それぞれの人生が交錯していく。しかし、彼らもなにやら秘密と事情を抱えている。そしてどうやら、それが物語に暗い影を落としそうな予感がするのだ。
作者の小虎さんは、ラブサスペンス『圧勝』で注目を集めた気鋭のマンガ家。『圧勝』も最初はふつうのラブコメかと思わせておいて、中身は重厚なサスペンスだった。それぞれの登場人物の発言は謎を含んだものが多く、読んでいて「この物語はどこに着地するのだろう……」と先が見えない展開にハラハラさせられた。そんな作風が得意な小虎さんの新作『本のムシ』も、当然一筋縄ではいかない展開が待ち受けているのだろう。
ちなみに、第4話では杏と苺が急接近する。けれど、そこで苺のやや狂気的な一面が明らかになる。苺はただのゆるふわ女子なんかではなく、どうやら奇妙な目的を持っているらしい。その鍵を握るのがムシだ。

そんな苺と出会った杏は、どのように翻弄されてしまうのか。現時点ではまだなにもわからない。ただ、杏の“つまらない毎日”が激動のものになりそうなことだけははっきりしているだろう。果たしてそれは幸か不幸か……。
紙を食べる奇妙な生物・ムシをフックに、さまざまな登場人物の思惑が行き交う『本のムシ』。またしても読者は、小虎さんの描く独特の世界に振り回されてしまうはずだ。
文=五十嵐 大