42歳バツイチ、“いい年”をした男に舞い込んだ、老父との同居と500万円──オカヤイヅミ・デビュー10周年記念作品『いいとしを』

マンガ

公開日:2021/3/25

いいとしを
『いいとしを』(オカヤイヅミ/KADOKAWA)

 先日――といっても、この状況なので1年ほど前のことだが、ひさしぶりに両親が暮らす実家に帰って「おっ?」と思った。テレビの音量が、以前よりも大きい気がする。なんとなく既視感のあるその光景をどこで見たのだろうと考えていると、ふと思い当たることがあった。大きな音でテレビを見ながら、食卓の茶色い煮物をつつく。それは幼いころ、祖父母の家で見た光景そのものだった。茶色い煮物がしみじみ美味しいと思う私も、いつのまにか立派な中年である。

『いいとしを』(オカヤイヅミ/KADOKAWA)の主人公、灰田俊夫も、ひさしぶりに足を踏み入れた実家で、同じようなことを感じていたのではないか。

 42歳、バツイチの灰田俊夫は、サラリーマンとして働きながら都内でのひとり暮らしを満喫していた。ところが、母が急逝したことをきっかけに、東京都下に住む70代の父と同居することになる。彼女には振られ、会社では「家庭に責任がある男にチャンスを譲ってやってほしい」と閑職に追いやられ、“いい年”を理由に踏んだり蹴ったりの目に遭う俊夫を待っているのは、年寄りのにおいがする我が家だ。

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いいとしを

いいとしを

 昔から無口な父のことは、正直よくわからない。だが、父の年齢まで生きるとしたら、自分の将来はまだ30年も残っているのだ。実家で呆然としていた俊夫は、ある偶然から、母が自分のために遺した500万円を発見する。添えられたメモに残る母の字は言う、「お父さんにはないしょです。俊夫のやりたいことのために使いなさい」。

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 そんなふうに書き遺されても、こちとら「やりたいこと」もとっさには思いつかない“いい年”だ。仕事で成功した友人や、家庭のある同僚のように、必要な使い途もない。高い焼肉を食べてみたり、大きな買い物を考えてみたりしながら日々を埋める一方で、俊夫はともに暮らしている父の、意外な顔を知っていく。一番好きな食べ物はなにか、どんな青春時代を送ってきたのか、55年前の東京オリンピックのときは、なにを思って過ごしていたのか――40代と70代の父子とその関係が、ゆっくりと変化しはじめる。

 おそらく俊夫も、私と同じく「人生80年」と言われて育った世代だろう。アラフォーと呼ばれる年代になり、人生も後半戦が見えてきた今、何者にもなれなかった自分、努力ではなにも変わらなかった日々、そうかと思えば感染症の流行であっけなく様変わりしてしまった世界を眺め、ただただ立ち尽くすばかりだ。

 けれど、年齢的にも社会的にも動けなくなってしまった今だからこそ、身近なものに目が向くということもある。動けなくなったからとて、欲望が費えたわけではない。中年を迎えてなお、ままならない想いを抱えているのだ、もしかして高齢になってもと、隣にいる人に思いを馳せる。あらためて向き合おうとはしてこなかった近しい人、その人の目を通して見る自分――なんでもないように見える人生にも、顔に刻まれた皺のぶんだけ、積み重なっているものがある。

 本作は、独自の感性で日常を描くオカヤイヅミさんのデビュー10周年記念作品として、『白木蓮はきれいに散らない』(オカヤイヅミ/小学館)と2冊同日に刊行される。

 人生の夕暮れ時に臨む誰もが、自分の歩いてきた道に、身近な人の来し方に、なにかを見出すことができる1冊。読了後は、隣にいるその人と、「今ここにいる人」としてだけではなく、「今日ここまで、長い道のりを歩んできた人」として向き合うことができるだろう。

文=三田ゆき