人生初の敗北を知った少女を救ったのは、もうひとりの少女のピアノの旋律…ピアノに人生をかける2人の少女の青春
公開日:2021/5/23

「音楽には人を救う一瞬がある」。『傷だらけのピアノソナタ』(齋藤勁吾/集英社)の主役は女子高生のルナとヒナコ。2人はともに傷を負いつつも、ピアノで強くなろうとしていた。
「失声症」で体中に包帯を巻いているヒナコは、常に音楽室のピアノの前に座っている。ただ弾くことはなく、いつもそこにいるだけだ。
成績はトップ、バドミントン部の活動も全国レベルというスーパー女子・ルナは、彼女のことが気になっていた。何となくコミュニケーションをとるようになり、あるきっかけで、ルナはピアノに人生をかける決意をする。
本作は、ピアノに救われた2人の少女の友情を描く青春ストーリーであり、音楽のもつ力に圧倒される物語だ。
負け犬にはならない! 努力し戦ってきた少女を救ったもの
月鍔ルナ(つきつば るな)は落ち着きたい時に音楽室へ行く。そこには言葉が発せず、包帯だらけの日菜野ヒナコ(ひなの ひなこ)がいる。彼女がからかわれたりしないか気になり、同時にイラつきもしていた。
ヒナコは音楽室の幽霊と陰口を叩かれ、からかわれても常に笑顔。それがルナには許せない。正義感ではない、彼女のポリシーに反するからだ。
生きるってのは戦うって事なのよ
勝つこと これが大事!
世間てのは負け犬にどこまでも冷たいもんよ
ある日、ルナは、バドミントン部へ入ってきた綾辻という転入生と練習試合をする。前年は全国ベスト8、県選抜にも選ばれている部のエース・ルナの勝利を誰もが疑わなかった…が、ルナは負ける。
綾辻は後輩でまだ1年生。バドミントンをはじめたのは最近だという。ルナのキャリアは10年以上。授業前の朝、部活後も日が変わる寸前まで、猛練習を重ねてきた。「優勝以外意味ないのわかる?」そう口にしていた彼女は圧倒的な才能の差にうちひしがれる…。
気がつくと音楽室に来ていたルナ。ヒナコに「負けたこと」そして「自分の父親は元キーボード奏者で、三流のまま引退し、家族も捨てた負け犬である」と言い、涙する。その時、彼女の耳にピアノの音が響いた。弾いていたのはヒナコ。それは素人が聞いても素晴らしいとわかる、心に響く演奏だった。ヒナコは筆談でこう語った。
死にたくなるくらいこころがキズだらけになって
でも あの時のあのピアノの旋律が“キズ”なんて全部どうでもよくなる位キレイで…
ピアノが私を救ってくれたの
だから私も、私のピアノで人を救いたい!
ヒナコの奏でる音色は心地よく優しい。ルナは自分が弱っていたことを恥じつつも、気持ちが軽くなるのを感じた。
そしてルナは筆談以外でも会話をしたいと、彼女の“言葉”であるピアノを教わるようになる。仲良くなった2人はヒナコの家へ向かう。
「ほっとけない」から“憧れ”になった友達と本気で目指しはじめた道
ヒナコの父親は元ピアニストで作曲家の日菜野陽一だった。彼は「中途半端に娘とピアノにつきあってほしくない、君が遊び半分でやってやめたらヒナコはガッカリするから」と告げる。
イラっとするルナ。陽一は続けて伝えた。ヒナコが実の親に虐待され心身ともに傷を負った少女で、自分の養子にしたことを。
ヒナコは入院先の病院での、陽一の演奏をきっかけにピアノを好きになった。他人を妬んだり、勝ちたい、負けたくないといった感情はない。声が出なくても笑えるようになり、努力を重ねて人を感動させる演奏ができて、ピアニストという将来の夢をもてるまでになっていた。
2人の少女はともに傷だらけだった。一見すると弱々しく見えるヒナコ。勝ち気なルナ。ルナは叫ぶ。
ピアノで…一番になってさ
世界中に響かせてやろう!
「ほっとけなかった」“友達”は太陽のように眩しく、憧れの存在に変わった。ピアノがうまい。そして、実は強いヒナコ。
ルナは彼女と一緒に本気でピアノへ向き合うことを決意し、バドミントンと決別する。
ここまでが1巻。「ソナタ」で表現すると“序奏”である。ヒナコはさらに強くなる。まだ大勢の人の前で弾くことができないトラウマを克服するために、自らの意志で思い切った行動に出るのだ。
ルナは、ピアノで一番を目指すと宣言し、陽一へ弟子入りする。そして日本を代表するピアニスト・亞夢馬カノン(あくらま かのん)と2人は出会う。
本物の月は日(太陽)に照らされて、はじめて輝く。現実ではまばゆい太陽に手は届かない、憧れでしかない。だがルナは光るヒナコに肩を並べたいと願い、努力していった。
コンクールで2人が勝負する日はやって来る。ヒナコという太陽以上の輝きを、ルナはみせることができるのか。
断言しよう。読み始めれば、傷だらけでも強くなっていく少女二人を、あなたはラストまで見逃せなくなっているはずだ。
文=古林恭