19世紀にタイムスリップできる“パサージュ”は、当時と今が共存する不思議な空間
更新日:2021/7/6

パリにはパサージュという抜け道がある。19世紀から時が停まっているかのような、店舗が並ぶ屋根付きの歩行者専用の抜け道だ。ここはただの抜け道ではない。このパサージュがただならぬわけは、古いからではなく、過去の繁栄の夢を生で体感できることだ。日本の都市では実現し得ないこの不思議な空間を、『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(鹿島茂/中央公論新社)から紹介しよう。
パサージュの具体的な説明をする前に、その誕生背景を少し。
19世紀のフランスは、王政から共和制に移る流れの中にあり、お金が堂々たる力を振るい出す時代だ。首都パリには立身出世で金持ちになろうと、多くの人間が集まってきた。資本主義はまだ若く健全で、人々は、未来がユートピア的な世界になると信じていたのだ。パリの街は、自然発生的なものから計画された都市になるべく、新たな建物や大きな道路が次々と出来ていった。
そんな中、大通りをつなぐ、歩行者のための抜け道が生まれた。金持ち市民の代表である土地の投機家が、大通りと大通りの間の土地を買い「通り抜け」を造ったのだ。投機した土地の値段がもっと上がるにはどうすればいいか? 答えは、土地を人で賑やかにすることだ。人がただ通り過ぎていく空間ではなく、ここに行くのが目的になる空間を!
どんな手法をとったのか。それは、通りの両側に最新モードショップやオシャレなカフェ店を入れ、さらには通りそのものにガラス屋根を付けるという手法だった。ちなみに、ガラスを建築に用いることは当時まだ珍しく新しい様式だった。こうして、人が集まり賑わいそぞろ歩く空間、おまけに夜には娼婦たちの肌が艶めかしい空間“パサージュ”が誕生したのだ。
このパサージュが、今も当時のままの姿で残っているというのが不思議だが、どうやらパリっ子たちは、通りが時代遅れになり閑散としてしまっても、すべてのパサージュを取り壊すのが面倒くさかったようで、いくつかの通りが150年以上放っておかれたのだ。その後、歴史的な面としての価値が生まれ、「あら、パサージュいいじゃない」と保存する方向になったそうだ。
さて、現存するうちのひとつ、1826年開通の「ギャルリ・ヴェロ=ドダ」という名のパサージュで具体的な様子を見てみよう。
この通りは、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」をモデルに造られたそうで、開通当時はガラス張りの明るい店が並び建ち、鏡の壁が光っていたとか。さらに、当時まだ新しかったガス灯でライトアップされ、ゴージャス感満載だ。狙いどおり大人気のスポットとなったが、1840年代になると他の新たなパサージュに流行の先端を奪われ、1880年頃には人通りがほとんどなくなるというありさまに。テナントには盛り場を賑わす業種ではなく、骨董屋や名刺屋、印刷屋など、常連客さえいればやっていける静かな業種だけが残った。この状態で150年が過ぎ、現在に至る。
パサージュの個性は色々だが、総じて言えるのは、19世紀の「未来はバラ色」という夢と、「その夢が長く続かなかった切なさ」、この2つの共存が特徴であること。過去の遺物としても現役の商業施設としてもそこに在るということは、21世紀の現在にもかかわらず、19世紀の人々の夢を見られるということになる。
現役でありながら、19世紀にタイムスリップできる空間というこの不思議。一度体験してみたいものだ。
文=奥みんす