青い目の美しい人魚に見初められたのは、空虚な日々を過ごす少女。この邂逅はどんな結末をもたらすのか?
公開日:2021/7/29

「私は君を食べに来ました」
人生に絶望している少女の前に現れたのは、海のようなブルーの瞳を持つ“ひとでないもの”だった。
ある日、ごく普通の田舎町で生きる比名子(ひなこ)は海に落ちた。いや引きずり込まれていた。それは妖怪の仕業で、彼女は訳が分からないまま死を覚悟する。だが気が付くと地上にいて、汐莉(しおり)と名乗る青い目の美少女が目の前にいた。
『私を喰べたい、ひとでなし』(苗川采/KADOKAWA)は、ひとと、ひとでないものとが出会い、それぞれの望みが果たされるまでを描く物語だ。
汐莉は妖怪の人魚。冒頭のセリフをさらりと言い、彼女を喰らうつもりだと言う。生きる気力はなく抵抗しようとも思っていない少女と、人間を喰べる人魚の邂逅……。喰われて喰う、シンプルな結末が予想されるが、事はそう単純ではなかった。比名子を海に引きずり込んだ妖怪を瞬殺すると、返り血にまみれたまま汐莉はこう言った。
君は
これからもっと
美味しくなる
だからそれまで
私が必ず
君を守ってみせます
比名子の過去と、彼女の望む未来を叶えてくれるかもしれない人魚
翌日、比名子の高校に汐莉が転校生として姿を現し、比名子につきまとうようになった。そして比名子の血肉を求めて襲ってくるほかの妖怪たちから比名子を守る。
汐莉は彼女を喰べない理由をこう話す。「今はまだあなたを食べません。家畜は適切な食べ頃になるまで、健康管理され、ストレスのない環境で育てられる。それと同じで、あなたも健康に育ってほしい。食べ頃になるまで」。さらに「あなたは妖怪たちが自分を食べたがっていると聞いても怖がらない。珍しい人間ですね」とも言う。
比名子は子どもの頃に家族全員を事故で失ってから絶望という名の深い海の底に沈んだままで、ある思いにとらわれていた。だが“自分で”その思いを実行するわけにはいかない。
「“比名子だけは生きて”」それは失った家族からの願いだから。彼女はただ寝て起きて学校に行くだけの、空虚な日々を過ごしていた。
そんななか現れた、自分を“いつか”喰らうつもりだという美しい人魚。比名子は彼女が自分の望みをかなえてくれるのでは、と期待する。夏祭りの夜、汐莉はふと尋ねた。
君
なんでそんなに
死にたがって
いるんです?
家族を飲み込んだ海のような瞳で見透かしたように言われ、比名子は悲しみと絶望の理由を語るのだった――。
ひとでなしたちの真意と秘密
読みすすめていくと一つの疑問がわく。汐莉は比名子と出会い、彼女の血肉を求めて次々に現れる妖怪たちを撃退するが、二人が出会う今までは、襲われていなかったのか。比名子にはそのような経験はないようだ。実は守られていたのかもしれない。誰かに。
比名子には幼なじみがいる。元気だが少し病弱(?)な社美胡(やしろみこ)だ。彼女は比名子が不幸に見舞われたあとも変わらず、仲良くし続けていた。ただ普通に……ではない。保護者的、というか何が何でも守ろうとする決意が垣間見える。
「比名子を傷つける奴は誰であろうとあたしが許さない」。美胡は汐莉の正体を見破り、向かい合ったとき、こう言い放つ。
本作で描かれているのはひとと、ひとでなしたちの複雑な感情であり関係である。
人生に希望と喜びを見出して
死にたくない
もっと生きたいと願った時
私が君の全てを
喰らい
尽くします
本稿の筆者は、汐莉には本当に比名子を食べる気があるのだろうかと思う。ひとでなしは繰り返し、遠からぬ未来の死を突き付ける。比名子の胸に渦巻く思いは変わっていくのか、やはりそのままなのか。彼女たちが迎える結末やいかに――。
文=古林恭