『わたしは壁になりたい』で描かれるアセクシャルの妻とゲイの夫の夫婦生活。ふたりはどうして“偽装結婚”したのか?

マンガ

公開日:2022/3/1

わたしは壁になりたい
『わたしは壁になりたい』(白野ほなみ/KADOKAWA)

「きみも結婚して、ひとの親になれば、一人前になれるよ」

 以前、参加した飲み会で、年上の男性にこう言われた。30代半ばを過ぎ、家庭を持つことに興味がなかったぼくは、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。結婚し、子どもを持つことが幸せなこととされる社会においては、ぼくのような存在は“はみ出しもの”になってしまうのかもしれない。飲み会の帰り道、なんだか生きづらいなと感じたのをいまでも強く覚えている。

 多数派の生き方が規範とされる社会で、似たようなことを感じる人は少なくないだろう。自分自身の生き方を不幸だなんて思っていないし、誰にも迷惑はかけていないのに、外側から勝手に「不幸」だとか「可哀想」だとか見なされてしまう。それはひどく息苦しい。

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『わたしは壁になりたい』(白野ほなみ/KADOKAWA)で描かれる夫婦も、そういった社会からの眼差しに苦しんでいる。そして彼らが選択したのは、“偽装すること”だった。

 主人公のゆり子は、人を好きになれない、なったことがない“アセクシャル”の女性。そしてパートナーとなる岳朗太は、異性愛者の幼馴染に片思いをするゲイの男性だ。親からの圧力によりお見合いすることになったふたりは、互いのセクシュアリティを理解した上で、生きやすさを求め、偽装結婚することにした。本作は、そんなふたりの生き様を描いた物語である。

わたしは壁になりたい

 ふたりの生活は“夫婦の生活”からイメージされるものとは程遠い。周囲に夫婦であることを信じてもらうため“ウソ設定”を懸命に考え、互いのセクシュアリティについて真剣に言葉を交わす。ときに、好きな人のことを思い浮かべ真っ赤になってしまう岳朗太に対し、ゆり子は応援の眼差しを向ける。そんなふたりのことを、「おかしい」と思う人もいるかもしれない。「好きでもないのに夫婦になるなんて、どうかしている」と。

 しかし、ゆり子は言う。

私たち恋愛はできませんけど
でも 味方同士ですから

 この言葉にどれほどの重みがあるだろうか。

 ゆり子や岳朗太の決断に対し、「偽装結婚なんてする必要があるだろうか」と思わなくもない。自分自身に正直に、胸を張って生きればいいのに、と。しかし本作では、そう生きるにはあまりにも向かい風が強いことが描かれる。

 ゆり子の母がこんなことを言う。

にしてもアンタが結婚できるなんてね!
奇跡よ奇跡!
いい年してアニメとか漫画ばっかで
もうぜーったい無理だと思ってたもの!
家事とか掃除とかちゃんとして
岳朗太さんに呆れられないようにしなさいよ!
お母さん早く孫の顔が見たいわ~

 ゆり子の母親からすれば、「人を好きになれない」というセクシュアリティは理解できないものかもしれない。それを痛いほど理解しているからこそ、ゆり子は自身のことを主張せず、波風を立たせないように振る舞う。それはきっと、岳朗太も同じだ。だからこそ「偽装結婚」は、そんなふたりが見つけた安寧の地なのだろう。そうやって社会の規範や多数派の価値観に合わせて生きようとするふたりのことを、一体誰が否定などできるのか。

 本作ではゆり子や岳朗太が経験した、過去のつらいシーンがたびたび挿入される。周囲の理解を得られなかった瞬間、自分は他と“違う”と思い知った瞬間……。そのどれもが痛く、苦しい。その描写を見ていると、この社会がいかに違うことに敏感で、そこから取りこぼされる人たちの痛みに鈍感なのかがわかる。そして個人的なことを言えば、自分自身もまた、誰かを追い詰めてきたのではないか、と考えさせられた。ぼく自身が笑っている陰で、ゆり子や岳朗太のように苦しみ、泣いている人がいたかもしれないのだ。だからこそ、本作を読んで考えたい。本作をただのフィクションだと笑い飛ばしたくない。

わたしは壁になりたい

 本作のタイトルになっている“わたしは壁になりたい”とは、ゆり子の想いを端的に表現する言い回しだ。人を好きになれず、性的感情を向けられることが苦手なゆり子は、女性である自分自身が介在しないBLの世界を愛している。推しと推しが結ばれるさまを眺めることに幸福を感じるのである。故に、“壁になりたい”。壁になって、誰かと誰かの恋愛を見守りたい。それがゆり子の幸せの形なのだ。そして岳朗太の妻となったゆり子の目下の幸せは、夫である岳朗太の恋愛を見守ること。それが成就する可能性は限りなく低いかもしれない、と思いながらも――。

わたしは壁になりたい

 マイノリティにとってまだまだ生きづらい社会において、自分たちなりの幸せを追求しようとするゆり子と岳朗太。ふたりの暮らしには、これから先、さまざまな困難が降り掛かってくることが予想される。そのたび、ふたりは悩み、悲しむかもしれない。でも、幸せになってほしい。「あなたたちはふつうじゃない」なんて言われたとしても、負けないでほしい。なにが幸せなのかを決めるのは他人ではなく、自分自身の心なのだから。

文=五十嵐 大