他人の目線なんて関係ない! 古着を追求する大学生たちに学ぶ、“好き”という熱の尊さ『ビンテイジ』
公開日:2022/4/16

人がなにを“好き”になるかなんて、千差万別だ。小説、マンガ、音楽、旅行、料理、スポーツ……。いずれにしても自分なりのこだわりを見出し、その魅力を追求していく。それはとても楽しく、豊かな時間だと思う。
一方で、他者にとってはその魅力がなかなか理解しづらいこともある。どうしてそこまでハマれるのだろう――。そう思っても、口にはしない。人がなにを好きになるのか、なにに夢中になるのかは自由だからだ。ただし、「知りたい」とも思う。自分は決して興味を持たないジャンルに対して、熱くなる人たちの胸の内を。そこに一体なにがあるのか、を。
『ビンテイジ』(赤堀君/講談社)が描くのは、「古着」に夢中になり、胸を熱くさせる大学生たちの姿だ。ぼくは古着に興味を持ったことがないし、その魅力を知らない。しかしながら本作の登場人物たちの熱にやられて、読み終えた後、しばしボーッとしてしまった。
本作の主人公・春夏冬榮司(あきなし・えいじ)は地味な大学生だ。「彼女が欲しい」一心で合コンに繰り出すも、まったくモテない。それでもめげず、友人とともに、どうすればモテるのかを考える日々を過ごしている。



榮司には父親がいない。ちょうど1年前、亡くなったのだ。その一周忌で帰宅した榮司は、母親から「アレを片付けてほしい」と頼まれる。渋々、アレが眠る部屋へと向かう榮司。そこに広がっていたのは、亡き父が集めていた“古着”だった――。
榮司は「古着の良さ」が理解できない。父が何故そこまでハマっていたのか理解できず、古着特有の匂いを「臭い」と毛嫌いするほどだった。しかし、大学で出会った古着好きの女子・アヤメによって、その世界の奥深さを知っていくことになる。



本作は“好き”を追求していく青春ストーリーだ。登場人物たちは実に個性的で、かつ、自分の“好き”に素直である。その姿を見ていると、他者の目線や評価よりも自分の気持ちに従うことの素晴らしさが伝わってくる。
“私が好きならそれでいい”
作中でアヤメはこう言う。
たしかに、納得だ。本来、“好き”という感情は純度が高いもので、決して他者から馬鹿にされるものではないはず。好きなものに囲まれている時間はとても豊かで、尊い。だからこそ、大切にしたい。けれどぼくらは、他者からの評価を気にするあまり、自分の“好き”を蔑ろにしてしまうことがある。他者の目線を意識しすぎて、豊かな時間を楽しめなくなってしまう。
それはつまり、自分自身を否定するようなものではないだろうか。
アヤメと出会った榮司が古着の良さに目覚め、どうやって“好き”を追求していくのか。その熱に触れた読者は、古着の世界の魅力を知っていくことになる。仮に興味がなかったとしても、その面白さの一端を理解することができる。そして同時に、対象がどんなものであったとしても、“好きなものに夢中になる”という行為のシンプルな格好良さを思い出せるだろう。
文=五十嵐 大