矢部太郎「『園長トナ』になるまで連載を続けられたら(笑)」初のマンガ雑誌への連載作品は、“楽屋”が舞台の物語《インタビュー》

マンガ

公開日:2022/11/12

矢部太郎さん

 デビュー作『大家さんと僕』がシリーズで120万部を超えるベストセラーとなり、同作で専業マンガ家以外では初となる第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した芸人の矢部太郎さん。矢部さんが初めて週刊のマンガ雑誌に連載している『楽屋のトナくん』(講談社)が単行本として出版されました。舞台で笑いが取れず、個性がないことに悩む主人公・トナくんを中心に、動物園で働く動物たちが人気者になることを目指す、楽屋を舞台とした物語はどうやって生まれたのか? じっくりとお話を伺いました!

(取材・構成・文=成田全(ナリタタモツ) 撮影=島本絵梨佳)

[プロフィール]
やべ・たろう 1977年生まれ。1997年、お笑いコンビ「カラテカ」を結成、『進ぬ! 電波少年』などに出演し人気となる。また芸人のみならず俳優として映画やドラマ、舞台等で活躍、さらには気象予報士の資格を取得するなどマルチに活動する。2016年からはマンガ家・イラストレーターとしても活躍。著書の『大家さんと僕 これから』『ぼくのお父さん』もベストセラーに。趣味は歯ブラシ収集。

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大きな話ではすくい取れない、小さくて悲しい話を描きたかった

矢部太郎さん

──2021年9月から「モーニング」で連載が始まった『楽屋のトナくん』。どんなきっかけで始まったのでしょう。

矢部 僕も出演した板尾創路さんが監督した映画がきっかけで集まるようになった会に、当時「イブニング」の編集長だった人もいらして、もともと知り合いだったんです。それで僕が『大家さんと僕』を描いたときに「じゃあぜひウチでも描いてよ!」とお話をいただいていて。それで実際に連載ということになったら「今はここの編集長なんだけど」と言われたのが「モーニング」で。「ええっ『モーニング』ですか!」と。

──異動されたんですね(笑)。「モーニング」は1982年創刊、ちばてつや先生、永井豪先生など錚々たるマンガ家が描いてきた雑誌です。

矢部 大御所の連載がたくさん続いているし、昔からずっとある雑誌だから、こっちとしては「大丈夫なんですか?」みたいな感じで(笑)。しかも「イブニング」は隔週だからそれなら……と思っていたら週刊だし! 困ったな、どうしよう、という気持ちもあったけど、こういう機会でもないとそんな大変そうなことをやろうと思わないだろうし、自分の持てる力以上のことができるんじゃないかな、と。

──大家さんやお父様など実在の人物とのエピソードをもとに描いていたこれまでと違って、今回は完全にフィクション、ゼロから話を作る作品ですよね。どうやって考えました?

矢部 編集長に「動物園の楽屋の話は、どう?」と言われて、それなら描けるんじゃないかなとイメージが湧いたんです。そういえば楽屋を描いたマンガってないし、自分の描きたいものともつながるな、と思って。

──矢部さんの描きたいものって、どんなお話をイメージしていたんでしょう。

矢部 競争とか、勝たなきゃダメ、売れなきゃダメ、というものじゃなくて、それだけだとすくい取れないような、日々の喜びとか、楽しさとか、くだらなくて面白いことを描きたいなって。大多数の読者の方は現実と違う大きな話や、競争で勝つ、売れるといったマンガが読みたいのかもしれないし、もちろんそういうマンガを否定するわけじゃないんですけど、僕はもっと小さいものが描けるんじゃないかな、そういうのっていいな、と思ってて。あとは「悲しいお話を描いてもいいよ」と編集長から言われていたんです。勝ったとか、すごい才能が努力して花開いてみたいなものは僕自身にないものだから、絶対描けないなと思ってるんで、そうじゃない、悲しいけど、そこに至るまでは楽しいし、面白くてくだらなくて、いいお話もあるみたいな、そういうものを描けたらいいなと思っていました。

マンガを描きながら、描き方を教えてもらっている

矢部太郎さん

──主人公のトナくんや脇を固めるキャラクターはどうやって生み出しました?

矢部 トナくんは、編集長から「主人公は見た人が一瞬でわかるような何かがあったほうがいい」と言われて、角があったほうが主人公っぽくていいんじゃないか、と話し合いの中で生まれました。トナカイにしたのは、図鑑を見たら性質が穏やかだって書いてあったんで、すごくいいなと思って。

楽屋のトナくん p.2-3

──これは『楽屋のトナくん』を読んでビックリしてほしいので内緒にしておきますが、トナくんは見た目はトナカイだけど実は……という展開にビックリしました!

矢部 僕はずっとそのつもりで描いてたので……そうか、驚きましたか(笑)。トナカイだけど実は……っていうのは、読む方によって自由なとらえ方をしてもらえそうな気がしたんです。表に出るときって、よくスイッチを入れるとか、ペルソナというか、違う自分になるというのがあるじゃないですか。それで、このマンガは楽屋から客前へ出ていく世界の話だけど、それってどんな人にもあることだよなって思ったんです。頭の中では考えてるけど、社会に出たり、人に会ったりするときは出さないこともある、でも親しい人には出せるとか。そういうのって、きっと誰にでもあることだろうし。

楽屋のトナくん p.44

──トナくんや周りのキャラクターは、楽屋でさまざまな動物たちと話をしたり、誰かに嫉妬やあこがれを抱いたり、舞台でウケなくて落ち込んだりと、毎回さまざまな出来事を経験します。

矢部 僕はこれまでだいたい一対一で会話するようなものしか描いてなかったんで、その部分が今回描けるかな、と不安でもあったんです。『大家さんと僕』は大家さんと僕が住んでいた「家」という2人しかいない場で、1人でいるときと、大家さんといるときと、別の人が入ってくるときと、パターンが3種類くらいしかなかったんですけど、楽屋っていうのはもっと出入りが多いから、その場の状態がもっと複雑で。実際に僕が生きてきて、楽屋はかなり長い時間を過ごしている、もしかしたら家に次いで長くいる場かもしれないので、その場にいる人間……って、人間って言っちゃった、一生懸命避けてしゃべってたのに!(笑) その場にいる“動物”たちの状態を描けたらなと!

──今回おそらく一番聞かれるのが「キャラクターは実在の芸人さんがモデルですか?」でしょうね(笑)。

矢部 まったく違います! 読む方にどう取ってもらっても構わないですけど……直接はモデルにしてないです!(笑) でもホントに毎週描かなきゃいけないから、キャラクターもけっこう無意識から生まれるところはありますね。猿の「アーコ」という女の子がいるんですけど、実はこの名前は僕がつけたわけではなくて、自分のことを「あーし」と言ってるセリフを書いた僕の字が汚かったから、編集さんが読み間違って、いつの間にかページの紹介に「アーコ」って書かれてて。「名前つけたほうがいいよな~」くらいに思ってたらついてたので、まあいいか、って(笑)。そんな偶然を取り込んだりしながら描いているので、ストーリーもそうした偶然の部分が大きいかもしれませんね。偶然って現実にもあることだし、そんな決まったことばかり起きるわけじゃないですし。だから描いてて面白いですね。自分で思ってもみなかった種みたいなものを編集さんからいただいて、それが描いているうちに「あ、こんな形になるのか」となって、単行本1冊にまとまったら「ああ、ちゃんとしたな」というような感じになって。不思議ですね。

──これまでとは全然描き方が違うんですね。

矢部 そうですね。マンガを教えてもらってる感じです! マンガとかストーリーの作り方を、僕自身は仕事しながら一流の方から授業を受けているような。だから描いていて楽しい部分もたくさんあります。自分がこんなに描けるとも思ってなかったですから。

忘れていた感情や思いがこのマンガを描かせている

矢部太郎さん

──『楽屋のトナくん』の話の中で、弟子の「らこ助」と「小らこ」がいる「らっ子師匠」が、トナくんを諭す回が特に印象に残りました。弟弟子の小らこが売れっ子になって、兄弟子のらこ助が辞めてしまうかもしれないと焦るトナくんに、らっ子師匠が「本当のことなんて誰にもわからない」「流れだよ」と言う場面は、グッと胸に迫るものがありました。

矢部 僕が吉本に入ってすぐ、同期くらいだったすごく仲の良かったコンビが辞めてしまったことがあって。僕はずっと一緒にやっていくものだと思っていたので、辞めるということが不思議で、理解し難い感覚があって。でもそれは僕が勝手にそう見てるからで、彼らはすごく考えて、事情があってそうなったわけですよね。僕以外の全員には事情があって、日々動いているわけだから、もう流れてるわけですよね、すべて。そのことを思い出したのかもしれません。

──その昔の思いがマンガとなったわけですか。

矢部 だからあそこのシーンの核には僕の中にある記憶というか、感情があるんですよね。辞めようとするらこ助も、残る小らこも、そこにたまたまいるトナくんも、別に誰が僕とかじゃなくて、全員僕で、そのときどきの状態かもしれない。だから読む人も、どのキャラクターにもなる可能性があるし、会社でも後輩に抜かれるなんてこともありますしね。もちろん自分が誰かより出世することもあるかもしれない、それは悪いことじゃないけど、でもなんかね……という、どうしようもないことっていっぱいあるな、って。くだらないことも「どうしようもない」って言うけど、そういうつらいことも「どうしようもない」ですよね。そういう「どうしようもない」を描いていけたらと思っています。

描くのが楽しいことは変わらない。毎日マンガのことを考えている

楽屋のトナくん p.99

──2017年に「小説新潮」で『大家さんと僕』の連載を始めたころと、何か変わったことはありますか?

矢部 すごいあると思います! 変わったのは、むちゃむちゃ描いてますね。先月は200ページくらい描きました。5年前は1カ月に4ページしか描いてなかったですから(笑)。あのときは何もわかってなかったですし、小説の雑誌に連載していたから、自分のマンガを他のマンガと見比べることもなかったんですけど、今回はマンガの雑誌なんで、僕も読むだけじゃなくて、どう描く、みたいな見方に変わってきたこともあって。

──へえ、どんなことですか?

矢部 「モーニング」に初めて載ったとき、僕のマンガ、むちゃくちゃ色が薄かったんですよ! それが衝撃で! うえやまとち先生の『クッキングパパ』の後に僕のマンガがあって、ページをめくったらむちゃくちゃ(色が)薄くて、裏の『クッキングパパ』の絵が透けてて、読めないんですよ!(笑) これはやばいと思って、7話目くらいから濃く描くようにしたんです。単行本にするときは濃いほうへ合わせるため、1話から7話まで全部描き直しました。だから「マンガは濃く描くものだ」ということを、僕はうえやまとち先生に教わりました! やっぱり濃いと、目を引くんですよね、パラパラ読んでても。(色の)薄いマンガはダメです!(笑)

──それはマンガ雑誌ならではの気づきでしょうね! 変わらないことは?

矢部 変わらないことは、まだ描くのが楽しいことですね。誰かアシスタントに代わりに描いてほしい、とか思わないから、楽しいなって思えてるんだと思います。毎日ずっとマンガのことを考えてるかもしれないですね。

──矢部さん、本当にマンガを描くことが性に合ってたんですね。

矢部 そうですね。あとは描いたらチヤホヤしてくださる方もいますし(笑)。そういうのも合ってるんだと思います!

──褒められて伸びるタイプ!(笑) 帯でもビートたけしさんと江口のりこさんに褒められています。

矢部 たけしさんは『大家さんと僕』を読んでくださっていると聞いて、お願いしてみたら受けてくださったんです。江口さんは知り合いなんですけど、所属が東京乾電池なので楽屋の匂いもあるし、本音しか言わなそうじゃないですか!(笑)

──装丁は名久井直子さんが担当されているんですね。

矢部 イラストを描く仕事で何度かお仕事をしたことがあって、思い切ってお願いしてみたらOKしてくださって。単行本は中にイラストのページがあるんですけど、マンガを読んでくださった名久井さんが、全体として絵本みたいなイメージがいいんじゃないかとご提案くださったんです。名久井さんは僕がすごく好きだった、同じ「モーニング」に載っていた8コママンガの始祖みたいな木下晋也さんという方の『ポテン生活』の装丁もされていたので、それも偶然で嬉しいなって。本として可愛く仕上がったので、手に取っていただけると嬉しいです!

矢部太郎さん

──『楽屋のトナくん』、今後はどんな目標がありますか?

矢部 長く続いたらいいな、っていうのはありますね。『クッキングパパ』くらいに! 『島耕作』みたいに、トナくんが出世していってもいいかもしれないですよね。『座長トナ』とか『園長トナ』とか! でも実際は同じ弘兼憲史先生の名作でも『人間交差点』のようなものが描けていけたら…なんて思っています。あっ動物ですけど(笑)。まあ、こういうのって、リアルに1冊目の売上で決まったりするとも聞きますし……一応2巻の終わりくらいまでは今のところ描けたので、とりあえずそこまでは出せたらいいな、って思ってます!(笑)

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