ポルノグラフィティ新藤晴一が7年ぶりに小説を発表! 「ロックの世界をフィクションで描くそれは、ひとつの挑戦でした」

小説・エッセイ

更新日:2017/9/25

「言葉にすれば、頭のなかにある物語を、書いたか、書かなかったか、の違いなんです。けれどそこには大きな差があって、としか言いようがなくて。ただ、明確なのは、読んでいるときより近づけた気がしたんですね。現実とは違う世界に連れて行ってくれたり、いろんな景色を見せてくれる言葉の力というものに」

著者・新藤晴一さん

新藤晴一
しんどう・はるいち●1974年、広島県生まれ。ポルノグラフィティのギタリスト。99年にメジャーデビューし、数々のヒット曲を生み出してきた。9月6日には45枚目となるシングル「キング&クイーン/Montage」をリリース。また「THE 野党」としても活動。著書にエッセイ集『自宅にて』、小説『時の尾』。

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 7年前、初の小説『時の尾』を書きあげ、実感したその思い。新藤が文章で“自分の世界をつくりたい”と切望し始めたのは、音楽でその世界をつくり出すより前のことだったという。「怖い先輩と目を合わさないようにするため、下を向いて村上春樹の小説を読んでいれば、田舎の中学校から洗練された都会にいきなり飛ぶことができた」という頃から信じ続けてきた言葉の力。それは1作目を書いた後から、己のなかで、さらに大きくなっていったという。

「7年も空いてしまいましたが、“書きたい”という思いは、以前にも増して強くなってきました。あれから年齢も重ね、人生の先みたいなものもイメージするようになって。そのなかで自分に必要なのは、やはり小説を書くことだなと思ったんです。そんな日が訪れるかどうかはわからないけれど、もしかしたらバンドをやり切る日が来るかもしれない。たくさんの人が集まってやっているものだから、予測はできませんよね。では僕という個人が、この先の人生でやりたいこと、やるべきことは何なのか。それを突き詰めたとき、書くことしか考えられなかった」

 作家活動、2つ目のマイルストーン『ルールズ』は、メジャーデビューを目指し、奮闘するロックバンドを描いた青春グラフィティだ。「とにかく自分にとってリアリティのないものを」と、設定を無国籍にし、主人公を元少年兵にした前作とは、質感も世界観もまったく異なる。

「フィクションを書きたいということは一貫しているのですが、本作を書くにあたり、ひとつの提案を編集者の方にいただいたんです。読者の方に、僕が書くという意味がわかりやすく伝わるものがいいのではないかと。自分ひとりで考えたら、バンドという要素は避けていたと思う。小説を書くときは、音楽をやっている自分とは別のところにいたいと考えていたので。でもあえてその舞台でフィクションを描くことは、ひとつの挑戦になるのではないかと」

“まず最初に言っておかなくちゃいけないのは、ロックはほとんど全部をセーフにしてくれるんだよってこと”。ページを開いて飛び込んでくる、そのひと言で、この物語の語り手が気になってくる。まっすぐで、熱くて、どこか青臭くて。饒舌な一人称で語っていくのはインディーズバンド、オーバジンズのベーシスト・健太だ。大学のバンドサークルで結成したロックバンドのメンバーは4人。だが物語が始まるや3人に……。しかも辞めたのはリードギターだ。

「いきなり解散寸前の状態から始まるんですけど、そういうときのバンドって、ほんとにしんどいんですよ。仲間のバンドでも見てきたし、ポルノグラフィティもそういうタイミングがなかったわけではないので。でも、そこにちょっと光が見えると、天と地の差が生まれるんです。その光を健太は見る。そこへ向かって突き進んでいく彼の必死さが原動力になっていきました」

 その“光”は、不思議な温かさとミステリーも連れてくる。

バンドマンという人種の発想が物語を拓いていった

「バンドに限らず、実力と人気は別次元のものですけれど、やっぱりスキルが高いということは一番正しいことだと思うんです。オーバジンズの目指す、メジャーデビューは、どうしても人気というものが絡んでくるけど、そこにスキルの高い、一番正しいやつが入ってくることで、なかなか合致しないものも出てきてしまう。そこに物語が描けるかなと」

 テクニカルプレイの古典ともいうべき難曲、ヴァン・ヘイレンの「Eruption」を、楽器店の店内で正確に演奏する若者──健太は彼に“光”を見つけ、オーバジンズに加入してほしいと頼み込む。だが言葉がまったく通じない。なぜなら彼──ハオランは昨日、中国からやってきたばかりだったから。

「幼い頃から、特定の種目だけを徹底的に練習させて、オリンピック選手を育てるとか、中国の文化って面白いなと思っていたんです。僕らとはまったく違うスキルや芸を磨くための文化には、ファンタジーを感じてしまうところもあって」

 聴く人の度肝を抜くハオランのギターテクニックはまさにファンタジック。だが、それほどのスキルがあるのに、完全なコピーしか演奏しない。ストーリーのなかで次第に明かされていくその謎は、オーバジンズに大きな影響を与えていくことになるのだが……。

「なんとなくデビューしたいということだけで、あやふやなんですよね、オーバジンズの立ち位置は。音楽に向き合う理由も、手段も、目的も」

 いつも尖っているリードボーカルのマッシー、穏やかだけど、我関せずなところもあるドラムスの真治、そしてハオラン、健太。4人がそれを掴むためのストーリーは起伏に満ちている。たとえばバンで寝泊まりしながら行くツアーは、様々なバンドを通し、異国を旅していくような楽しさがある。

「執筆前、ストーリーをすべて書いたんです、大きな紙に。でもツアーに行く予定はなかった(笑)。オーバジンズがちょっと上向いたとき、ツアー、行ってみたいよねって流れは自然に出てきました。プロットよりも“バンドマンという人種ならどう考えるかな”という発想のなかで」

 地元でも指折りのバンドなのにアマチュアに徹するバンド、やり過ぎとも思えるファンサービスをするヴィジュアル系バンド……自分たちの価値観とは違うその在り方が、オーバジンズを映す鏡にもなる、ツアーでの描写。それは、この世界を長きに渡って見つめてきた新藤ならではのものだ。

「本当にいろんなバンドがいるので。テレビに出たいというバンドもいれば、地元で自分たちが信じる音楽だけやっていたいというバンドも。そのどれもが正しいと思うんです。音楽を続けるためにはいろんな手段があっていい、向き合うためにはいろんな手段があっていい」

 その思いはオーバジンズにも、そしてみずからが考えるロックのルールのなかで、“自分にはそれをやる資格がない”というわだかまりを抱える健太のうえにも舞い降りていく。

ロックの“ルール”は縛るためのものではない

「自分のことは切り離したつもりなんですけど、やっぱり油断しちゃったんでしょうね。書き終わってから、健太の気持ち、“わかる、わかる”と。わかるところがいっぱいあるということは、自分のことが出ているんだろうなと思いました」

 温かな両親のもとで育ち、大学を出た後も自分の好きなことをしている健太。過酷さを持たない自分は、ロックのルールに従っていないと感じている。

「母が自分を置いて出て行ってしまったとか、ダウンタウンの不良だったとか、僕が子供の頃、憧れたロッカーは皆、何か背負っている人たちだったんです。そして、そういうところから爆発的なパワーが生まれてきていた。僕も健太と一緒で、自分はそうした人たちとは違う、と思っていた。ロックのルールのなかで、“平凡”という十字架を背負っていると感じていた」

 だがそれは、自分がロックを演る理由を探し続けることにも繋がっていったという。そのなかで理解していったのは、ロックのルールとは縛ることではないということ。

「SNSに代表されるように、今はルールに絡めとられた生きにくい世の中じゃないですか。かつては狭苦しいルールの外にあったから憧れたし、光輝いていたものもすべてそのルールのなかに入ってきて、誰も破天荒であることを許されない。この物語のなかには、僕が憧れたロックバンドの素晴らしさを表現したシーンがいくつもあるんですけど、そうしたかつてあった光を仰ぎ続けたいんです。ルールと言えば、ほとんどのものは縛るためのものだけど、ロックのルールは、いろんなものから解き放たれることだから」

 ロックのミューズのようなヒロイン、オーバジンズの反骨精神を刺激するレコード会社の男など、唯一無二のキャラクターたちが、そのうねりに本気で入ってくる中盤以降、ストーリーは加速と展開の連続だ。そして圧巻のライブシーン。音、空気、圧力までもが文字を通して伝わってくる。背筋が痺れるような感覚は、ロックを知らない、音楽のことはわからないという人にも分け隔てなく降りてくる。

「自分らのバンドって、オーバジンズとは真逆のタイプだから、こんなエモーショナルな要素のライブはやったことがないのですが、自分の内側では、こういう状態でありたいと願うものを表現しました。そう実感できる小説になりました」

取材・文=河村道子 写真=山口宏之