「みんなと一緒に歩く過程」にこそ、大きな意味がある――悠木碧インタビュー

エンタメ

2018/4/25

『ピアノの森』NHK総合テレビにて、毎週日曜24:10より放送中 (C)一色まこと・講談社/ピアノの森アニメパートナーズ

できないことに怯えて表現を削ったら、この歌を歌う資格がない

──ニューシングルの“帰る場所があるということ”、すごい曲ですね。

悠木:嬉しい! ありがとうございます。

──完成した曲について、どう感じてますか?

悠木:今まで自分がソロでやってきたのは、自分の中にあるものを外に発信していくことで、ずーっと発信し続けていたんですけど、自分の中で構築できる最高潮を見たことで、一度やめてしまって。でも、お客さんたちが寂しがってくれて、「そんな大事に思ってくれる人がいるんだ」と思って復活したのが、前作(“永遠ラビリンス”)でした。前作から続けていきたいと思っているのが、「人と一緒に作るということ」です。

 前作に続いて今回もタイアップなんですけど、エンディング曲なので後味になるということがすごく大きいと思って。監督がどんな気持ちで作品の後味を作りたいか、お客さんの心に残したいか、がすごく重要だから、まずは監督の好みを聞いてそこに沿うものにしよう、というところから始めています。発信することに特化して、「こんな新しいもん作ったったで!」っていうことはやってきたんですけど、今回の曲は、「受け止める曲にできたらいいなあ」と思っていたし、みんなのいろんな感情を受け止めてあげられるような1曲になったんじゃないかなあ、なんて思ってます。

──今回のタイアップである『ピアノの森』には、どんな印象を持ってたんですか?

悠木:『ピアノの森』って、アートとかアーティストが生み出すものって、この国ではすごく評価されにくくて――というところから話が始まると思っていて。たとえば、コンテストをやっても、マナーの部分からマイナスがつけられていく、とか。でも、それを破壊していくだけの力を持ったアーティストがいるんだ、というのが『ピアノの森』のお話なんです。主人公のカイくんがいて、いろんな人がいろんな影響を受けて成長していく、人生を変えられちゃうほどの音楽に出会っていく。ちょっと話はそれますが、私は声優を表現者という枠の仕事だと思っていて。でも、世の中的には、職人とか技術職のイメージが強くて、声が変えられることや、早口でしゃべれることに感じ入ってもらえることが多いんです。だけど重要なのは、出す一声で、観る人に「よくわからないけど魂が震えたな」ってなってもらえることだと思うんです。そういうことを目指している者として、『ピアノの森』のストーリーが世の中にアニメーションとして発表されるのが嬉しくて。作り手としてすごくわかるなって思うし、表現者が「こうありたい」という願望が詰まっている作品だな、という印象でした。

──キャラソンであったり、過去の音楽活動であったり、悠木碧さんの歌はいろんな形で耳にする機会があったけど、ここまで作品に寄り添えている歌は初めて聴いたな、と思いました。

悠木:今までは、主人公を想定して歌ってきてたんです。でも今回の“帰る場所があるということ”は、主人公の形を見せないことがけっこう重要かな、と思っていて。女性なのか男性なのか、いくつなのかもわからない。だからこそ、多くの人が自分を主人公にして聴けるのかな、と。この一曲で何かを伝えるというよりは、「聴いた人がその後どう考えるか」が重要なんだ、と思いながら作ったのは初めてかな、と思います。今までは、どこに伝えるかを明確に特定しない曲って……言ってみたら甘えだなって思ってたところがちょっとあって。でも、今のチームと一緒に作っていると、それは甘えではなく、聴く人への赦しなんだなって思うんですね。それがすごく詰まってる歌だな、と思ってます。

──聴く人への赦し?

悠木:そう。たぶん今までの私の提示のしかたって、「こういうふうに聴けー!」っていうところが強すぎたんです(笑)。でもそうじゃなくて、「いつ聴いてくれてもいいし、聴いて何を思ってくれてもいいし」が本来あるべき姿というか。聴いた人が楽しい音楽って実はそういう形なのかな、という気もしていて。訴えることに必死すぎたところがあったんですが、今はちょっと肩の力が抜けて。聴いてる人に答えを委ねられるようになったと思います。

──なるほど。実際、歌詞を読んで、曲を聴いて、『ピアノの森』ってなんなのかがわかる感じがするんです。間口が広いし、懐が深いし、器が大きい曲だなと思って。想像の余地もあるし、自分は『ピアノの森』を読んでたので、「これはカイのことかな」と思いながら聴いてたんだけど、それも解釈のひとつであって、そうではない解釈をしても大丈夫というか。

悠木:そうなんですよ。カイって、阿字野先生が棄てた森のピアノが育てているところがあるじゃないですか。だから、どちらかというと森サイドの気持ち、みたいな(笑)。

──(笑)始まって数秒で、「体験に作用する曲だな」って思ったんですよね。『ピアノの森』を読んで、なにがしかの感動を受け取った人の体験を呼び覚ます曲になっているのかな、と。

悠木:それはすごく嬉しいです。今回、作詞作曲をしてくださったhisakuniさんがレコーディングのときにも来てくださったんですけど、もう『ピアノの森』トークが止まらないんですよ(笑)。私も、それくらいハマり込む理由がわかるんです。歌詞もすごくいいので、うっかり入り込みすぎちゃうところがあるんですけど、あくまで受け止める曲であるということは忘れたくなくて。その引き算がすごく難しかったです。足していくことは得意なんですけど、芝居と同じで引き算が一番難しいんです。歌でそれをやったことがなかったので、面白かったですね。

──“帰る場所があるということ”って、表面上は感情を抑制されているように聞こえるんですよ。ものすごく盛り上がったり、叫んだりするような曲ではない。わりとフラットに進んでいくんだけど、背後に情熱が見える曲になっているというか。

悠木:そうですね、お日様みたいなイメージというか。うっかり苛烈に照らすときもあるけど、そういうときは日陰に入ってよ、っていう気持ちです(笑)。「聴く人や聴くタイミングによって、全然違う表情に見える曲でいいじゃない」と思ってはいるものの、私自身も共感できる歌詞がたくさんあって。そういう意味では、お日様になりきったり、森になりきったりができずに、やっぱり人である部分が滲んでしまう感じに仕上がったのが、大変私らしいのではないか、と思うのですよ。

──(笑)歌においても、けっこう注いじゃう側だったりしますしね。

悠木:そうですね。いや、ほんとにパッションでしか歌ってこなかったので(笑)、引き算の方法がわからないところから始まり。「これは引き算したほうがいい曲だ」と思ったんですけど、引きすぎて誰が歌ってもいい感じになるのもイヤだし。「どんなバランスがいいのかなあ」と思いながら歌っていたときに、カツンと、「あ、ここだとすごい気持ちよく歌えるな」「このバランスすごくいい」みたいなところがあって。そこに入ると、あとは何も意識せず、そのパワーのまま出力できました。だからレコーディングの時間自体は実はすごく短くて、短期集中で録ってるんです。

──その、「カツンとくる」ところにアプローチできた過程を聞きたいです。

悠木:最初に「とりあえず、思ったまま歌ってください」って言われて。思ったまま歌ってみたら――「ちょっと圧が強い」という話になり(笑)。でも、それは重いとか軽いとかじゃなくて、楽に聴ける、安心して聴ける、みたいなことなのかなあ、と思ったので、いろいろなパーツをばらしてみて。「この1行だけは絶対に入れ込みたい」っていう部分をまず作って。そこから、「その前にはグラデーションをつけたいからここは引く」という感じで作っていったんですけど、その作業をワンフレーズくらいやってみたら、他の部分が見えてきて。

 あとは「ここをこうしたいから、他の出力を考えよう」って決めていきました。個人的に大事にしたいなと思っていたのが、《この手が紡ぐ音》という歌詞から《あの頃聞いてたメロディ》までを、特に情感を込めて歌いたいと思ったので、「ここだけは引かねえ」と(笑)。そういう配置のしかたはやったことがなかったので、楽しかったですね。いわゆる芝居のセリフで言うところの立てどころ、たとえば《真っ暗なステージで独りぼっち》だったら、《真っ暗な》が立つのか、《ステージで》が立つのか、《独りぼっち》が立つのか、という話なんですけど、歌の場合はフレーズで立てどころがくるんだなって、今回すごく感じました。

──感覚的であるようでいて、ものすごくロジカルな話ですね。

悠木:たぶん、実際にやってるときは勘なんですけど、あとからこうしてお話を聞いていただけるときに、初めて言語化されている感じだと思います。私の中では、映像的に見えてるんですよね。どちらかというと直感型なので、先に直感でやってからロジックで組み立てるというか。直感が足りなかった部分をロジックで埋めて、構造をより強くする感じにできると理想的なのかなあ、と思ってます。

──冒頭と近い話になるんだけど、感覚とロジックと技術、すべてが伴ってこの歌にできるんだな、という感じがしますね。たとえば、引く表現を知らなかったら、引こうと思っても引けないし、一方で、声優は職人と言われるけれども、職人というだけならロジックと技術はあっても感覚の部分は持ち合わせてないかもしれない。そういう意味では、職人ではない声優が歌った歌、という感じがするというか。

悠木:嬉しいです。なんだろうな、おそらく私は技術という面では全然まだまだで、足りないものもたくさんあるし。変な話、私は決して歌がうまいほうではないんです(笑)。自覚はあるんです。でも、それでも手に取ってくれて、聴きたいと言ってくれる方がいるのは、きっとハートが伝わってるからだと思っていて。日本において、歌の中に技術がないのにハートが伝わってると表現されることって、すっっっごい稀なケースだと思っていて(笑)。それこそ『ピアノの森』のカイくんって、技術の人ではないですよね。それを表現してる作品で、私ができないことに怯えて表現を削ったら、もう全然この歌を歌う資格ないでしょ、っていう気がするんですよね。

 なんか、泣かせるシーンで泣かせるのって、簡単だったりするんです。でも、通常時に泣かせるのは難しいんです。そのしばりには役者として燃えたし、表現者としても楽しいな、と思いました。たとえば、なんでもない日常で、家族でごはんを食べてて、「お醤油取って」「今日の刺身、うまいね」「今日、隣のお店のじゃないんだよ」「そうなの?」みたいな話で泣けるのはすごい!みたいな(笑)。そういうことができるようになったら、またひとつ成長できるのかな、と思ったりします。エモーションで「泣けっ!」ってすることはできるかもしれないけど、なんかちょっと違うし、それだともったいない。そんなことを考えさせてもらった1曲でした。

この曲を指針にしていくことで、応援してくれてきたファンの人たちを裏切らないでいられる

──今後も音楽活動を続けていく上での指針になる曲なんでしょうね。

悠木:そうですね、幅を広げてもらったなあ、と思ってます。ちょっと話が変わっちゃうんですが、“帰る場所があるということ”のタイトルがリリース前に表に出てる状態で、当然お客さんも見てるじゃないですか。私が唐突にソロをやめてしまって、ファンクラブもブログもなくなったので、お客さんからしてみればなんにもなくなっちゃった、悠木難民みたいになってしまったらしいんですけど、「“帰る場所があるということ”というタイトルが、僕らとしてもすごいあったかいです。『お帰り』と言ってもらった気持ちがあるし、僕らも『お帰り』の気持ちだし」みたいなコメントをもらったりしたんです。それですごく驚いて、「ちゃんと受け止めてもらえてるし、受け入れてあげられるんだな」と思って。「歌を続けていいってみんなに言ってもらえたんだなあ」って思って、ちょっと嬉しかったんです。そういう意味でも、この曲を指針にしていくことで、今まで応援してくれてきたファンの人たちを裏切らないでいられるのかな、なんて思ったりします。“永遠ラビリンス”のときの「待ってたよ」っていう言葉が、この歌に私がパッションを入れ込む隙を作ってくれた、と思ってます。

──お客さんの言葉が、今回の新曲の表現にいい影響を与えてくれた、と。

悠木:そうですね。皆さんのひとつひとつの情熱というか、私をコンテンツとしてではなくて、人間として扱ってくれた心遣いが、間違いなく私の中にも感動として残っていたので。

──まさに、そこが今回聞きたいところで。今までにも、自分の歌が人の心を動かす体験をしてきているだろうし、受け手を感動させる歌を歌ってきたと思うんですけど、ソロの活動をリスタートしてからそのことに自覚的になっているし、それが表現にもアウトプットされつつあるんだろうな、と。

悠木:やっと踏ん切りがついた気がします。「うまく歌うことはあとで考えよう」と思えたというか(笑)。まずはちゃんと歌って、コンスタントに思ってることを伝えていくことが誰かのためになるんだったら、それでいいと思うし。今までは、人がどう見てるのかもすごく気になってたんですけど、ちょっとずつ消化が上手になりました。でも、難しいのは、慣れちゃいけないんですよ。痛みに慣れちゃいけなくて、耐えないといけないんだなあ、と思います。痛みに慣れると、痛いと感じている人の芝居ができなくなるので。きっと、感情に慣れるということは一生してはいけないし、一生人の言葉には傷つくし、一生人の言葉で浮かれるし、そうでないといけないなって思うんですけど、そのスイッチングがちょっと上手になったんだと思います。私の中では、大人になったのかなあっていう気もしてますね。

──では、今後音楽活動を続けていく中で、目指したいことはなんですか。

悠木:昔は明確にあったんですけど――次の一歩をどっちに向くか、ばかり考えてました、でも今はもっと遠くを見て、海に行くか山に行くか、どっちかなあ、みたいな気持ちになっていて。海も山もいいなって思ってる感じ(笑)。だから、多数決で海に行きたい人と山に行きたい人を募って、「私、どっちでもいいから。どっち行く?」って聞いてみようかなと思うくらい、心にゆとりがある状態でものを作れている気がします。今まで急いて走ってきた分、今はゆっくり何も気にしないでトコトコ歩いて、こんな花咲いてたんだ、こんな風が吹くんだ、って感じながらみんなと一緒に歩くのはすごくハッピーだし、それだけでいいのかなって思います。

──今までは、ずんずん先に行っちゃってたんでしょうね。

悠木:そうです! 今までは、バーンって走って「こっちこっちこっちこっち!」ってめっちゃ呼んでて、みんながなんとかGPSで追ってきた、みたいな(笑)。でも、みんなが「あっちがいいよ」「こっちがいいよ」って言ってるのを見てるのも意外とハッピーだなあと思えるようになりました。変な話、歩みが遅すぎて海も山も見られなくてもいいかなっていう気がしていて。歩く過程に、意味があるというか。作ってる過程を見られることや、練習している過程を見られるのがイヤだったんですよ。完成形を見せたいのであって、「頑張るのって当たり前でしょ?」って思ってたんですけど、今は「そこが楽しいんだったら、そこを見てくれてもいいんだ」っていう気持ちです。なんだろうなあ……私のことをコンテンツだと思っていない人には報いていきたい。そんな感じです(笑)。

──人として。

悠木:人として見てくれている人にありがとうを伝えられるようになることが礼儀、というか。きっと、私が本当に尊重して大事にするべきなのは、それなんですよね。「今日、こんなハッピーなことがあったー」ってつぶやいたら、「あおちゃんが幸せなだけで自分も幸せです」ってコメントをくれる人のことを、私は大事にしたい。その人たちにちゃんと報いる活動ができたら、そこが「帰る場所」になるのではなかろうかと、いう気がしています。

取材・文=清水大輔