『機動戦士ガンダムNT』に吹き込まれた新たな息吹――吉沢俊一(監督)インタビュー

アニメ・マンガ

2018/12/7

『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』公開中、松竹配給 (C)創通・サンライズ

 これまでにも『ガンダム Gのレコンギスタ』や『機動戦士ガンダム サンダーボルト』に演出&絵コンテとして参加してきた吉沢俊一が、自身の初監督作として挑んだのがこの『機動戦士ガンダムNT』だ。『機動戦士ガンダムUC』の後日談であり、宇宙世紀の物語としてガンダムの「正史」を受け継ぐ『NT』は、ガンダムブランドの伝統という宿命を背負った作品だ。しかし同時に、「UC NexT 0100」プロジェクトの幕開けを飾る本作は、新たな世界を切り拓く役割を託された始まりの作品でもある。伝統と革新の狭間で吉沢が目指したガンダムの物語について訊いた。

有機的で柔らかなガンダムの動きを目指した

――吉沢さんにとって初監督作となる『機動戦士ガンダムNT』ですが、オファーを受けての意気込みはどういうものでしたか?

吉沢:最初はとにかく頭が真っ白になりましたね……でも、もちろん断る理由はないですし、富野(由悠季)さんにも相談したら、“話が来たんだったらやれよ”と。だからもう、やってやるぞという気分で飛び込んだというところですね。

――原作、脚本の福井(晴敏)さんとは、作品の方向性についてどうコンセンサスを取ったんですか?

吉沢:最初に福井さん宅の近くの焼肉屋でご飯を食べながら話したんですけど(笑)、僕は富野さんの作品の中では『伝説巨神イデオン』と『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が一番好きなんです、っていう話をしたら、福井さんもわりとそういう感じで、最初の段階で共感するところがあったんです。それで、僕自身の富野さんのガンダムってこうなんじゃないだろうか、っていう考えを素直に出していこうと思えたんですね。富野さんのガンダムの特徴って、速いんですよ。映像のスピード感が。あれを『NT』でも意識しました。『機動戦士ガンダムUC』は、いい意味で富野さんのガンダムっぽくないというか……わりとどっしりした重厚な映像で、モビルスーツの動きもゆったりしたものだったんですけど、今回はそこから真逆にいったんじゃないかな。イメージしたのは『逆襲のシャア』とかの、あのパパパパっ! って進んでいくスピード感だったので。

――『NT』のフェネクス(ユニコーンガンダム3号機)の動きはどこかフェミニンというか、軽やかに感じます。

吉沢:今回、お話の中核になってくるのが、このフェネクスなんですよ。全身サイコフレームでできていて、そのサイコフレームに死んでしまった女の子の魂が入って飛ぶって、それもうオカルトじゃないかと(笑)。

――(笑)。

吉沢:なんじゃそりゃって。でもガンダムって、ファーストガンダムのラストシーンでもそうでしたよね。アムロの思っていることが言葉にせずとも皆んなに伝わるっていう。『逆襲のシャア』でも、最後に地球に落とされた隕石が……。

――何か正体不明の力で。

吉沢:そう、隕石が押し戻されてしまうっていう。なにこれ?っていうシーンが、以前からかなりあるんですよね。ハードなガチガチのSFかと思いきや、オカルトテイストのある不思議な作品なんですよ。今回はそのオカルトテイストをかなりフィーチャーしています。『NT』の骨子となった小説の『機動戦士ガンダムUC 不死鳥狩り』を読んで、福井さんと話して、脚本を読んだ後で、それを全面に押し出していこうってことになって。じゃあそれを映像にするにはどうすればいいのか? って考えたときに、まさにキーとなるモビルスーツがフェネクスだったんですよね。他のモビルスーツは噴射口からのスラスター推力で飛ぶんですけど、フェネクスは違うんです。青い光に包まれて、鳥みたいにビュンビュン飛ぶんです。最初にメカニカルデザインの小松(英司)さんと打ち合わせした時にも、こいつは鳥みたいに飛ばしたい、って話をして。これはモビルスーツ、メカじゃなくて生き物なんですと。その点がちょっと女の子っぽく、しなやかな感じになっているのかもしれません。あと、フェネクスを特徴づけているのが、この尾っぽみたいなスタビライザーなんですけど。

――フェネクスが飛ぶと、その尾っぽがひらひらと揺れていましたよね。

吉沢:そうなんです。『不死鳥狩り』はこのフェネクスを捕まえる話で、それはつまりフェネクスに乗っているリタという女の子を追いかける話なんですよ。『NT』はリタが髪を揺らして走って逃げているシーンから始まっていますけど、あの尾っぽもそれを象徴しているんです。

――どこか手塚治虫の『火の鳥』を彷彿させますよね。同じように尾っぽを揺らして飛び、人々が追いかける対象であるという。

吉沢:人はやっぱり何かを追いかけたいんですかね(笑)。あと、『火の鳥』同様に不老不死という概念もここにはありますよね。魂は生きていて、それがモビルスーツを動かすという。

――モビルスーツを鳥のように飛ばす上で、演出上難しかったことは?

吉沢:3Dはやっぱり動きが硬くなるので、それをいかに有機的に柔らかくするかっていう点は苦心しました。でも、メカニカル・デザインの小松さんが、かなりデフォルメされる方なんですね。モビルスーツはこんな風には本来曲がらないっていう箇所も、敢えて曲げてみるっていう。関節の配置や稼働範囲に嘘をついて、デフォルメして行くんです。ちなみに、ユニコーンガンダムは関節と関節に伴う動きのロジックを、ものすごく厳密に計算して作り込んでいるモビルスーツでしたから、その点でも結構違いますよね。映像のスピード感、こうしたモビルスーツの動きも含めて、やはり『UC』とは対極的な質感の作品になっていると思います。『UC』が関節の動きに厳密を期したマシーン、メカニカルのテイストが強い作品だったとしたら、『NT』は有機的なキャラクターをとして作っているというか。

――有機的なガンダムが動き回る世界、という方向性は、制作初期段階から見えていたんですか?

吉沢:やっていくうちにそうなっていった、っていう感じですかね。これは富野さんに教わった技のひとつなんですけど、“お前が決めるな”っていうのがあるんです。例えば女優さんを撮影するとして、その女優さんの足がとても綺麗だったら、足の綺麗さが引き立つアングルで撮りますよね。つまり、演出家がどう撮るかを決めるのではなくて、モチーフが決めるんです。だとすれば、『NT』は大人たちに酷い目に合わされた三人の子供達の目線で、コロニーが破壊された側、攻撃された側の目線で撮るしかないよなと。それは演出の私が決めたことじゃなくて、物語が決めたんです。それが富野さんの言っていた物語至上主義っていうことなんだと思います。だから出来上がった作品を観て、ああ、こういう風になったんだと初めて気づくことも多いんですよね。

――ガンダムのように凄まじい歴史の厚みを持つ作品の新作を作る上で、クリエイターとして難しい点と、面白い点は?

吉沢:難しさはやっぱり、こういうアイデアはどうでしょう? と出したとしても、“いや、それガンダムじゃないよ”と速攻で言われて、監督なのに潰されるっていう(笑)。

――(笑)。

吉沢:ガンダムはそうじゃないだろう、って怒られる。そういうことはたくさんありますね。でも逆に、これとこれを押さえておけば、あとは何をやってもガンダムになるよね? と、制約を逆手に取ってやれてしまう場合もありますから。そこは辛かった反面、面白かった点でもあります。逆手に取った演出という意味では、冒頭のコロニー落としのカメラを地球側に、落とされる側に置いて描いたのもそうですね。『NT』はやられる側の物語ですから。宇宙からコロニーを落としてどかーんと光って終わりじゃないんですよね。その下には破壊された街と生活があるわけで、その悲惨はそれこそ震災を経験した僕らひとりひとりがリアリティを持って対峙できるものだと思うんです。『不死鳥狩り』を読んだ時に、すごく綺麗な物語だと感じたんですけど、綺麗なものを描くためには、汚いものもちゃんと描かなきゃいけないっていう。

――福井さんはガンダムには噛みごたえが必要で、観る人に媚びちゃダメだとおっしゃっていましたが、汚いものも敢えてちゃんと描くハードさも、ガンダムの噛みごたえのひとつなのかもしれませんね。

吉沢:そこはやっぱり、富野さんの作ってきたものを観てきた人間はどうしてもそうなっちゃうんでしょうね。富野さんの作品の毒電波を受けて(笑)。

『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』公開中、松竹配給 (C)創通・サンライズ

ガンダムは子供に嘘をつかない

――吉沢さんとガンダムの出会いはいつだったんですか。

吉沢:僕は78年生まれで、初めてガンダムを意識して観たのは小学1、2年生の頃に観た『機動戦士Zガンダム』でした。でも『Z』って正直、子供が観てもよくわからない話じゃないですか。毎回なんとなくドンパチやっていて、なんとなく終わって、カミーユが暗い一日を終えるっていう(笑)。それであの最終回がほとんどトラウマみたいになって、アニメを観るのが嫌になってしまったんです。中学生の頃は弟が『機動戦士Vガンダム』とか観ているのを、後ろでちょこちょこ覗いているくらいでしたね。でも高校生の頃から色々な映像作品や映画を観るようになって、『エヴァンゲリオン』や押井(守)さんや宮崎(駿)さんの作品を観るようになって、アニメにも凄い作品がたくさんあるぞと。そこで再び富野さんに帰ってきたんですよね。もう一度トラウマに立ち向かうしかないと(笑)。それでもガンダムに関わり、監督をやることになるなんてこれっぽっちも思っていなかったですね。僕は映像作品としての富野ガンダムが好きなのであって、プラモデルのガンダムにはほとんど興味がなかったですし。

――富野ガンダムの何が魅力だったんでしょう。

吉沢:何でしょう、ちゃんと毒があるということじゃないですかね。人間って嫌なことをしますよね。戦争のような極限状態ではとりわけそうならざるを得ないっていうことを、富野ガンダムはちゃんと描いていた。子供に嘘をつかないんですよね。この大人は嘘をつかないんだなってことは、観ている子供にも届くんだと思うんです。よくガンダムはリアルだって言われるんですけど、モビルスーツみたいな鉄の塊が宇宙を飛び回るなんて、リアルでも何でもないですよ。モビルスーツも嘘、ホワイトベースも嘘。それでもガンダムをリアルにしているのは、それ以外の部分、人間の醜さや嫌な部分を嘘をつかずに描いていく物語自体の力であり、そこが人の心を打つんだと思います。

――確かに『NT』でも、主人公の三人の子供たちは決して純粋無垢な子供ではないんですよね。

吉沢:そう、三人の主人公の間には嫉妬があったり、裏切りがあったり、相手を利用したり洗脳したりする。そういうドロドロがあって、この三人はすごく危なっかしいんですよね。そこを嘘をつかずに描いていくっていうことが大事で、それさえできればモビルスーツなんて嘘でいいんですよ。

――人間をちゃんとリアルに描けば、絵空事のモビルスーツもそこにちゃんとついてくるという。

吉沢:そういうことですよね。思えばガンダムって、ずっとそういうやり方でリアルであり続けてきたアニメなんだと思います。

――シャアの再来、ゾルタン・アッカネンも強烈なキャラクターでした。

吉沢:強化人間って精神が不安定になっているキャラクターが多いですよね。この人も心の中に未熟な子供の自分を飼っていて、笑いながら人を殺してしまったりする。彼のキャラクターを徹底して悪として作り込んだのは、その悪を育んだのが大人であり、社会であるというということを象徴しているからなんです。

――『NT』は宇宙世紀の新たな100年の歴史を描く「UC NexT 0100」の皮切りの作品となりますが、富野さんは宇宙世紀の物語からは既に降りていらっしゃいます。そんなアフター富野の宇宙世紀で『NT』の役割とは?

吉沢:あまり気にしていないですね。ただ、敢えて言うなら、富野さんがガンダムでやってきたことに対する僕なりの答えですかね。私ならこうやってみるんですけど、どうですか? みたいな……まあ、最初は怒られたんですけど。僕はいつも絵コンテを富野さん見せて、アドバイスを貰っていたんですけど、そのノリで『NT』も見せたんですね。富野さん、これちょっと見てもらえますか?って。その日は富野さん、家で見るってことで持って帰られたんですけど、それから3日目にして会社に来て、“最初のページで見るのを止めた”っていうんです。“コロニー落としから始まるなんで、私がやっていたことからお前たちは何ひとつ新しいことをやっていない、何だこれは”って。新しいものをやるってこういうことじゃないだろうと。それが原作者の第一声でしたね。私はカメラワークがどうかとか、演出はどうかという点を見て欲しかったのに、そこにいく前に怒り狂っちゃって(笑)。

――(笑)。

吉沢:でも、“それでも仕事として来たんだから、やるしかないんじゃないか”、と言ってくださって。ちなみに戦闘シーンに関してはパラパラっと見て、“いいんじゃないか”とのことでした。これまでは必ずボロクソに言われていたんですけどね(笑)。そこで、背中を押されたと感じたんです。

取材・文=粉川しの