ウィル・オスプレイ「さみしさを抱える人たちのために、僕は闘い続ける」【プロレス×さみしさ】

エンタメ

公開日:2019/8/11

2016年4月、新世代のハイフライヤーとして、新日本プロレスに参戦したウィル・オスプレイ(Will Ospreay)。今年6月、3度目のIWGPジュニアヘビー級のチャンピオンとなり、日本に拠点を移すと宣言した彼の心中とは? 棚橋弘至に「生まれ変わっても同じ動きはできない」といわしめたレスリングスタイルの原点を訊いた。


ウィル・オスプレイ(Will Ospreay)●1993年、イギリス・エセックス州出身。2016年、19年「BEST OF THE SUPER Jr.」で優勝。IWGPジュニアヘビー級チャンピオン(3度目の戴冠)。得意技はストームブレイカー、オスカッターなど。185cm 86kg @WillOspreay

プロレスこそが僕の心を動かすもので、生きる理由でした

 2015年10月3日。イギリス南部のレディングという町で行われた試合が、彼の人生を変えた。

「IWGPヘビー級チャンピオンのオカダ・カズチカと闘うことになったと知らされたときは、率直に“マジかよ、怖いよ”って思いました(笑)。持てるすべての力で立ち向かったけれど、結局、負けてしまった。

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 でもその試合のおかげで、オカダと、そのときに来ていた棚橋が『あいつは絶対、新日本に呼んだほうがいい』と話してくれたらしくて、正式にBEST OF THE SUPER Jr.(新日本プロレスのジュニアヘビー級のリーグ戦)参戦のオファーを受けたんです。

 チャンスだ!と思いました。プロレスに対する愛は誰にも負けていない自信があったし、AJスタイルズや中邑真輔が抜けたばかりの新日本には、僕が入り込む余地があるかもしれないって」

 そのオファーには、プロレスラーとしてのキャリアだけでなく、人生を左右する重みがあった。2016年までに、どのプロレス団体からも正式に声がかからなかった場合、プロレスの世界から身を退こうと思っていたというのだ。

「初めてAJスタイルズの試合を見て以来、プロレスこそが僕の心を動かすもので、生きる理由でした。今でも忘れられないのが、トップロープに飛び乗り、リングの外にダイブする――シューティングスタイルズプレスを決める彼の姿。僕もやりたいと強く願いました。14歳で飯伏の試合を観たときも同じ。ムーンサルトを決めて着地した直後にもう一度ムーンサルト。その凄まじい動きと、全身から放たれるプロレスへの情熱に魅了され、レスラーをめざしてきた。

 だけど15年に父が心臓発作で倒れ、家族を養わなきゃいけなくなって……。稼げないなら、これ以上は続けられないと肚をくくっていた頃、新日本から声がかかったんです」

 

ストレスやプレッシャーでリングに立つのが怖かったし、
自分は孤独だという思いが押し寄せて消せなかった

 来日して最初の試合は16年4月、IWGPジュニアヘビー級王者だったKUSHIDAへの挑戦。惜しくも敗れたものの、華麗でアクロバティックな動きで、日本のプロレスファンを驚かせた。翌月から始まったBEST OF THE SUPER Jr.では、なんと初出場で初優勝。

「とにかく楽しかった。日本に来たばかりのころは学ぶことだらけで、プロレス以外でも、新しく出会う人や文化が新鮮だった。

 ただ、だんだん楽しいだけではなくなってきて……とくに今年はストレスやプレッシャーを抱えることが多くなり、どんなに最高のパフォーマンスを見せられた日でも、塞ぎこむようになったんです。リングに立つのが怖かったし、自分は孤独だという思いが押し寄せて消せない。頼むから誰か助けてくれよって叫びたくなったこともあります。

 でも、ふと思ったんです。そういう不安定な気持ちを抱えているのは、きっと僕だけじゃない。誰だって、乗り越えなきゃいけない壁を前にしたら、怖いし逃げたくもなる。だったら、その気持ちを抱えたままリングに上がって、同じような境遇にいる人たちを励ますために僕は闘い続けよう。

 プロレスをしているときだけはすべてを忘れ、最高のウィル・オスプレイを見せることだけに集中できる。沸き立つお客さんの声を聞くと、絶対に負けない強さを取り戻せるように、僕の姿を見たお客さんが元気になって、明日を生きる一歩を踏み出せたらと思います」

 


 

新日本プロレスの新時代を、自分こそがつくりあげる覚悟

 今年6月5日、鷹木信悟を破り、2度目のBEST OF THE SUPER Jr.での優勝を果たしたオスプレイは、続く9日、ドラゴン・リーからIWGPジュニアヘビー級王座のベルトを奪った。どんな技を受けても立ち上がり、重力を感じさせないほどに軽やかに高く飛んで、相手を攻撃する。試合ごとに洗練されていく強さの理由は「新日本プロレスの次世代を担う」覚悟だ。

「今年、ケニー・オメガやKUSHIDAなど多くのスター選手が新日本から旅立っていきました。そのとき、以前ケニーが言っていたことを思い出しました。“次は彼らの時代だ、彼らが新日本プロレスを次なるステップに導かなきゃいけないんだ”って。だけど抜けてしまった今、その大きな穴を誰かが埋めなきゃいけない。僕の力は全然足りていないけど、全力を尽くして自分を押し上げたら後継者になれるかもしれない、と思いました。今こそ覚悟を決める時なのだと。

 結果、6月にIWGPジュニアヘビー級王座に返り咲くこともできた。次に目指すのは、G1 CLIMAXの頂点。ヘビー級選手が立ち並ぶなか優勝できたら、僕の存在を高めるだけでなく、ジュニアはヘビーにも負けないということも証明できる。僕がレスラーとして生きる道を与えてくれた新日本プロレスに恩返しするためにも、できるすべてを捧げて、新時代を築く力を示していきたいと思っています」

 ユニオンジャックを背負い、イギリス人代表として新日本のリングに立ってから3年。日本に拠点を移すことに決めたのは「いつのまにか日本がホームになっていたから」。

「日本のプロレスファンはレスラーに強い敬意を払ってくれるから、会場では心と心が結びつくような強い一体感を得られます。その瞬間が僕を救ってくれるから、僕も、一分一秒でも長くみんなが幸せを感じてくれるようなパフォーマンスを見せていきたい。子供の頃から憧れ続けてきたヒーローをこれからも目指して、何があってもリングに立ち続けていきたいですね」

(取材日 2019年 6月25日)

取材・文:立花もも 写真:干川 修 

  

イラスト:広く。

 

寄稿

 震えながらも立ち上がる新時代のニューヒーロー
                         橘 もも

 震える膝が、今でも脳裏に焼きついている。2017年5月18日、後楽園ホールで行われた対リコシェ戦でのことだ。その膝は、肉体が限界を超えていることを示していた。けれど拳を握り、唸りをあげながら、立てるはずのない足でオスプレイは立った。崩れ落ちそうになりながら何度も何度も立ちあがり、蹴りを繰り出し、勝利をおさめたその姿に、気づけば涙を流していた。精神が肉体を凌駕するという言葉の意味を初めて知った。こんなところで立ち止まってる場合じゃないと、強く思った。それが私の、プロレス観戦デビューだ。以来、新日本プロレスワールド(動画配信サービス)を契約し、会場にも年に数回、足を運んでいる。

 ずっと不思議だった。なぜあの試合だけが特別だったのか。なぜ試合を観るたび胸が締めつけられるのか。理由がわかったのは、今回の取材で「さみしい人たちのために闘う」とオスプレイが言ったときだ。「自分がたどりつきたいと願う場所は、誰ともわかちあうことができない。誰に支えてもらっても孤独は消えないし、自分ひとりで闘わなきゃいけないことはわかっている。だからこそリングに立つんだ」という彼の言葉を聞きながら、初めて試合を観たあのときと同じように泣きそうになるのを必死で堪えた。

 私はずっと、さみしかった。自分が自分でしかいられないこと。どんなに頑張っても他者とは溶け合えないこと。誰と寄り添い合っていても、人生を生き抜くには自分ひとりの力で闘わなくてはならないこと。漠然とした孤独が常に心に根を張り、押しつぶされそうになりながら生きてきた。だから、書くことを覚えた。自分の心を癒すため、そして同じ想いを抱える誰かのためになることを願って。

 オスプレイも同じだった。彼は私たちのさみしさも代弁しながら闘っている。誰だって強く立ち上がることができるのだと、あの震える膝は教えてくれた。だからあのとき私は泣いたのだ。

 取材のあと、思い出したのは韓国の詩人・申庚林が書いた「葦」という詩だ。
〈いつからか葦は内側で静かに泣いていた〉に始まり〈生きるとは内側でこうして静かに泣くことだとは知らなかった〉と締めくくられるこの詩の揺れる葦に、オスプレイの姿が重なった。

 どんな世界に身を置いていても、どんなに恵まれているように見えても、生きるうえでの心細さは等しく人を襲う。そこから救い出してくれるのは完全無欠の超人ではない。そもそも、フィクションで描かれるヒーローのほとんどは、誰より繊細で優しい、ただの人間だ。コスチュームを身にまとうことで弱さを隠し、どんなにおそろしい敵が相手でも一歩を踏み出し勝利を重ねる。決して諦めないその姿が誰かの希望となる。“昔も今もプロレスラーは僕にとってのヒーローだ”というオスプレイこそが、観る者すべての光なのだと思う。

 自分の役割を自覚し、主人公であると同時に創り手となった彼が、今後どんな物語を見せてくれるのか。それを追うには、今こそが最高のタイミングだと強くお薦めしたい。

 

たちばな・もも●作家&ライター(立花もも)。著書に『忍者だけど、OLやってます』『OVER DRIVE』『小説 透明なゆりかご』など。ダ・ヴィンチ本誌で『小説 空挺ドラゴンズ』を連載中。