史上初の女性棋士は誕生するか? 将棋に全てを懸ける若者たちの群像劇『盤上に君はもういない』綾崎隼インタビュー

小説・エッセイ

更新日:2020/11/7

『盤上に君はもういない』書影

綾崎 隼
あやさき・しゅん●1981年新潟県出身。第16回電撃小説大賞〈選考委員奨励賞〉受賞作『蒼空時雨』でメディアワークス文庫よりデビュー。受賞作を含む「花鳥風月」シリーズはじめ「ノーブルチルドレン」「レッドスワンサーガ」「君と時計」など多数のシリーズを発表。他作品に『君を描けば噓になる』『命の後で咲いた花』など。

 

 常時170人前後の現役棋士が知略を尽くして死闘を繰り広げる将棋の世界。しかしそこに、女性の棋士は未だかつて存在しない。『盤上に君はもういない』に登場するのは、史上初の女性プロ棋士を目指す2人の女性と、将棋の神に愛された天才少年。将棋という盤上遊戯に人生を懸けた3人をめぐる群像劇が描かれる。

 前人未踏の女性棋士というテーマに臨んだのは、恋愛青春ミステリー「花鳥風月」シリーズや、サッカー小説「レッドスワンサーガ」で若い世代から圧倒的支持を集める綾崎隼さんだ。

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女性棋士は何故いない その疑問から出発した

「将棋は子どもの頃から親しんでいました。いつか将棋小説を書きたいと考えていたわけではなかったのですが、あれだけの長い歴史を持ちながらなぜ女性の棋士は一人もいないのかという疑問はずっとありました。そこから、もし女性棋士が生まれるとしたらどんな物語になるだろう、その人はどんな人間なのだろうという思いが膨らんでいきました」

 執筆の動機は「将棋の話を書きたい」ではなく、「棋士を目指す女性の話を書きたい」だったそうだ。

「実際に棋士を目指している女性はたくさんいます。歴史を紐解けば、女性が棋士になるのはほぼ不可能と分かるのに、彼女たちは挑戦している。その姿が本当に格好いいと思ったんです。また、棋士を目指す話とすることで、将棋の物語、女性の物語であることに加え、サクセスを楽しむといった要素も盛り込めると考えました」

 担当編集者が、職団戦(日本将棋連盟が主催する国内最大の将棋大会)に参加するほどの将棋好きだったことにも大いに助けられたという。

「将棋に関して僕よりもはるかに詳しいので、プロットの段階からたくさん相談に乗っていただきました。今回はかつてなく編集者の皆さんとチームで作っていった感じです」

 藤井聡太棋士の誕生以来、この数年大いに注目を浴びている将棋界。しかし実際のところ私たちは将棋について、どれだけ知っているだろう。

「気をつけた点は、読む方が将棋を知っている前提では書かないということでした。将棋の世界には〝棋士〟と〝女流棋士〟の2つの制度があること、棋士になるには奨励会に入会しなければならないこと。そういった基本的なところから丁寧に書きました。小説を読む楽しさの1つに、知らない世界について知るということがあると思うんです。『レッドスワンサーガ』の時も、サッカーに興味がない方に楽しんでもらうため、それこそゴールキーパーの説明からはじめました。注意深く、丁寧に書くことで、どんな人にも楽しんでもらえる本にしたいな、と」

将棋の世界と、棋士という人種を徹底的に描き込むこと。それは自身にとって大きな挑戦だったそう。

「棋士ってこんなものかなと漠然と考えていたものが見当はずれだったり、目に映る景色の裏に渦巻く感情が想像もつかないものだったりと、多くの発見がありました」

 たとえばそれはプロになるための登竜門、三段リーグの過酷さだ。

「プロになってからよりも三段リーグがつらかった、と語る棋士の方が多いことに驚きました。僕からすれば、アマチュアよりもプロの方が当然大変だろうと思っていたんです。だけど三段リーグのシステムって本当に過酷で、皆さん血反吐を吐くような思いをして勝ち抜いてきていることに衝撃を受けました」

 それは自分に置き換えたら、小説家を目指して新人賞に投稿していた時の感覚に近いという。

「年齢制限も人数制限もある分、三段リーグの方がずっときついですよね。どんなに頑張ってもプロになれないかもしれない、それでも努力するしかない。それがどれだけ苦しいことかはよく分かるんです。自分もそうでしたから」

 将棋と小説。分野は違えども、好きなことに懸けて生きる者の気持ちは分かる。その確信を得て執筆にとりかかった。

将棋とはこの世で最も相手を想い合うゲーム

 本書に登場する主な棋士は3人。将棋一家に生まれ、将棋の英才教育を受けてきた少女・飛鳥。プロになる年齢制限ぎりぎりの26歳、崖っぷちに立つ女性三段・夕妃。史上最年少の四段昇進を狙う天才少年・稜太。彼らは性格も生い立ちも戦い方のスタイルも、三者三様だ。

「それぞれのキャラクター性と合致する棋風にしなければならないね、と編集さんと何度も話し合い、アドバイスを受けて作っていきました。作中で最強の棋士として設定している稜太は、やはり藤井聡太二冠の棋風や生い立ち、環境を参考にしました。飛鳥は、その強気な性格を反映した攻めの将棋を指すだろう、と。難しかったのは夕妃でした」

 千桜夕妃は、登場人物の中で誰よりも謎めいている人間だ。自分について黙して語らず、容易に他人に心を開かない。病弱な身体を抱えながらも不屈の精神で三段リーグにまで上り詰め、長い雌伏の時を経て女性棋士の座をめぐり飛鳥と対決する。

「夕妃は自分の内面を人に見せるのが苦手で、傍から見ると何を考えているのかよく分からない人物です。だけどけっして人間嫌いなわけではない。彼女が将棋を愛しているのは、人と向き合うことが好きだからなんです。将棋って、相手のことを考え続ける戦いですから」

 将棋とは、〈この世で最も相手を想い合うゲーム〉。これは担当編集者からの言葉で、本作を書いていくうえでキーワードになったという。

「相手が何を考えているのかをひたすらに考え、理解して、極限まで相手を想いながら追い詰めていく。考えてみたら本当にすごい遊戯ですよね。この言葉は夕妃の人格を形づくるヒントになり、彼女の棋風にもつながりました」

 飛鳥と稜太と夕妃。彼らの9年間にも亘る歳月が、各章ごとに語り手を変え、手に汗握る対局と共に展開されてゆく。そこから浮かび上がってくるのは、人生を懸けてもいいと思えるほどのものに出会った者たちの心の純度の高さだ。

「それは僕の小説の特徴かもしれません。恋愛小説に限らず、好きな人や対象への想いがブレない主人公が多い気がします。ブレなければブレないほど、そこから生じる痛みや苦しみも大きいと思うのですが、それらを引き受けて好きなことを好きでい続ける人間が好きなんです」

 小説家となって今年で10周年、37冊目になる本作は、ことに思い入れが深いと語る。

「デビューした時に、3年目に夫婦の話を、5年目に親子の話を書くという目標を掲げました。夫婦の話は『世界で一番かわいそうな私たち』という作品で書くことができたのですが、親子の話の方は自分に子どもがいないというのもあって、なかなか取り組むことができませんでした」

 やがて準備を整えて、今作では将棋を通して親子の、そして家族の物語も書こうと思ったという。

「実はこの作品を書いている間に父が癌で亡くなったんです。看病をしながら、子どもの立場から親子というものについて考えていました」

 そうして完成した作品は将棋の物語、戦う女性の物語であると同時に、様々な親と子のかたちが綴られた物語ともなった。夕妃の秘密が明かされる最終章では、これらのテーマが鮮やかに1つに結実している。

「自分で遺作を選べるなら、これにしたい。そんなことを思える小説を、初めて書けました。この本が僕の10年間のベストだと思います」

取材・文=皆川ちか 写真=首藤幹夫

『盤上に君はもういない』

『盤上に君はもういない』
綾崎 隼 KADOKAWA 1500円(税別)
将棋一家に生まれ育った16歳の諏訪飛鳥は、奨励会の三段リーグ最終戦で26歳の千桜夕妃と対戦する。この対局で勝った方が史上初の女性棋士となる。飛鳥を取材する記者・佐竹亜弓、将棋ソフトと同じ思考力を持つ天才少年・竹森稜太、夕妃の弟であり同じく奨励会に所属する智嗣。様々な人々が注視する中、世紀の対局が始まる。