腱鞘炎という絶望を乗り越えた、太田垣康男がマンガ家生活30年目にたどり着いた“原点回帰”の一作/インタビュー①

マンガ

公開日:2020/11/21

『MOONLIGHT MILE』『機動戦士ガンダム サンダーボルト』(ともに小学館)

『MOONLIGHT MILE』や『機動戦士ガンダム サンダーボルト』といった緻密なSF作品で知られるマンガ家・太田垣康男。彼は2018年に、マンガ家人生の大きなターニングポイントを迎えた。

 腱鞘炎――苛烈な執筆の中で、大事な手を痛めてしまったのだ。力を込めてペンを握ることができず、腕のストロークもままならない。痛みと苦悩の中で、一度はマンガ家として筆を折ることも考えたという。

『ディアーナ&アルテミス』(双葉社)

 彼はその絶望から立ち上がり、現在は新たなスタイルで新たな作品作りに挑戦している。その契機になった一作が『ディアーナ&アルテミス』(双葉社)。カエル型のスーツに身をまとい、イケてる女子バディが月の平和と安全を守る、痛快なSFアクションの裏に込めた、決死の覚悟とは。

advertisement

 太田垣康男が、再起の一作にかけた想いを明かしてくれた。

イチからのスタート。新人の気持ちで描いた、原点回帰の一作

――『ディアーナ&アルテミス』は、太田垣先生の傑作『MOONLIGHT MILE』に登場した月面都市・ルナネクサスを舞台とするコミカルなSFアクション作品です。この作品を描こうと思ったきっかけをお聞かせいただけますか?

太田垣康男氏(以下、太田垣):ちょっと遡って話すことになると思うのですが、数年前『機動戦士ガンダム サンダーボルト』の連載中に腱鞘炎になってしまったんです。それで、これまでと同じ作画ができなくなってしまったんですね。今なら言っても大丈夫かなと思うんですけど……「現在の手では、こういう絵しか描けません」とサンプルの絵を描いて、当時の『ビッグコミックスペリオール』の担当編集に見せたんです。そうしたら、「先生、この原稿はいりません」と言われたんです。

――ええっ、そんなことが。

太田垣:さすがに、カチンと来まして(苦笑)。『ビッグコミックスペリオール』から飛び出してやろうかと思うくらい、険悪な関係になったんです。でも、編集長からフォローがありまして「以前の作画だけでなく、物語も評価しているので継続して描いてほしい」と言われて、その担当を替えてもらって和解しました。だから、今ではお互いに笑い話になっています。とはいえ、その和解に至るまでにしばらくの時間がありまして。その間に今回の企画(『ディアーナ&アルテミス』)が始まったんです。

(c)太田垣康男/双葉社

――和解されて良かったです。ただ、それまでの期間は、太田垣先生も失意の中にあったと思います。そこで新作に挑まれたきっかけはどんなことだったんでしょうか。

太田垣:「原稿はいらない」と言われてショックも受けましたし、自分自身も絵が描けなくなったことで、これまでとはやり方を変えなくてはいけないなと悩んでいたんです。そうしたら『週刊漫画アクション』の編集長をしていた平田(昌幸)くんから連絡をもらいまして……。

 実は、平田くんとは彼が双葉社に入社したころからの知り合いで、私の状況を知ったうえで「一緒に仕事がしたいです」と言ってくれたんですね。本当に嬉しくて、自分の気持ちは『漫画アクション』で新作を描くんだとバチッと切り替わってしまいました。そこで今の自分に描けるものは何だろうといろいろ考えた結果、『MOOLIGHT MILE』と同じ世界観にしておけば、執筆にとりかかるスタートが早いだろうと。SFマンガは世界観やガジェットを作らなくてはいけないので、どうしても準備期間が長くなるのですが、すぐにでも『漫画アクション』で連載を始めたかった。そこで『MOOLIGHT MILE』のスピンオフとして『ディアーナ&アルテミス』を考えたんです。

――『MOOLIGHT MILE』はリアリティあふれるSF作品であり、骨太のドラマが描かれます。スピンオフである『ディアーナ&アルテミス』は一転して女子2人組のSFコメディになっていますね。同じ世界観でありながら、切り口を大きく変えていますね。

太田垣:『ディアーナ&アルテミス』のネーム(マンガの下書き)は単行本2巻分を一気に描いたのですが、そのときは腱鞘炎の痛みもあったし、マンガ家として今後が不透明になっていた時期に描いていたんです。その同じ時期に手掛けていたのが『機動戦士ガンダム サンダーボルト外伝』の第3巻のショーンの回なんですよ。どちらもコメディ。現状が辛かったので、マンガまで辛いものを描きたくなかった(笑)。コメディなマンガを描くことで、自分の気持ちも明るくしたかったんだろうなと。今回の作品は、執筆しているときの心情が大きく反映されていると思います。

――マンガの傷を、マンガで癒す。苛烈な作家人生ですね。今回のヒロイン、ディアーナとアルテミスは宇宙空間で貴重な「水」の盗難を取り締まる「水Gメン」という設定です。これは『MOONLIGHT MILE』の執筆時から構想されていたことなのでしょうか。

太田垣:『MOONLIGHT MILE』はシリアスな方向性の作品だったので、今回のような方向で考えたことはなかったんです。今回、いわゆる「警察もの」にしたのは、『漫画アクション』との関係が大きいですね。実は、私が『漫画アクション』で最初に連載したマンガは「警察もの」だったんです。約20年ぶりに『漫画アクション』に復帰するにあたって、そのことを思い出して。古巣に帰るなら、もう一度「警察もの」をやってみたいなと思ったんです。それで「水Gメン」の「警察もの」ということにしました。

――20年以上前に執筆された「警察もの」というと『一平』ですね。剣道一筋の青年が、あこがれの警官に勝つために、警官になるという物語でした。当時はどんな心境で描いていたんですか?

太田垣:当時は初連載だったので、必死で描いていたという記憶しかありません。それでも、連載の過酷な環境の中にいると、どうしてもシリアスなほうに行きすぎちゃうんですよね。ここで笑いを取りたいとか、間を置きたいというような余裕がなくなってくるんですね。いま読み返してみると息が詰まるような展開になっている。そういう重い感じは『ディアーナ&アルテミス』では、やりたくないなと思っていました。

――マンガ家としての原点回帰でもあり、「警察もの」としての再挑戦作でもあったんですね。

太田垣:自分の得意技がいくつかあるんですが、ひとつは「アクションもの」、もうひとつは「SFもの」、そして3つめが「人情話」なんです。『ディアーナ&アルテミス』を描き始めたときは、もしかしたら『機動戦士ガンダム サンダーボルト』も未完で終わるかもしれない、『MOONLIGHT MILE』も続きが描けないかもしれないという状況で、イチからスタートという気分がありました。そういう意味ではフレッシュな気分で描きたい。新人の気持ちで描こうという気持ちでした。

――『ディアーナ&アルテミス』は楽しい作品なので、そういう覚悟があるとは失礼ながら感じていませんでした。

太田垣:ははは。いや、そこは伝わっちゃダメなんじゃないですか。

――おっしゃるとおりです。

太田垣:自分はこれからもまだまだマンガを描いていきたいと思っていましたし、10年、20年はこの業界でやっていきたいという思いがあったので、悲壮感はまったくなかったですね。また、新しく挑戦しようと。軽やかな気持ちで描きました。

取材・文=志田英邦

【インタビュー②は11月22日(日)公開予定】