山本文緒「甘い感じのものを書いたら、次は辛いものが書きたくなる」×凪良ゆう「次作は、ずっと尾を引いてしまうような恋愛の話を」

小説・エッセイ

更新日:2021/4/7

本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』5月号からの転載です

山本文緒さん、凪良ゆうさん

 凪良ゆうが熱烈に敬愛し、小説界の「神」と称する存在が山本文緒だ。衝撃を受けた『恋愛中毒』から昨年刊行の最新長編『自転しながら公転する』まで、山本作品への愛を本人に語りながら、作家としての矜持を探り合った。

凪良 今めちゃくちゃ緊張しているんですが、「神」に会えた喜びでテンションもマックスです。昔の私に教えてあげたいです!「将来、お会いできるよ!!」って。

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山本 いやぁ……、照れるぜ。

一同 (笑)

凪良 山本さんの作品は、最新作の『自転しながら公転する』(2020年刊)も含めて全部大好きなんですが、一番衝撃を受けたのは『恋愛中毒』(1998年刊)でした。離婚経験のある女の人を主人公にした恋愛小説だと思って読んでいたら、終盤で「えっ? ミステリーだったんだ!」となる瞬間が現れる。その鮮やかな転換が、あまりにも衝撃だったんです。恋愛小説の部分だけでも十分面白いのに、ミステリーとしても楽しめる。しかも、ミステリーの種明かしがあった後で、もう一度恋愛に戻ってくるんですよね。その時に、男と女の関係の奥深さや人間の業がぐっとリアルに感じられる。初めて読んだ時はまだ私も若かったので、小説の最後に出てくる光景を前にして、理解できない部分も正直ありました。でも、今この年になってから読み返すと「そうそう、そういうものなんだよ!」と。

山本 業が、ビリビリ分かるようになってしまいましたか。

凪良 なってしまいました。お会いできたら是非伺いたかったんですが、『恋愛中毒』のあの構成は、最初からああしようと思って書かれたんですか?

山本 そうですね。ただ、これは夢を壊しちゃう話かもしれないけど……。

凪良 知りたいです!

山本 当時の小説界はミステリーが隆盛で、恋愛小説だったら女の人も読んでくださるんですけれども、男性読者の手に取ってもらおうと思ったら、ミステリー仕立てにしないとなかなか難しかった。当時のそういった状況に合わせて、ミステリー的な構成を考えていったんです。筆一本で食べていきたい、という気持ちが一番強い時期でもありましたから。

凪良 もう既に売れっ子先生だったんじゃないんですか?

山本 ぜんぜん! 『恋愛中毒』が売れるまでは、金銭的にもかなり危うい生活でした。でも、今思えばそれが良かったというか、構成についてちゃんと考える癖がそこでついたんですよね。小説を書き出す前に、プロットを丁寧に作るようになったのもその頃からでした。

凪良 山本さんの小説の構成は本当に緻密で、終盤で意外な驚きに打たれることが多いです。私は、短編では「ネロリ」(2008年刊『アカペラ』所収)が大好きなんです。あそこに描かれている人間関係も魅力的ですが、あれもやっぱり構成に驚きがあります。

山本 いつぞやは、書評を書いてくださってありがとうございます。

凪良 読んでくださったんですか! あれは書評なんて言えるものではなくて……単なるラブレターでした(笑)。そこで書かせていただいたことと重なるんですが、「ネロリ」は独身の姉と39歳の無職の弟の話で、ずっと一緒に暮らしてきた2人の関係に、弟の恋人のココアが絡んでくる。でも、それによって何かが脅かされるような書き方ではないんですよね。山本さんはそれまでも、社会にちょっと馴染みづらい感じの人を描かれてきていらっしゃったと思うんです。「ネロリ」の姉弟もぜんぜん世の中に馴染めてはいないんですが、それまでの作品から受け取っていた重さや鋭さではなく、やわらかな諦観のようなものを感じました。今までとは何か違うぞと思ったんですが、何か理由があったんでしょうか?

山本 自分ではわからないですね。何か変えよう、というつもりは特になかったかな。ただ、それまで病気で数年間仕事を休んでいて、復帰2作目だったんです。1作目はちょっと肩に力が入っていたんですが、2作目のこれを書いた時には、小説を書くという行為が自分にとってごく自然なものとなっていた。そういう気分みたいなものが、多少作用したのかもしれません。

凪良 「ネロリ」は私、読むとホッとするんですよ。この作品に流れている空気は、私にとってすごく息がしやすいんです。山本さんの作品は、私にとって全てそうかもしれない。

山本 ありがとうございます。たいてい「気持ち悪い」とか言われるんですけどね。

凪良 そうなんですか!?

山本 「ネロリ」でも読者の方からそういう意見はありましたし、『恋愛中毒』は特にそうでした。ただ、私にとって「気持ち悪い」は、褒め言葉なんですよ。読んで何かしらの違和感を持ってもらえたんだとしたら、私の小説のどこかが、その人の心に引っかかったということでもあるわけじゃないですか。それは書き手としては、喜びですよね。

凪良 私自身、いい違和感をいっぱいもらってきたと思います。はっきり自覚しているわけではなかったけれども、山本さんの小説からもらった違和感を使って、自分の小説を書いてきたんじゃないかなと思います。ただ、違和感以上にフィット感がすごいんですよ。山本さんの小説を読んでいると、「この人のこの気持ち、言葉にしたことはなかったけれど私も知ってる!」となる瞬間がたくさんあるんです。

普通が一切通用しない世界だから書けた

山本 凪良さんの小説の中にも、世の中に馴染めない人たちがたくさん出てきますよね。というか、うまく馴染めている人は一人も出てこない。これは褒め言葉なんですが、みんな「どこかおかしい」。

凪良 普通の人があんまり書けないんです。

山本 凪良さんの中で普通の人って、どんな人ですか? 難しい質問だと思うんですけれども……。

凪良 難しいです。今つい普通という言葉を使ってしまったんですが、「普通の人」なんてどこにもいないんだろうなって思うんです。外からは普通に見える人でも、心の中に秘密があったり、世の中にとって多数派ではない部分を何かしら持っているんじゃないかな、と。それを暴いていくような話を書いていきたいな、と思っているんです。そうすることで、たとえば社会で生きていくうえで「普通でなければいけない」というプレッシャーのようなものが、私自身もそうだし読んでくださった方からも、少しだけ軽くなるんじゃないかなって……。山本さんの小説はまさに、それを鮮やかにおやりになられていると思います。

山本 隠しているつもりがなくても「隠しているもの」があるかもしれないですよね。本人はいたって普通の行動だと思っていても、他の人から見たら「え!?」ということを、うちに帰ったらやっているのかもしれない。たとえば、裸族の人ですとか。

凪良 らぞく。今一瞬、漢字の変換に悩みました。裸族ですか!

山本 家に帰るとすっぽんぽんになる人がいることを知ったのは私、結構最近なんです。

凪良 私はまだ理解が追いついていないかもしれません。ええと、つまり家で何もはかないんですか?

山本 生まれたままの姿で。マツコ・デラックスさんがそうだって、テレビでおっしゃっていましたし、コミックエッセイでも2作、裸族としての暮らしを描いたものを読んだことがあります。それが普通の人もいるんだって知った時、私はもっと人の多様性を認めていこうと思いましたね。普通は奥が深いな、と。

凪良 めちゃめちゃ奥が深いです!

山本 すみません、ヘンな話をしちゃって(笑)。凪良さんの小説の登場人物では私、『滅びの前のシャングリラ』に出てくるお母さん、静香さんがすごく好きです。彼女の人物造形は、これはもう本当に普通じゃない。映画の中ではこういう人がいたけれども、文学の中で、身も心もここまで強い女の人が出てきたことってあるのかな。凪良さんの発明じゃないかな、と思いました。

凪良 嬉しいです! 何をしても大丈夫というか、普通がどうだなんて誰もなんにも構わないという世界を舞台にしたから、書けたキャラクターだったと思います。普通の世の中だったらあんな暴力夫婦、許されないですよね。すぐ警察に御用になっちゃいます(笑)。

山本 『滅びの前のシャングリラ』は、書かれるのにすごく苦労しただろうなというのもわかるんですけれども、気持ちよくバットを振っているような感じがして。暴力シーンも多いし死体もゴロゴロ出てきますけれど、死体の描写って普段の小説でなかなか書けるものではないじゃないですか。書くのが楽しかったでしょう?

凪良 すっごく楽しかったです。私は、作品の中に担当さんのエッセンスが入ってくるんです。『滅びの前のシャングリラ』はバイオレンスを許してくれるというか、むしろ「もっとやれ!」的な感じの担当さんじゃなければ作れなかったと思うし、『流浪の月』はものすごく繊細な感性の持ち主である東京創元社の担当さんじゃなければダメだった。『わたしの美しい庭』はポプラ社さんから出した本なんですが、担当さんから最初に釘を刺されたんですよ。「うちは児童文学を扱っている会社なので、あんまり黒いのはやめてくださいね」と。でも、ポプラ社さんって平山夢明さんの『ダイナー』を出しているんですよ!

山本 真っ黒!(笑)

凪良 山本さんは、組まれる編集さんによって作風を変えたり、題材の選び方を変えたりはされますか?

山本 担当さんは関係ないですね。そもそも内容に関して、相談自体をあまりしないんです。書き下ろしの時は、担当さんが原稿を読んだ時にびっくりしてくださるように、前情報も伝えないんですよ。

凪良 担当さんは最初の読者でもあるから、その反応を大事にしたいってことですよね。でも、内容の深いところまではいかなくても、何を書いているかぐらいは知りたい、と思う方もいらっしゃる気がするんですが。

山本 原稿の進捗はいかがですか、みたいな話の中でなんとなく内容について聞いてくるので、そういう時は電話を切ってしまう。

凪良 ええっ!?

山本 「原稿やってますから。じゃあ!」と。

凪良 すごい技を伺ってしまいました(笑)。

山本 あまりマネしないほうがいいと思います(笑)。

山本文緒さん、凪良ゆうさん

恋愛の中に潜り込む時代の空気

凪良 私はボーイズラブ出身なんですが、山本さんは少女小説出身ですよね。少女小説で書かれていたことが、一般文芸に移られた後の土台になりましたか?

山本 そうですね。ボーイズラブもそうだと思うんですけれども、少女小説というジャンルは読者の方との距離がすごく近い。本を出したらすぐに反応が来るし、読者の顔が見えるんです。誰のために書いているんですかと聞かれたら、「読者のためです」と答える下地ががっつりできました。私、結構なエゴサーチャーなんですよ(笑)。

凪良 私も同じかも……(笑)。読者さんが楽しんでくれるものかどうか、という感覚は常に念頭にあります。ただその感覚が、一般文芸で書く時に悩ましいなと感じる時もあるんです。楽しんでもらえるか楽しんでもらえないかに重きを置きすぎると、作品としての完成度にブレが生じてしまうかもしれないな、と。

山本 それは私も悩んでいますね、今でも。

凪良 山本さんもですか!? 詳しくお伺いしてもいいですか。

山本 『なぎさ』(2013年刊)の時に、読者の想像の余地がたくさん残るように、ふわっと終わらせたんです。2人の男女の主人公がこの先、どうなるかははっきりわからないような書き方をあえて選びました。そうしたら、もっと書いて欲しかった、ちゃんと結末を書いて欲しかったという読者の意見がネット上でかなりあったんです。だから今回、『自転しながら公転する』ではプロローグとエピローグを書いて、主人公の物語をきっちり描き切ったんですよね。そうしたら今度は、「プロローグとエピローグは蛇足だった」という意見が結構出てきた。

凪良 それはもう、どうしたらいいんですか(笑)。

山本 実は本を出す前にも、編集さんから「いらないのでは?」という意見もいただいていたんですよ。悩んだすえに「このままで行きます」と決めたのは、結局自分だったんですよね。だから、読んだ方の意見はものすごく気にはするんだけれども、意外と無視している(笑)。

凪良 その感覚、私も分かります(笑)。

山本 たとえ傷つくようなことであっても、読者さんの感想は知りたいんですよ。知らないでいるよりは、知りたい。知らないことのほうが、私にとっては怖いんです。だからもう読者の声を気にしてしまう習性はきっと治らないんだけれども、最後は自分の好きなようにやればいいのかな、と。

凪良 『自転しながら公転する』は32歳の女性を主人公にした、直球の恋愛小説ですよね。作風が若返られたような気がしたんですが、ご自分の中でそろそろまた書きたくなったということだったんでしょうか?

山本 同年代の作家さんが評伝を書いたり時代小説に行ったりしている中で、自分はどうしたらいいのかなぁと考えた時期があったんです。結論としては、私はそういうものを1ミリも書きたくないなと思ったんですよ。

凪良 なんて正直な(笑)。

山本 そうであるならば、私がこれまでいろいろな形で書いてきた若い人たちの恋愛を、久々に真正面から、今の時代の空気に合わせて書いてみようかな、と。年齢もだいぶ重ねてきてしまいましたし、書けるとしたら今回が最後かなと思って書いたんです。

凪良 最後だなんて、もったいないです! 今の時代の空気を吸ったとってもリアルで生々しい若者たちなのに、とってもみずみずしくて。新鮮な恋愛小説でした。

山本 凪良さんは、ボーイズラブでは違ったと思うんですけれども、一般小説では恋愛恋愛したものを書かれてはいないですよね。

凪良 一般文芸を書き出してからは、話の中に恋愛の要素は入ってきてはいるんですが、直球の恋愛小説って1冊も書いていないんです。それもあって次の新作では真正面から、しかも男女の恋愛を初めて書いてみようと思っています。これは是非山本さんにお伺いしたかったんですが、恋愛を書く楽しさってどんなところにあると感じてらっしゃいますか?

山本 人間って、できるだけ理性的に生きたいと思っていますよね。その理性が一番吹っ飛んじゃうのが、恋愛感情だと思うんです。だから作品の中で、恋愛がいいものである、というふうに書いたことはほとんどなくて。恋愛になると理性が吹っ飛んで、理屈で考えれば絶対そんなことしないほうがいいってことをいっぱいしてしまい、人にも迷惑をかけ自分も苦しんで……という人間の感情の動きが面白いなと思って書いているのかもしれない。

凪良 理不尽さが一番描ける題材ですよね。キャラクターの内側に、絶対的な正義も悪もなくなる感じが、書いていて確かに面白い。人間って面白いな、と思わされます。

山本 私もそう思います。

凪良 今の若い人は、恋愛する子が少ないっていうのは本当のことなんでしょうか? みんな本当に、そんなに恋愛をしてないのか。

山本 『自転しながら公転する』を書くためにいろいろ調べてみたんですが、若い人の「恋愛はコスパが悪い」という意見は結構目にしましたね。

凪良 恋愛のコスパの悪さに関しては、「最初から悪いに決まってるじゃん!」としか言いようがない(笑)。そもそも人と心を通い合わせることって、心理的にものすごく負担がかかるじゃないですか。

山本 それに加えて今の若い方は、物心ついた時からずっと不景気だったこともあり、経済的な不安が大きくて、ちょっとした損をするのがすごいイヤなのかなぁと感じるんです。その反対にちょっとした得もすごく好きで、クーポンを使ってハンバーガーをもらったり、とか。

凪良 ちょっとでも気を抜いたら社会から落っこちちゃうかもしれない、という不安を今の若い人たちは持っている。となると、恋愛は損することが多いからしないほうがいい、と思っちゃうのかもしれない……。時代の空気は間違いなく、若い人たちの恋愛関係に反映されていますよね。『恋愛中毒』で描かれた恋愛と、『自転しながら公転する』で描かれた恋愛は、全く違いました。

山本 お互いが加害者と被害者になってしまうような、それがまた反転するような激しい恋愛もきっと今もあるとは思うんですが、風潮としてはメインではないのかもしれない。どちらかと言うと、家の中に2人でまったりと過ごしたり、家族みたいに手を取り合うようなもの。傷つけ合う恋愛じゃなくて、あったかい繭みたいな中にいて、お互いを支え合う恋愛がメインになってきているんじゃないのかなと思うんです。昭和の人たちからすれば、それを見て恋愛しているようには見えないけれど、それが今の恋愛じゃないかなと思って『自転しながら公転する』を書いていきました。

山本文緒さん、凪良ゆうさん

甘いケーキの次は辛いおせんべい

凪良 私が今度書こうと思っているのは、加害者と被害者になるような激しい恋愛ではないんだけれども、ずっと尾を引いてしまうような、人生の中に通奏低音として横たわってしまうような恋愛の話なんです。人生を貫いていくという点では、ある意味ですごく激しい。いつまでも忘れられないというか、折に触れてふっと思い出してしまう相手って、誰しもいるんじゃないかなと思うんです。

山本 「腐れ縁」と言うと古い言葉ですけれども、そういう縁ってあるなぁと思いますね。そうか、次はそういう話になるんですね。

凪良 まだプロットも固まっていないんですが(笑)。山本さんは、次の作品はどんなものにするかもう決まっているんですか?

山本 近いうちにこれまで発表したものと、新作1本を収めた短編集が出る予定です。その後は、また長編を書きたいです。いつもそうなんですが、反動が来るんですよ。甘い感じのものを書いたら、次は辛いものが書きたくなる。『自転しながら公転する』はクリームもりもりの甘いケーキだったので、次は辛いおせんべいかな、と……。

凪良 ちょっと待ってください。『自転しながら公転する』って甘いケーキでしたっけ(笑)。十分辛かったですよ!

山本 私にとっては甘々だったんです(笑)。

凪良 自分と読者さんとの間の、感覚の水準が違うということは私もよく感じます。たとえば『流浪の月』に関して、更紗と文の関係をセンセーショナルなものだと受け止める感想をたくさんいただいたんです。私としては、誘拐というシチュエーションは特殊だけれども、そこに現れる関係は全くもって普通のことしか書いていない感覚だったんです。

山本 それこそ「普通」って人それぞれ、違うものですよね。

凪良 そうですよね。そうだ、だから、このままでもいいんだ……。今日は貴重なお話をいっぱい聞けて本当に幸せでした。これからちゃんと、自分の糧にしていきたいです。『自転しながら公転する』を甘いケーキとおっしゃった山本さんの辛いおせんべい、楽しみにしています!

山本 私も凪良さんの甘いケーキ、楽しみにしています。恋愛小説のバトン、託しますね。

凪良 そのバトン、重すぎます!!(笑)

山本文緒
やまもと・ふみお●1962年生まれ、神奈川県出身。OL生活を経て、87年に少女小説家としてデビュー。92年に一般文芸へとシフトし、99年に『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年に『プラナリア』で直木賞を受賞。そのほかの著書に小説『落花流水』『なぎさ』、エッセイ集『再婚生活』などがある。

取材・文:吉田大助 写真:山口宏之